大海の一冊1
※『どうしても調べたいことがあるのですと伝えると、ディア様は組んでいた腕を下ろした』
ディア「わかったわ、書庫に入ることを許可しましょう。ただし、何があったのか、後でいいから報告すること」
ラズリ「はい」
ディア「約束よ。これはアルドラ家の娘でなく、あなたの友人としての言葉です」
ラズリ「……ありがとうございます、ディア様」
◇
名門貴族・アルドラ家の屋敷の地下には大きな書庫がある。
重厚な扉を開けると、ひんやりとした空気が肌に触れ、紙の匂いが鼻先を掠める。壁一面に据えられた書架には、魔法学、植物学、礼法、紋章学、古い詩集に至るまで、あらゆる分野の書物が整然と並んでいた。
中でも、この国の歴史を記した棚は圧巻だ。端から端まで歩くだけでも時間がかかる棚が、二つ。しかもそれぞれの本が分厚い。
「……まあ、岬よりはましだから」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
少なくとも、部屋を端から端まで目視できる。崖から落ちる危険はないし、雨に打たれることもない。目当ての本のタイトルがわからないのはかなり不安だけど、本の数は有限だ。私の自由な時間も有限だけど。
「確か、黒い布張りの表紙だったはずだけど……」
目についた書架の棚板を指でなぞりながら、私は記憶をたぐり寄せた。
『千恋』でラズリがここを訪れるのは、宮廷画家ミザールのルートだ。物腰柔らかで掴みどころのないミザールはラズリの手首に浮かんだ痣を見て、同じ痣を持つ女性を知っていると言う。それは古い肖像画に描かれた王家の女性で、断片的に明かされる王家と呪いの関係はクラトルートへと繋がっていく。
ミザールとラズリは痣と呪いの関係について調べる内に、アルドラ家の書庫にある古い本に辿り着く。千の呪い。その根源と、災いの影響。千恋の世界の根幹に関わる、いかにも重要そうな一冊は、この本の海に隠れている。
私は歴史書の棚の前に立ち、ずらりと並ぶ背表紙を見上げた。
……多分、ここにある本の七割が黒かそれに近い色だ。
濃紺も、深緑も、煤けた灰色も、古すぎて元の色がわからないものもある。しかもタイトルは古い書体で記されていて、ぱっと見ただけではどれが何の本なのか判別しづらい。
ミザールルートのラズリは、寮の門限を気にする様子もなく本を探し当てていた。岬の研究室といい、やっぱりヒロインはイベント進行力が違う。
私は梯子を引き寄せて、一冊ずつ本の背表紙を確認していった。棚の上段から下段へ。左から右へ。黒っぽい表紙の本を抜き出しては、ぱらぱらと中を開いて確認する。
王家の系譜。違う。
古代儀礼と装身具。ちょっと違う。
王宮料理の変遷。読んでみたいけど今じゃない。
「……指がかさかさになりそう」
思わず弱音を吐く私を、ほうきを手にしたメイドが心配そうに見ていた。優雅で知られる令嬢が突然地下書庫へ籠もって黒い本を片端から開き始めたら不安にもなるだろう。
「お嬢様、何かお探しの本がございましたら私が」
「ありがとう。でも自分で確かめたいの」
気持ちはありがたいけど、題名がわからなくては頼みようがない。あまり不審に思われないよう柔らかな笑顔でお礼を言ってから、私は再び棚へと向き合った。
(ディアは多忙だ。学園生活はもちろん、令嬢としてのレッスン、人付き合い、やるべきことはたくさんある。本探しに時間をかけたくない)
これだけ苦労して本を探し当てたところでクラトにとっての私は憎きアルドラ家の娘でしかないんだと思うと腹立たしい気もするけど、今は文句を言っている場合じゃない。
でも、いつか絶対にありがとうって言わせてみせる。
「……あ」
何冊目かもわからなくなった頃、指先が一冊の本に触れた。
黒い布張りの表紙。角は擦り切れ、背表紙の文字はほとんど読めない。けれど、表紙の中央には、銀糸で刺繍された円形の紋様が微かに見て取れた。
胸が高鳴った。
これだ。




