第34話 予選を抜ける夜
南関の男子4×400mリレーは、予選と決勝に分かれている。
潮見にとって、その予選を抜けること自体がもう簡単ではなかった。
予選の招集前、真壁はいつもより口数が少なかった。
瀬川はプログラムのタイムテーブルを見ているふりをして、たぶん何も読んでいない。
蓮は自分の個人種目の疲労が脚のどこに残っているかを、無意識に探していた。
神崎だけが、いつも通りに見えた。
「真壁先輩」
遥が言う。
「最初、突っ込みすぎないでください」
「分かってる」
「分かってる人の顔じゃないです」
「お前ほんとよく見てんな」
「見てますから」
西野がその横でうなずく。
「真壁先輩、今日ちょっと前のめりです」
「お前まで言うのかよ」
「いや、でも本当に」
神崎が短く割って入る。
「真壁」
「はい」
「飛び出すな。持ってこい」
「……はい」
予選は、決勝ほど大きな絵にならなかった。
けれど、そのぶん今の潮見の実力がそのまま出た。
真壁が思ったより抑えて入り、順位を大きく落とさず戻る。
瀬川が受けて、乱れずに次へつなぐ。
蓮が三走で前を追い、神崎が最後に押し上げる。
派手な覚醒はない。
でも、県大会のころより明らかに流れは切れていなかった。
四人が別々に頑張るのではなく、一つの競技としてマイルをやっている感覚がある。
結果は、組二着。
決勝進出。
「行った……」
西野がほっとしたように言う。
「はい」
遥も息を吐く。
「でも、決勝はもっと速いです」
「分かってる」
真壁が言う。
「分かってるけど、今はちょっと喜ばせろ」
瀬川が珍しく笑った。
「そこはそうですね」
夜、宿に戻った部屋で、空気は県大会の前夜とは違っていた。
もう“行けるかもしれない”ではない。
決勝でどこまでやれるか、その一点に焦点が絞られている。
真壁はベッドに仰向けになって天井を見ていた。
瀬川はスパイクを拭いている。
蓮は窓の外の暗さを見ていた。
神崎は椅子に座っている。
相沢は壁にもたれていた。
最初に口を開いたのは相沢だった。
「県のときより焦ってるな」
真壁が答える。
「そりゃそうでしょ。南関の決勝っすよ」
「南関だからってだけじゃねえ」
瀬川が視線を上げる。
「個人の結果を見たから、ですね」
「それもある。朝倉は八位、神崎は七位」
部屋が少し静かになる。
「届かない位置が、数字になった」
誰も反論しない。
「だから明日、お前らは速く走ろうとする」
相沢は続ける。
「でもマイルで必要なのは、“自分が速いこと”だけじゃない」
瀬川がうなずく。
「流れを切らないこと、ですね」
「そう。渡したあとも切るな」
蓮が振り向く。
「渡したあとも、ですか」
「自分の区間が終わっても、そこで終わるな。次のやつに流したまま終われ」
神崎も口を開いた。
「いきなり完璧に合わなくていい」
四人の視線が集まる。
「ずれたら直せ。崩れたら戻せ。一本で全部合わせようとするな」
「はい」
「あと、朝倉」
「はい」
「前を見るな」
「え」
「順位じゃない。次の動きだけ見ろ」
「……はい」
少し沈黙があってから、真壁が天井を見たまま言った。
「七位って、きついっすね」
神崎が答える。
「きついな」
真壁は天井を見たまま続けた。
「六位が見えてたぶんだけ、余計きついです」
「そうだろうな」
神崎の声は低いままだった。
「でも、七位だから見えたこともある」
蓮は静かに息を吐いた。
「届かない場所の輪郭、ってこういうことなんですね」
「そうだ」
神崎は言う。
「だから明日、お前らはそれを見てこい」
夜は更けていく。
でも、誰もすぐには眠れなかった。
次の一本が、ただの決勝じゃないことを、もう全員が知っていた。




