プロローグ3
「……!」
振り返る前から、誰なのかわかった。台詞は違うものの、このイベントは知っている。
抑揚のない静かな声。けれど、その静けさの奥には刃物のような冷たさがある。
イルドゥン家のクラト。
『千恋』の隠しキャラクターで、公式の煽り文句は「謎に包まれた同級生」。けれど実際に目の前に立たれると、謎めいているというより近寄りがたさの方が印象的だった。
背の高い痩せた体つき。長い前髪の間から覗く暗い瞳は、こちらを拒むように冷えている。
そのまなざしが、ほんの一瞬ラズリをとらえた。けれどすぐに、冷たい硝子のような色に戻る。
「ラズリ・カエルラ。我がイルドゥン家について知りたいのなら、そこの噂好きの令嬢に尋ねるのが一番いい。尾ひれのついた話をいくらでも聞かせてくれるだろう」
「あの、私はそんなつもりでは……」
「だったら、どんなつもりだ?」
ラズリの肩が怯えたように小さく跳ねた。春の花束みたいな笑顔がしおれて、小柄な身体をさらに小さくする。
(……好きな人に対してよくこんな態度取れるな)
序盤から中盤にかけてのクラトはひたすらラズリに対して冷たい。それが愛するラズリが悪名高い自分と関わりを持たないようにという思いやりからの行動だというのは知っているけれど。
「平民の身で入学試験を突破した才媛と聞いていたが、貴族の古傷を嗅ぎ回ることに関心があるとはな」
だからといって、いくらなんでも言葉に棘がありすぎるだろう。ヤマアラシか。
これが後々のギャップにつながると知っていても、目の前でラズリが泣きそうな顔をしているのは看過できないものがある。
「イルドゥン家のクラト」
気が付けば、私は一歩前に出ていた。
「ラズリはただ尋ねただけですわ。私の友人に対して、そのような無礼は許しません」
毅然と言い放っても、クラトは動じない。それどころか、冷ややかに笑って見せる。
「友人ですか。アルドラ家の令嬢が平民を友と呼ぶとは、学園とは実に人を変える場所らしい」
いや、腹立つなこいつ!
ゲーム内のディアはクラト絡みになると台詞がほぼ悪口になるけれど、それも納得する感じの悪さだ。
さらに言い返そうとして、これ以上は本編のシナリオを逸脱するかもしれないと躊躇する。その隙に、クラトは私の横をすり抜けて温室の方へと去っていった。
すれ違いざま、視線が一瞬だけラズリへ向いた気がしたけれど、確かめるより先に黒い背中は人波に紛れて見えなくなる。
「ディア様、かばってくださってありがとうございます」
かすかに目を潤ませたラズリが、ほっとしたように表情を和らげる。
「そんなの当たり前でしょう、お礼なんて必要ないわ」
「私のこと、友達って言ってもらえて、あの、すごく嬉しかったです」
きらきら輝く瞳で見つめられて、致死量の可愛さに心臓が破裂しそうになる。いや、そもそもの原因はクラトに泣かされかけたことなのにときめいている場合じゃないけれど。
この後の流れは知っている。ラズリはホメロスと一緒にディアから舞踏会の作法を教わる。式典前のアクシデントを経て、舞踏会で初めてドレスを着て踊る。幼馴染だった二人は徐々にお互いを意識していく。
クラトルートを進める条件は複雑だから、少なくともホメロスルートに入っている今、彼が再登場することはないはずだった。今のはただの顔見せ。もう二度と会わない。
それはホメラズを推す私にとっては喜ばしいことで、なのに、心にざらつきが残るのはごまかせなかった。
嫌なやつだけど、でも。
――このルートのクラトは、ラズリの呪いを肩代わりして誰にも知られず死ぬ運命なのだから。




