第23話 瀬川の答え
日が落ちかけた頃、瀬川は一人でスタンドの上段にいた。
練習後、ノートを広げてラップを見ているのはいつものことだったが、その日は蓮が横に座った。
「見てるんですか」
「見てます」
瀬川はペン先で数字をなぞる。
「県の決勝、南関東標準、東陵の通過。全部です」
「……比べてるんですね」
「比べますよ」
瀬川は少し間を置いてから言う。
「東陵って、たぶん、特別な一本を当ててくるチームじゃないです」
「どういう意味ですか」
「毎回、ある程度同じ形で強いということです」
蓮は黙って続きを待った。
「県の決勝で、朝倉くんと神崎先輩の受け渡しは、確かにすごかったです」
「……はい」
「でも、向こうから見たら、“一回きれいに入った”だけかもしれない」
その言葉は、冷たいようで正しかった。
瀬川は続ける。
「東陵が怖いのは、偶然じゃなくて再現できることです。誰が走っても、どの組でも、大きくは崩れない。たぶん、そこが差です」
「じゃあ、俺たちは」
「再現できる形を増やすしかないです」
瀬川はノートを閉じた。
「シンクロみたいな一瞬を待つんじゃなくて、そこへ近づく普通を増やす」
蓮は遠くのトラックを見た。
誰もいない走路に、夕方の風だけが流れている。
「瀬川先輩って、八百の人ですよね」
「そうです」
「だから、そういう見方になるんですか」
瀬川は少しだけ考えた。
「あるかもしれません」
「配分とか」
「はい。八百って、最初から最後まで全力では走れないです。でも、途中で切り替えすぎても崩れます」
それは、どこかマイルの二走に似ていた。
「受けた流れを、自分の区間へなじませる。僕はたぶん、それを八百で覚えたんだと思います」
蓮はゆっくりうなずいた。
瀬川が最後に言う。
「だから朝倉くん」
「はい」
「県で起きたものを、奇跡みたいに思いすぎない方がいいです」
「……はい」
「きれいだったのは事実です。でも、次も起こしたいなら、まずは普通に繋げることです」
その言葉は、県大会の“すごかった一瞬”を否定しないまま、少しだけ地面へ下ろしてくれた。
スタンドを降りるとき、遥が下から手を振った。
「何話してたの」
「瀬川先輩の答え」
「ふーん。見つかった?」
蓮は少しだけ考えてから答える。
「たぶん、まだ途中」
遥は笑う。
「それなら大丈夫。途中って分かってるなら、まだ伸びるから」
その言い方は、驚くほど自然に胸へ入ってきた。




