第11話 県の空気
会場の中は、外から見るより広かった。
トラックの赤、芝の緑、スタンドの影。
競技の進行を知らせるアナウンスが、天井のない空に吸い込まれていく。
潮見の面々はスタンド下の一角に荷物を置いた。
今日の蓮は男子400m予選。
神崎は400mハードル。
マイルリレーは翌日以降だ。
蓮がスパイクを履き替えていると、瀬川が隣に腰を下ろした。
「朝倉くん、少し首が固いです」
「……分かりますか」
「分かります」
瀬川はいつもの調子で言う。
「朝倉くんって、走る前、先に首と肩へ出るので」
蓮は苦笑する。
「見られてるな」
「見ますよ。同じチームなので」
その自然な言い方に、少しだけ呼吸がしやすくなった。
少し離れた場所で、相沢がサポーターの上から腿に手を当てていた。
今日は走らない。
走れない。
それでも会場に来ているだけで、そこにいる重みが違う。
神崎が蓮を呼ぶ。
「朝倉」
「はい」
「自分のレースまでは、県の空気を見ておけ」
「空気、ですか」
「足の速さだけじゃない。招集に入るまでの顔、スタート前の立ち方、終わったあとの戻り方。県はそこに出る」
蓮は競技場を見た。
短距離の選手が通路を歩く。
フィールドの選手が静かに集中している。
勝って喜ぶ声より、負けて黙る背中の方が強く残る。
「地区より、静かですね」
蓮が言うと、神崎はうなずいた。
「騒がないだけだ。中でやってることは、地区よりずっと大きい」
真壁が荷物を漁りながら口を挟む。
「それ、余計に緊張しません?」
「する」
神崎は即答した。
「でも、その緊張ごと持って行くしかない」
相沢が壁にもたれたまま言う。
「慣れてるふりだけはするなよ。県でそれやると、一番中途半端になる」
西野が少し目を丸くした。
「相沢先輩、そういうのも分かるんですね」
「分かるよ。昔やったからな」
真壁が吹き出す。
「やったんすか」
「やった。で、遅くなった」
蓮は思わず笑いかけて、でもすぐに表情を戻した。
まだ体の中の緊張は解けきっていない。
遥がスタンドの手すり越しにトラックを見ながら言った。
「見てると、分かるね」
「何が」
「県に来てる人って、速いだけじゃない。迷ってない」
蓮はその言葉を聞いて、自分の中を探った。
迷っていないわけではない。
怖くないわけでもない。
でも、だからといって引き返す気もなかった。
午後の招集時間が近づく。
蓮は立ち上がり、深く息を吸った。
県大会の空気は、まだ重い。
けれど、もう遠くはなかった。




