誰でしょうか?
一話目の原稿を読み終えた美心と咲希は、しばらく黙っていた。
春香が描いた異世界漫画。
物語は始まったばかりだというのに、主人公スズの両親が襲撃に巻き込まれ、スズ自身も魔物に襲われる。
そこから命からがら逃げ延び、傭兵たちに助けられる。
怒涛の展開だった。
「春香さん」
「なに?」
「いきなり主人公の両親を死なせるの、なかなかエグいっすね」
「そう?」
「そうですよ」
美心は真顔で原稿を指差した。
「しかも最後は綺麗なお姉さんに拾われて終わり。読者の感情をジェットコースターに乗せる気っすか?」
「そのくらいの方が、続きが気になるでしょ」
春香は悪びれる様子もなく笑った。
その隣では、咲希が一話目の原稿をもう一度読み返している。
「私は結構好きですよ」
「本当?」
「はい。スズちゃんが、この先どうなるのか気になります」
「さすが咲希ちゃん。分かってるね」
春香が嬉しそうに頷く。
すると、咲希が一枚の原稿を指差した。
「でも先生」
「ん?」
「ゴンズさんが熊って言われるところ、結構好きです」
「でしょ?」
春香の顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、二話目も読んでみて」
「了解っす」
「はい」
二人は二話目の原稿へ視線を落とした。
◇◇◇◇◇
朝。
夜が明ける少し前から、私は目を覚ましていた。
目を開ける。
知らない天井。
ここがどこなのか、一瞬だけ分からなかった。
けれど――。
昨日の出来事が、頭の中に蘇ってくる。
馬車。
お父さん。
お母さん。
血。
ゴブリン。
思い出した瞬間、胸の奥が強く締め付けられた。
私は布団の端を握りしめる。
泣きたくなる。
でも、泣いてはいけない。
昨日、たくさん泣いた。
泣いて、泣いて、泣き疲れて。
それでも――。
お父さんも、お母さんも帰ってこなかった。
「……お父さん」
小さく呟く。
返事はない。
分かっている。
それでも、もう一度だけ。
「お母さん……」
目の奥が熱くなる。
私は慌てて目を擦った。
その時だった。
「スズ、おはよう」
テントの外から声が聞こえた。
私は涙を拭い、ゆっくりと外へ出る。
「お嬢ちゃん、おはよう」
焚き火のそばには、アランさんとゴンズさんが座っていた。
「おはようございます、アランさん。ゴンズさん」
笑顔を作る。
ちゃんと笑えているだろうか。
自分では分からない。
ただ、二人が一瞬だけ目を見開いた。
そして、少し悲しそうな顔をする。
理由は分かっていた。
目が痛い。
昨日、泣きすぎたから。
「よく眠れたか?」
アランさんが優しく尋ねる。
「はい」
私は嘘をついた。
ほとんど眠れていない。
目を閉じるたび、昨日の光景が浮かんできたからだ。
アランさんは何も聞かなかった。
ただ――。
ぽん。
優しく私の頭を撫でた。
「そうか」
それだけ。
でも、その一言が今はありがたかった。
何も聞かれたくなかった。
昨日のことを話したら、また泣いてしまいそうだったから。
少し離れた場所では、ユウさんがこちらを見ていた。
目が合うと、優しく微笑んでくれる。
その笑顔を見るだけで、ほんの少し心が落ち着いた。
やがて朝食を終えると、皆が出発の準備を始めた。
テントを畳む。
荷物をまとめる。
馬の状態を確認する。
誰も慌てていない。
昨日、あれだけの魔物を相手にした人たちとは思えないほど、いつも通りだった。
この人たちは、いったい何者なんだろう。
「スズ、準備できたぞ」
アランさんに声をかけられ、私は我に返った。
「はい!」
皆が馬に乗り始める。
すると――。
「お嬢ちゃん」
ゴンズさんが手を差し出した。
「俺の馬に乗るか?」
私はゴンズさんを見る。
大きな身体。
太い腕。
