森での出来事3
(なんで、クラトが……?)
予想外の事態に言葉を失う。
このイベントにクラトは出てこない。ラズリを見つけるのは、偶然通りがかった男子生徒B。立ち絵も名前もない、ただのモブだったはず。
なのに目の前にいるのは間違いなくクラトだった。
呪いに集中しているクラトは私に気付いていないらしく、瞼を伏せて何か聞き取れない言葉を口にしている。古い呪文だろうか。低い声で一節を唱えるたびに空気がぴんと張り詰めて、黒い靄が脈打つように収縮しながら徐々に薄まっていく。
負荷の大きい呪文なのか、クラトの表情は険しく、呼吸が乱れていた。倒れたラズリの前に立ち、時折その姿に視線を向けながら、彼女へ這い寄ろうとする呪いを退けている。
ラズリを守っているんだ。
そう思った瞬間、靄が大きく膨れ上がった。
クラトが短く何かを唱えると同時に空気が大きく流動し、耳の奥がきんと痛む。靄は裂けるようにほどけ、東屋の影へ吸い込まれるように消えていった。
森に静寂が戻る。
クラトの肩が、ほんのわずかに揺れた。
よろめいたように見えた。
けれど次の瞬間には、何事もなかったかのように背筋を伸ばしていた。
「……誰だ」
地を這うような声。しまった、と思った時にはもう遅かった。クラトが振り返り、長い前髪の奥の暗い瞳が、私を見つけた瞬間、鋭く細められる。
「アルドラ嬢。なぜあなたがここに」
初めて言葉を交わした日と同じ、冷えきった声だった。呪いと対峙した影響か、そのまなざしにはわずかに疲労が差している。
折れた小枝のついた制服を最低限整えて、私は二人の前に歩み出た。倒れたラズリの胸がかすかに上下しているのを確認して、内心ほっと胸を撫で下ろす。
「それはこちらの台詞ですわ、あなたこそ何をなさっていたの」
「何を、とは」
「とぼけないでください。私は見ていました、あの黒い靄をあなたが消したところを」
尋問みたいに聞きながら、深入りしすぎだろうかと不安に思う気持ちもあった。
いくら冷淡に振る舞ったところで、クラトがラズリを傷つけるために動くはずがないことを、私は知っている。せっかくラズリがホメロスといい雰囲気になっているのに、下手に掘り下げるのはフラグ管理に影響するかもしれない。
でも、素通りできなかった。
彼がしたことを誰も知らないというのが嫌だった
「付いた埃を払ったのみです、この森ではいろいろなことが起きますので」
「あんな呪文で? 随分と用意が良いのですね」
「アルドラ嬢」
ディアらしい言葉を意識して、つい探るような言い方になってしまった私に、クラトが嘲るように返した。
「イルドゥン家についてはあなたもよくご存知のはずです。関わった者には災いが起きる。王家を欺き、今なお怪しげな術に手を染める一族だと」
「それは……」
「平穏に暮らしたいなら、見なかったことにするのが賢明です」
彼の言っていることは間違っていないと思う。言い方にはかなり険があるけれど、クラトが絡むシナリオでのディアはそういう役割だ。ラズリにクラトの悪評を伝え、イルドゥン家には近づかない方がいいと言う。
……そうなんだけど。
クラトが袖口を整えるように右手を引く。制服の袖の隙間から手首が覗いた。血色の良くない肌に、薄い痣のようなものが浮かんでいる。
ラズリの手首に残るはずの小さな痣。ゲームの画面で何度も見た、あの不吉な印と、同じものに見えた。
「その手は、」
「見るな」
鋭い声に、息が止まる。




