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第3話 黄金の埋立地

 神聖公社・北域監査局の地下。ここは地上の喧騒とは無縁の、淀んだ魔導配管が唸りを上げる「第6査定課」のオフィスである。壁に貼られた古い大陸地図は端がめくれ、公社が「清算済み」とした土地は、全て無慈悲な黒塗りのシールで覆われていた。

「ルシア、資金の状況は? 次の目的地は北部最大の経済都市、セフィロトだ。あそこでは呼吸をするのにも手数料を取られると聞く。僕たちの全資産が、目的地に着くまでに蒸発してしまわないか心配だよ」

 アッシュは、肩にかかる灰色の髪を慣れた手つきで後ろに括り直し、穏やかな手つきで旅装を整えていた。彼の前には、ルシアによって完璧に分類された数千枚の電子公文書が、青白いホログラムとなって漂っている。

「……通常職務の三倍は確保しています。ですが課長、局長から提示された今回の移動予算は、通常の広域監査業務の40%以下です。これは『徒歩で行け』と言外に告げられているに等しい。極めて非論理的な数値です」

 ルシアは十字架の刻印が刻まれた白銀の聖剣を、汚れ一つない布で磨きながら淡々と答える。彼女の青い瞳は、既に経済都市の物価指数をリアルタイムで演算し始めていた。

「はは、いつもの嫌がらせさ。予算がないなら、現地で『価値』を見つけて調達するまでだよ」

 アッシュの言葉に、部屋の隅で巨躯を休ませていたギルバートが、大斧の刃を砥石で擦りながら鼻で笑った。

「その『価値』ってのが、いつも魔物や悪人の首だの、役人の不祥事の証拠だのになるから俺の仕事が減らねえんだ。……なあアッシュ、今回の案件、俺の『身分』も担保に入ってねえだろうな?」

「まさか。君は僕の『最も信頼できる固定資産』だ。手放すわけがないだろう」

 アッシュは微笑み、使い古された「第6課長」の印章をコートのポケットに仕舞い込んだ。その穏やかな眼差しには、これから飛び込む伏魔殿への冷徹な観察眼が既に宿っていた。






 局を後にした三人は、凍土を貫く公社専用の魔導列車アーキバス・レールに揺られていた。

 車内は、公社の役人たちが静かに数字と睨み合う、墓場のような静寂に包まれている。ゼノ大陸において、鉄道は単なる移動手段ではない。それは「管理された文明」の血脈であり、線路の周囲数キロメートルを護る結界の内側だけが、人が人として生きることを許された場所だった。

 窓の外には、一見すると美しい白銀の世界が広がっているが、アッシュはそこに「欠落」を見ていた。

「……ルシア、あの谷沿いにある崩れた石積みの家々が見えるかい?」

 アッシュが窓の外を指さす。そこには、数年前まで確実に存在していたであろう集落の残骸が、雪に埋もれかけていた。

「三年前の『地域統合監査』で、あそこの版籍BSは債務超過デフォルトと判断された。アセット(土地)は接収され、住民は労働区画へ。今やあそこは公社の地図上では『透明な土地』だ。存在しないことになっている」

「住民の生産性が、公社の結界維持コストを下回った結果です。公社の資源の最適分配において、あの廃棄は不可避であったと記録されています」

 ルシアの声に、アッシュは悲しげに目を細めた。

「合理的、か……。だが、あの村の広場には、冬の間だけ咲く美しい花があった。誰もその価値を帳簿に算入しなかった。それが、僕にはどうにも納得いかなくてね」

 ギルバートは黙って、革袋に入れた安酒を煽った。彼は、アッシュがその「帳簿に載らない花」を守るために、どれだけの不利益を被り、自身の将来を切り売りしてきたかを知っている。それは騎士道とも違う、もっと狂信的で静かな「価値への執着」だった。






 経済都市セフィロトへと続く巨大な検問所「天秤のリブラ・ゲート」。

 ここは「管理された貧困」である北部地方と、欲望が渦巻く「黄金の特区」セフィロトを隔てる、世界で最も冷酷なフィルターである。

 列車の乗客は一人ずつ、ゲートで個人IDと紐付けられた「現存資産」を厳重にチェックされる。残高がセフィロトへの滞在基準を下回る者は、その場で列車を強制下車させられ、辺境の採掘場へと送られるのだ。

「第6査定課、アッシュ・エインズワース以下三名。特別監査公務につき、検問の免除を申請する」

 アッシュが提示した公印に対し、検問官は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「第6課……ああ、あの『吹き溜まり』か。おまけに連れているのは機械人形と、元・罪人の傭兵。まともな残高も証明できない連中が、セフィロトで何を監査するというんだ? 邪魔だ、下がれ」

 周囲の役人たちから嘲笑が漏れる。だが、アッシュの微笑みは一切崩れなかった。

 背後でギルバートが、愛用の斧の石突をドォン、と重苦しく床に叩きつける。その漆黒の瞳が検問官を射抜くと、周囲の空気が一瞬で氷点下まで下がった。

 ルシアが冷徹な一歩を踏み出し、無機質な声で追い打ちをかけた。

「検問官殿。現在、貴公の個人口座における過去三年間の資産推移に、公社規定の0.04%を超える不自然な増分を検知しました。今ここで『詳細監査』を開始してもよろしいですが……ゲートの開放と、どちらが合理的か判断を仰ぎます」

 検問官の顔がみるみる青ざめ、震える手で認証キーを叩いた。ゲートが開く音を聞きながら、アッシュは「ありがとう」と穏やかに告げ、再び歩き出した。






 検問を抜けると、世界の色が塗り替えられた。

 雪は止み、夜だというのに空は巨大なホログラム広告の暴力的な輝きで黄金色に染まっている。空飛ぶ輸送船が星のように行き交い、雲を突き抜けるほどの超高層ビル群が、文字通り「金の成る木」のようにそびえ立っていた。

 ホームに降り立つと、北部の静寂とは真逆の、数百万人の足音と、電子通貨の決済音が雨のように降り注ぐ。

「……酷い臭いだ。金と、それを奪い合う獣どもの血の匂いが混じり合ってやがる」

 ギルバートが不快そうに顔を顰め、背負った大盾の重さを確かめるように肩を揺らした。ルシアは周囲から押し寄せる膨大な情報トラフィックを処理するため、青い瞳の光を激しく明滅させている。

「セフィロト当局より通信。我々の滞在期間中、第6査定課に割り当てられた予算は『ゼロ』。現地での自活、および独自の収益化による監査費用の捻出を命じる、とのことです」

「ははは、期待通りの歓迎だね」

 アッシュは眩いばかりの街並みを見上げ、コートの襟を正した。

「これだけ光が強いんだ。きっと、隠されている『余白』も、とびきり深いところに沈んでいるはずだよ。さあ、仕事にかかろうか。北部一汚い帳簿を、綺麗に書き換えるためにね」

 第6査定課。公社の面汚しと蔑まれる三人の影が、欲望の都セフィロトの奥深くへと、静かに溶け込んでいった。

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