そして――昨日、熊と間違えた顔。
「…………」
私は何も言わず、そっとゴンズさんから視線を逸らした。
「おいおい!」
ゴンズさんが驚く。
私はそのままユウさんのところへ歩いていった。
「ユウさん」
「どうしたの?」
「乗るなら、ユウさんの馬がいい」
上目遣いでお願いすると、ユウさんは嬉しそうに笑った。
「もちろんいいわよ。一緒に乗りましょう」
「やった」
ユウさんが手を差し出してくれる。
私はその手を握った。
それだけで、昨日から胸の奥にあった不安が少し薄くなった。
「ゴンズ、残念だったな」
アランさんが笑う。
「お嬢ちゃんに完全に嫌われたじゃねぇか」
「嫌われてないですよ!」
思わず言い返してしまった。
「じゃあ俺の馬に――」
「でもユウさんがいいです」
「やっぱり嫌われてるじゃねぇか!」
周囲から笑い声が起こる。
私も――。
ふふっ。
小さく笑っていた。
久しぶりに、自然に笑えた気がした。
ユウさんに抱き上げてもらい、馬の前に座る。
背中から伝わってくる温かさ。
馬がゆっくり歩き始める。
規則的な揺れに身体を預けながら、私はふと疑問に思った。
「ユウさん」
「なに?」
「ユウさん達って、冒険者なんですか?」
「違うわよ」
「じゃあ、何なんですか?」
「私達は傭兵よ」
「ようへい……?」
聞いたことのない言葉だった。
「傭兵っていうのはね。国や領主から依頼を受けて戦ったり、魔物を討伐したりする仕事をしている人たちのことよ」
「じゃあ、皆強いんですか?」
「それなりにはね」
ユウさんが笑う。
それなり。
そんな言葉で済ませているけれど、昨日の戦いを見れば分かる。
皆、とても強かった。
ゴブリンなんて、まるで相手になっていなかった。
「今からどこへ行くんですか?」
「私達のホームよ」
「ホーム?」
「タツノ共和国っていう国にあるの」
「タツノ共和国……」
知らない国。
知らない町。
これから私が行く場所。
少しだけ不安になる。
けれど――。
「私も一緒に行っていいですか?」
気付けば、口にしていた。
ユウさんが驚いたように私を見る。
そして、少し困ったようにアランさんへ視線を向けた。
アランさんが馬を寄せてくる。
「スズ」
「はい」
「悪いが、一緒には行けない」
胸の奥がズキッと痛んだ。
「……どうしてですか?」
「俺達の仕事は危険なんだ。スズを連れて行ったら、守りながら戦わなきゃならない」
「私、邪魔しません」
「そういう問題じゃない」
アランさんは真剣な顔をしていた。
「スズを危険な目に遭わせたくないんだ」
その言葉を聞いて、私は黙った。
邪魔だからじゃない。
嫌われたわけでもない。
ただ――。
心配してくれている。
そう分かった。
「……分かりました」
寂しい。
昨日会ったばかりなのに。
私はもう、この人たちと離れたくなくなっていた。
そんな私を見て、アランさんが少し考える。
「じゃあ、約束しよう」
「約束?」
「ああ」
アランさんが私を見る。
「スズが十歳になって、スキルを授かった時だ」
「はい」
「その時に、まだ俺達と一緒に行きたいと思っていたら――迎えに行く」
「……本当ですか?」
「ああ。本当だ」
胸の奥が、一気に明るくなった。
「じゃあ、私も強くなります!」
アランさんが笑う。
「そうだな。自分の身くらい守れるようになっておけ」
「はい!」
私は力いっぱい頷いた。
五年後。
私は十歳になる。
その時までに強くなる。
そして――。
もう一度、この人たちに会う。
それが、今の私にできた新しい目標だった。
◇◇◇◇◇
それからしばらく馬を走らせ――。
私達はテンノオクニという国にある、ポンポコ領へ入った。
やがて、小さな建物が見えてくる。
「あそこが孤児院よ」
ユウさんが教えてくれた。
