第2話 吹き溜まりの天秤
「……ナハト村の事後報告書です。ちょうど一年前のあの日、アッシュ課長が『重要文化財候補』と定義したあの故障機械は、結局一度も稼働することなく、先月、正式に鉄屑として処分されました」
神聖公社、北域監査局の重厚な石造りの回廊。
ルシアの淡々とした声が、規則正しい足音と共に響く。彼女の白銀の髪は1年前と変わらず美しく整えられ、その青い瞳は手元の端末に映る「赤字」の羅列を冷徹に追い続けていた。
「最終的な回収率は、投資額のわずか0.8%。公社始まって以来の、歴史的不良債権です。……本日、局長がわざわざ貴方を呼び出した理由、お分かりですね?」
アッシュ・エインズワースは、肩で括った灰色の髪を少し揺らし、相変わらずの穏やかな微笑を浮かべて歩いていた。
1年前、ナハト村を救うために自らの資産をデポジット(供託)した代償は、彼のコートの袖口に微かな綻びとして現れている。だが、その眼差しに宿る熱量は、少しも衰えてはいなかった。
「0.8%も回収できたのか。上出来だよ、ルシア。……あそこの子供たちは、その0.8%の時間を使って、隣町へ移住するための学業を修めることができたんだから」
「それは帳簿には載らない主観的価値です。……着きましたよ、課長」
二人の前で、巨大な黒檀の扉が開く。
室内には、重厚なデスクに鎮座する北域監査局長と、アッシュを失脚させようと目論む他部署の監査官たちの刺すような視線が待っていた。
「……エインズワース第6課長。君の『慈悲』という名の粉飾決済には、公社もいささか飽き飽きしていてね」
局長が、空中に巨大な「版籍BS」の位置情報ホログラムを展開する。そこには、アッシュがこの1年で「清算保留」にしてきた数々の村や街のリストが、血のような赤色で点滅していた。
「この1年、君が救ったとされる土地の多くは、依然として公社の利益に貢献していない。君がどれほど有能な監査官だろうと、数字が嘘をつかない以上、これ以上の独断は許されない。……だが、君に最後の『挽回』の機会を与えよう」
局長が提示した新しい案件。
それは、北部最大の経済都市に関連する、あまりにも巨大で、あまりにも「真っ黒な」不採算事案だった。
扉の外で待機していたギルバートが、壁に寄りかかりながら漆黒の瞳を向ける。彼はアッシュが部屋から出てくるなり、赤黒い短髪を掻きながら低く笑った。
「……おいおい、アッシュ。今度はどんな無茶を押し付けられた? お前の顔を見りゃあわかる。また、俺の盾がボロボロになるような『損な役回り』を引き受けてきたんだろ」
アッシュは微笑みを崩さない。だが、その瞳の奥で、静かな炎が揺らめいた。
「ああ。どうやらお偉いさん達は、僕の帳簿に『余白』があるのが、よっぽど気に入らないらしい」
第6査定課、通称「吹き溜まり」。
世界から見捨てられた価値を拾い集める彼らの、これまでで最も長く、最も困難な監査が始まろうとしていた。




