第14話 立てなかった場所
一日目の競技がひと段落すると、スタンド下の空気は少し静かになった。
潮見の面々はベンチを囲むように座っていた。
蓮は400m予選通過。
神崎も400mハードルを勝ち上がった。
明日には蓮の準決勝、さらにその先がある。
西野がスポーツドリンクを配っていると、相沢が少し離れた通路から戻ってきた。
手にはテーピングの袋。
左腿に触れる手つきだけが慎重だった。
真壁が問う。
「相沢先輩、やっぱまだ駄目なんすか」
「駄目じゃない。でも、戻ってもない」
相沢はベンチの背に体重を預けた。
「朝倉、お前は俺のこと知らないよな」
「……はい」
「だろうな」
相沢は短く息を吐いた。
「俺、百がメインなんだよ。本当は四継の方が性に合ってる」
真壁が少し意外そうな顔をする。
「なのにマイルやってたんすか」
「この学校で四継を作るより、マイルを作る方がまだ可能性あったからな」
相沢の視線が、トラックの方へ向く。
「神崎がいて、二百の真壁がいて、八百も走れる瀬川がいて、つなげば形になるかもしれなかった。だったら、百の人間がちょっと我慢してでも、そっちに寄せた方がよかった」
瀬川が静かに聞いている。
「……今年も、そのつもりだったんですか」
「つもりだった」
相沢は即答した。
「最後の県だったしな」
その一言で、空気が止まる。
蓮は何も言えなかった。
言葉を差し込める場所ではなかった。
相沢は少しだけ空を見上げる。
「本当は来たかった」
今まででいちばん、熱のある声だった。
「立ちたかったよ。そりゃ」
誰も目を逸らさない。
「県って、そういう場所だろ。地区とは違う。ここを越えないと先はない。だから、最後にもう一回、ちゃんと立ちたかった」
そして相沢は前を向いた。
「でも、今立つのは俺じゃない」
真壁、瀬川、蓮、神崎。
その順に視線が流れる。
「お前らだ」
西野が息を飲む。
遥も黙って聞いている。
相沢は、少しだけ鋭さを戻した声で続けた。
「だから、軽く走るなよ」
真壁が口の端を上げる。
「それ、朝倉に一番言ってます?」
「全員に言ってる。特に朝倉だ」
蓮はまっすぐ相沢を見た。
「……はい」
「お前、速いのは分かる。でも、速いだけで預かれる場所じゃない」
相沢の声は低かった。
「区間も、バトンも、先輩が置いていった時間も、全部まとめて来る。重いぞ」
蓮は少し時間を置いてから返した。
「……はい」
相沢はそこでようやく少しだけ笑った。
「今の返事は悪くない」
その夜、帰りの電車の中でも、その言葉だけが蓮の中に残っていた。
自分はただ走るだけではない。
誰かが立てなかった場所へ向かっている。
その事実が、県大会の意味をひとつ重くした。




