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第79話 三走の火

井坂は、受けた一歩目から違った。


荒い。


でも、荒いだけじゃない。


前にいる東陵大附属の三走――黒瀬。


その背中を、最初から視界の真ん中に置いて走る。


逃がさない。


二百手前。


そこで、すべての音が消えた。


風も。


歓声も。


スタンドから落ちてくる応援も。


世界から音だけが置き去りになったみたいに、


何も聞こえなくなる。


井坂の足音すら消える。


あるのは、


足裏に返るトラックの反発と、


前の背中へ吸い寄せられる感覚だけだった。


浅い。


でも、明確だった。


シンクロ。


観客席が遅れてざわめく。


音が遅れて戻ってくるころには、


もう井坂の加速は始まっていた。


「あれ、朝倉以外でも――」


「潮見の三走、誰だ?」


「今、入ったのか!?」


スタンドの反応が、


少し遅れて波になる。


一年マネたちの声も高くなる。


「井坂先輩ーっ!」


「いけーっ!」


「かっこいいー!」


井坂は聞こえていない。


音がない世界のなかで、


ただ黒瀬の背中だけを追っていた。


一歩。


また一歩。


離れていた差が削られる。


七番から、六番。


五番。


前の集団が一気に近くなる。


黒瀬の背中に、ほとんど並ぶ。


東陵の王様の置き場は三走だった。


でも、その区間で、


県立潮見の三走も同じ温度まで上がってきた。


最後の直線。


井坂は無理に抜き切りには行かなかった。


ここで全部を使えば、


渡した先が死ぬ。


勝つための無茶じゃなく、


つなぐための加速。


去年までとの違いは、そこだった。


東陵のすぐ後ろ。


前の集団に食い込む位置まで持っていって、


井坂は蓮へ渡した。


その瞬間、


四人分の熱がひとつに重なった。

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