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大海の一冊3

 下から、読む。

 頭の上に疑問符を浮かべて、はっと気が付く。古代文字には呪術的な文脈によって下から記すものがある、そんな記述を手引きで見た気がする。

 

「なぜ上下がわかるの? そんな記述どこにも……」

「いや、そこは初歩だろ。見りゃわかる」


 初歩、初歩とは。

 古代文字の手引きと文法書と対応表を並べて明け方まで解読に取り組んでいたはずが、基本的なところで躓いていたんだろうか。物陰からこちらを見ている生徒のきらきらしたまなざしに罪悪感が湧く。


「ホメロス、あなた本当に古代文字が読めるのね」

「だから学園に入れたんだよ。知らなかったのか?」

「もちろん知っています、けど」


 ホメロスは古代文字を解読できる稀有な才を見込まれて、平民ながら王立アストルム学園へ入学した。ホメロスルートの後半では、古代遺跡で石板に残された文字を解読する展開もある。

 とはいえ、実際に目の前でさらりと読まれると心強さがすごい。


「この文字の書き方だとカフ王朝後期だな。線にアダラ教の影響がないから、後期って言っても中期との境くらいか」

「形だけでそこまで……!?」

「時代によって癖があるだろ。この下の線とか、円と円の繋げ方とか」


 眉間にしわを寄せながら私の開いた本を覗き込むホメロス。整った横顔が近づいて、今さらながら少しドキリとした。

 愛想なしで、ダンスが苦手で、礼儀作法も怪しい。けれど時々、ホメロスを乙女ゲームのキャラクターだと意識することがある。


「……推してて良かった」

「は?」

「何でもないわ」


 危ない。心の声が漏れた。

 ホメロスは訝しげにこちらを見たけれど、すぐに本のページへと視線を戻した。


「で、読めもしない古代文字見て何してんだよ」

「最近勉強を始めたのよ」

「なんでも基礎積んでから取り組むあんたが?」


 全く信じていない言い方だった。


「どこが読めないんだよ」

「ここから、このあたりまでね」

「全部じゃねえか」


 ホメロスは呆れたように肩をすくめて、私の隣に腰を下ろした。昼食の包みを脇に置き、開いたページを指で辿る。


「パッと見た感じ、内容は呪いに関する伝承だな。章題は……地より噴き上がるもの。人の嘆きや痛み、怒りが地中に溜まって呪いとなり、やがて地面から噴き出すと書いてある」


 森での出来事を思い出す。

 肺を塞がれるような息苦しさと、強烈な寒気。そして、湿った土の上を這うように現れてラズリへと手を伸ばそうとした黒い靄。

 ゲーム内では、あれは人々の苦しみが大地の力と混ざり合い、長い年月をかけて膨らみ続けたものだと説明されていた。数十年、あるいは数百年かけて溜まったそれが突然弾けることで『千の呪い』となる。


「こっちは昔の国の話だな。呪いの影響で作物が枯れ、流行り病が蔓延して、民の半数近くが死んだ」

「山麓の国スピラの話ね」

「そう、よく知ってるな」


 スピラの話題は共通ルートで何度も目にするから名前を覚えている。でも、苦悶の表情で倒れる人々や、荒地となった国土を描いたスケッチを見ると、文字だけでは想像できない凄惨な光景が浮かび上がるようだった。


 乙女ゲームは話が重くなりがち、なんて気軽に突っ込んできた設定だけど、この世界で生きる人々にとっては現実だ。

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