表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/92

第12話 四百メートル予選

男子400m予選の招集所は、妙に静かだった。


誰も喋っていないわけではない。


だが、言葉が広がらない。


それぞれが自分のレーンだけを、体の中に作っているようだった。


ゼッケンを受け取って戻ると、通路の向こうに神崎がいた。


「朝倉」


「はい」


「最初の二百で急ぐな」


「……はい」


「抑えろって意味じゃない。自分の形を壊すなってことだ」


蓮はうなずく。


神崎が続ける。


「第三コーナーから入れ。お前の四百はそこからだ」


それだけ言って、神崎は去っていった。


その背中と入れ替わるように、相沢が壁の角から現れる。


「お前、神崎に『最初の二百で急ぐな』って言われただろ」


蓮は少し驚く。


「……はい」


「なら大丈夫だ」


「大丈夫ですかね」


「知らん。でも、同じところ見てるってことだろ」


相沢は蓮の肩口あたりを見た。


「上げるときは勝手に上がる。最初から自分で壊すなよ」


その言い方はぶっきらぼうだったが、蓮には不思議と入りやすかった。


コールが始まる。


レーンへ向かう。


スタートラインに立つと、視界が狭くなる。


隣の選手も、その外の選手も、近いのに遠い。


四百メートルは、いつもそうだった。


セット。


号砲。


踏み出しは悪くない。


速く出ようとしすぎない。


でも遅くもない。


二百までは、自分の形を壊さない。


バックストレートを抜ける。


前のレーンの選手との距離が、視界の端でわずかに縮まる。


第三コーナー。


ここからだった。


中学の頃から、勝負が動くのはここだった。


苦しくなる。


でも、それでも前へ行ける。


苦しさを抱えたままペースを落とさない。


第四コーナーへ入ってもフォームがくずれない。


それが蓮の400mだった。


県の舞台でも、その感覚は消えていなかった。


腕が振れる。


接地が流れない。


呼吸は苦しいのに、まだ崩れない。


ホームストレート。


無理に暴れず、最後まで前を見たまま押し切る。


ゴール。


タイムを確認する前に、肺が焼ける。


それでも止まり方は悪くなかった。


場内モニターに結果が出る。


組一着。


内容でも、タイムでも残った。


戻ってきた蓮を、真壁が珍しく興奮した顔で迎える。


「おい、朝倉、普通に一着じゃねえか」


「普通に、って何ですか」


「普通に、は普通にだよ」


瀬川がタオルを差し出す。


「お疲れさまです。第三コーナー、良かったです」


「ありがとうございます」


「ただ、最後の直線だけ少し肩が上がりました」


「……そこまで見てるんですね」


「見ます」


瀬川はいつも通りだった。


神崎は一度だけ蓮の目を見る。


「悪くない」


相沢は拍手もせず、ただ短く言った。


「今ので満足した顔するなよ」


蓮はすぐに姿勢を正す。


「はい」


相沢が少しだけ口元を動かした。


「その返事なら、次も行ける」


県大会の掲示板の中に、自分の名前が残っている。


それは思ったより静かに、しかし確かに、蓮の胸に落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