第38話 卒業の背中
卒業式の日、校舎は春の光で明るすぎた。
別れの日なのに、景色だけは前へ進んでいる。
それが少しだけ腹立たしいと、蓮は思った。
窓の外のグラウンドには白線が残り、風で寄った砂が一方に薄く積もっている。
あの場所では昨日までと同じように走れるはずなのに、今日だけは何かの区切りが校舎じゅうに置かれている気がした。
神崎たちは制服姿だった。
ジャージでもスパイクでもないその格好が、逆に遠い。
部室の前で相沢がネクタイを緩めていて、遥にすぐ止められている。
「卒業式終わった直後にそれやるんですか」
「首苦しいんだよ」
「だらしないだけですよね」
「お前ほんと遠慮なくなったな」
「相手選んでるので」
「それ、俺ならいいって意味?」
「だいたいそうです」
「傷つくなあ」
西野が横で小さく笑い、すぐに目元をこすった。
泣いているのを見られたくないのか、俯き方が少しだけ不自然だった。
式のあと、陸上部だけで短い時間が取られた。
神崎は相変わらず長く話さない。
「勝て」
それだけだった。
真壁が苦い顔をする。
「雑だな」
「必要なことは分かるだろ」
「分かりますけど」
「なら十分だ」
瀬川が一歩前へ出る。
「今までありがとうございました」
神崎は短くうなずいた。
「瀬川。真壁を支えろ」
「はい」
「支えるだけじゃ足りないときは?」
「一緒に背負います」
「それでいい」
相沢は相沢で、真壁の肩を軽く叩いた。
「部長、怒鳴る前に見ろよ」
「誰が怒鳴るんですか」
「お前」
「否定できないの腹立つな……」
少し笑いが起きて、それからまた静かになる。
蓮の番になっても、うまい言葉は見つからなかった。
「……南関の続き、やります」
神崎はその短さを責めなかった。
「そうしろ」
「はい」
「あと、ひとつ」
「はい」
「あの感覚を、都合よく待つな」
蓮は息を詰める。
「……はい」
「来たなら受けろ。来ないなら、走力で押せ」
「分かりました」
「ならいい」
それが、神崎からの最後の指導みたいだった。
帰り際、神崎は校門のところで一度だけ振り返った。
大きく手を振るわけでもない。
ただ、視線だけをこちらへ寄越し、それから前へ向き直る。
その背中が、思っていたより速く遠ざかる。
西野がとうとう堪えきれずに顔を覆った。
「……無理です」
遥がその背中をさする。
「うん」
「終わるの、嫌です」
「うん」
「でも、行っちゃうじゃないですか」
遥はすぐに慰める言葉を探さなかった。
少しだけ間を置いてから、小さく言う。
「行くから、ちゃんと先輩なんでしょ」
西野は泣いたまま笑った。
「それ、ずるいです」
「知ってる」
そのやり取りを見て、蓮の胸の奥も痛くなる。
神崎たちはもう、南関で託した悔しさを受け取り返してはくれない。
これからは自分たちが次へ持っていくしかない。
真壁が校門のほうを見たまま言う。
「……行ったな」
瀬川が答える。
「はい」
「変な感じする」
「しますね」
「でも、やるしかないか」
「やるしかないです」
蓮も、遥も、西野も黙ってうなずいた。
卒業は終わりじゃない。
よくそう言う。
でも本当は、終わりであることを知ったうえで、それでも前へ進む日なのだと、蓮はその日ようやく分かった。