建物の周囲には畑があり、何人もの子供たちが走り回っている。
私と同じくらいの年齢の子もいた。
「ここで暮らすの?」
「そうよ」
馬から降りる。
少し緊張した。
知らない場所。
知らない人。
それでも、ここで暮らしていかなければならない。
アランさんたちがシスターに事情を説明する。
シスターは私を見ると、優しく微笑んだ。
「今日からここがあなたのお家よ」
「……はい」
その言葉を聞いた瞬間、胸が苦しくなった。
お父さんも、お母さんもいない。
帰る家もない。
それでも、この人は私を受け入れてくれる。
「よろしくお願いします」
私は深く頭を下げた。
「こちらこそよろしくね、スズ」
シスターが私の頭を撫でる。
優しい手だった。
また涙が出そうになる。
でも――。
今日は泣かない。
アランさんたちの前では笑っていたい。
私は振り返った。
「アランさん」
「ん?」
「ありがとうございました」
深く頭を下げる。
すると、ユウさんが私を抱きしめてくれた。
「また会いましょうね」
「はい」
ゴンズさんも近づいてくる。
「じゃあな、お嬢ちゃん」
大きな手が私の頭に乗る。
「五年後には、もっと大きくなってるんだろうな」
「はい!」
私は笑った。
三人が馬に乗る。
皆がこちらに手を振っている。
私も力いっぱい手を振り返した。
「ありがとうございました!」
馬が少しずつ遠ざかっていく。
「五年後にまた会いましょう!」
念を押すように叫ぶ。
アランさんが、前を向いたまま拳を上げた。
それだけで十分だった。
きっと約束を覚えていてくれる。
私は小さくなっていく背中を、いつまでも見つめ続けた。
そして――。
心の中で誓う。
五年後。
その時には、今よりずっと強くなっておく。
もう、誰かに守ってもらうだけの自分ではない。
自分のことくらい、自分で守れるようになる。
「スズちゃん」
シスターに呼ばれる。
私は振り返った。
「はい!」
新しい生活が始まる。
五年後の再会を胸に抱きながら、私は孤児院の中へ歩いていった。
◇◇◇◇◇
原稿を読み終えた美心が、顔を上げた。
「なるほど」
「どう?」
春香がニヤニヤしながら聞く。
「春香さん、今回は結構いい話っすね」
「今回はって何よ」
「一話目は両親死んでるっすから」
「…………」
春香が少しだけ目を逸らした。
「それで?」
「このキャラ達、誰を参考にしてるんすか?」
「そこに気付いた?」
「もちろんっす」
美心が腕を組み、考え始める。
「ユウは……あの作品に出てくる、兎が好きなエルフっすよね?」
「正解」
「アランは某アニメのイケメンカフェ店員」
「正解」
「どうっすか、私の推理力!」
「まあまあね」
「なんで上から目線なんすか!」
美心が抗議する。
咲希は、そんな二人を見ながら小さく笑っていた。
「あと一人、ゴンズさんは分かりました?」
「うーん……」
美心が眉間に皺を寄せる。
「分からないっす」
「ゴンズは熊」
「熊?」
「そう。ただの熊」
「そんなの分かるわけないっすよ!」
美心が地団駄を踏む。
春香は満足そうに笑った。
「ふふふ」
「春香さん、絶対それがやりたかっただけっすよね?」
「何のことかな?」
美心は納得できない顔をしながら、もう一度原稿を見る。
「じゃあ、スズちゃんは誰がモデルなんすか?」
春香は少しだけ考える。
「白髪美少女」
「いや、それ見れば分かるっす!」
「そう?」
「誰を参考にしたんすか!」
美心が春香の肩を揺さぶる。
春香は楽しそうに笑った。
「ひ・み・つ」
「教えてくださいっす!」
「まだ秘密」
そんな二人のやり取りを眺めながら、咲希は完成した原稿へ視線を戻す。
物語は、まだ始まったばかり。
スズの五年間が、これから始まろうとしていた。




