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岬の研究室3

 落ちる! ときつく目を閉じたのと、腕を掴まれたのは同時だった。


「――何をしている」


 低い声は、雨音の中でくっきりと響いた。

 引き戻される勢いのまま、私は誰かの胸元にぶつかった。濡れた黒い袖と、血が通っていないような冷たい指先。見上げると、長い前髪の奥から苛立ったような暗い色の瞳がこちらを見下ろしていた。


 クラトだった。


「ク、クラト……?」

「誰かと思えばアルドラ嬢ではありませんか、有意義な休日をお過ごしのようで何よりです」


 助けられた、ということはお礼を言うべきだろう。わかっているけれど、その言い方はなんとかならないのか。


「助けていただいたことには感謝します。ですが、もう少し言葉を選ばなくてはあなたの背負うものまで貶めることになりますわよ」

「あいにく、損なうほどの家柄は持ち合わせておりませんので。それよりも、こんな天候のなか崖沿いを歩いていたご自身を省みるべきでは?」


 正論だった。

 少し……かなり腹立たしいけれど。


 クラトは私の腕から手を離すと、崖から離れるように歩き出した。雨脚はますます強くなり、視界の端を白く煙らせている。岩場の奥を視線で示されて、わずかにためらってから後に続いた。


 そこは、海風を避けられる小さな洞穴のような場所だった。外からは岩陰に隠れていて、注意して見なければ気づかない。奥行きは浅いけれど、少なくとも雨をしのぐには十分だった。


「ひとまず、そちらに」


 短く言われて、私は洞穴の内側へ入る。濡れたスカートが足に張りついて気持ち悪い。髪もひどいことになっているに違いない。黄金の薔薇どころか、雨に打たれた雑草だ。

 クラトは入口近くに立ち、外の様子を確かめていた。黒いローブの肩は濡れて色濃くなっている。私と大差ないほどずぶ濡れなのに、気にしている様子はなかった。


「なぜ、あなたがここにいるのです」


 こちらを見ないまま、クラトが尋ねた。


「散歩……です」

「その靴で?」

「少し、足を伸ばしただけですから」

「この雨の中、崖沿いへ?」

「ええ、海を見たくて……降り始めたのは途中からですもの」


 言いながら、自分でも無理があると思った。案の定、ゆっくり振り返ったクラトのまなざしは冷ややかを通り越して呆れ気味で、私のバカ!と頭を抱えたくなる。

 ついでに言えば、さっき売り言葉に買い言葉で家の話を持ち出してしまったのも取り消したかったけど、今さらどうしようもなかった。


「あ、あなたの方こそ、どうしてこんな場所にいらしたのかしら」

「散歩ですよ」

「白々しいこと、何か隠しているのではありませんの?」

「平穏に暮らしたいのなら見なかったことにしろと申し上げたはずですが」


 クラトの声がいっそう体感温度を下げる。私から視線を逸らして、彼は再び雨に霞む岬へと向き直った。その横顔には、いつもの皮肉とは違う硬さがある。


「……このあたりは足場が悪いし、風も変わりやすい。貴族の令嬢がひとりで来る場所ではありません」

「ご忠告、痛み入りますわ」

「忠告ではなく警告です」

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