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第1話 灰色の炎

ゼノ大陸北部、神聖至上国家アーキバスの辺境に位置するナハト村。

 吹き荒れる雪が空を覆っている。それはこの土地を世界の帳簿から白く塗り潰そうとする、神聖公社の冷徹な意思そのものに見えた。

「ナハト村、直近の版籍BS(土地の統合資産状況)を再確認。住民の高齢化に伴う負債増、および魔導リソースの枯渇。本地域の最終格付けは――『D:不適格ジャンク』。もはや維持コストをペイできる見込みはありません」

 透き通るような無機質な声が、吹雪を割って響く。

 アッシュの傍らに立つ監査用アンドロイド、ルシアは、淡い青に発光する瞳でホログラム・ディスプレイを操作していた。その白銀の髪に雪が舞い落ちるが、彼女は瞬き一つしない。

「アッシュ。これより本村の『一括清算』を執行します。貴方の認証をもって、この村の全住民は公文書から抹消されます。――宜しいですね?」

 アッシュ・エインズワースは、仕立ての良い濃紺のコートの襟を立て、澄んだ灰色の瞳で村の広場を眺めていた。

 視線の先には、公社からの清算の通知に絶望し、身を寄せ合う老人たち。そして、折れたシャベルを握りしめ、言葉にならない怒りでこちらを睨みつける一人の少女が立っていた。

 アッシュが指先一つ動かせば、村を護る結界は霧散し、飢えた魔物がなだれ込む。食糧も、熱源も、そして「生存する権利」さえも、この雪の中に消えていくのだ。

「……あーあ、またこの空気かよ。アッシュ、さっさとハンコ押して帰ろうぜ。こんな凍えそうな場所で死人の顔を眺めてるのは、さすがの俺でも気分が良くねえ」

 背後で、赤黒い短髪を揺らした巨漢――ギルバートが鼻を鳴らす。身の丈ほどもある大斧を雪に突き立て、彼は漆黒の瞳を周囲の闇に向けていた。公社の供給が止まる「その瞬間」を嗅ぎつけ、住民の光殻ルミナル・シェルを剥ぎ取りに来るハイエナたちの気配を察しているのだ。

 アッシュは無言で、手元の監査端末を手に取った。

 画面中央に躍る「一括清算:承認」の巨大なボタン。だが、アッシュの指先はそのボタンを無視し、流れるような動作で深層メニューの検索窓を叩いた。

「……ルシア。広場の中央にある『故障した雪原用大魔導採掘機』。あれのエントリ項目を『管理用備品』から『重要文化財候補』に書き換えてくれ」

 アッシュの穏やかな、しかし芯の通った声が響く。

「僕の個人資産を、機械の修理費と向こう五年分の維持費としてデポジット(供託)しておく。名目は『歴史的資産の保存による中長期的な地域価値の再評価』だ」

 ルシアの手が止まった。彼女は首を僅かに傾け、低位置からアッシュを静かに見上げる。

「またですか。……非論理的です。その残骸を維持するコストは、清算によって得られる端金を上回りません。アッシュ、こんなことばかり続けていては、いずれ貴方自身が公社に清算されることになります」

「分かっているよ。でもね、ルシア」

 アッシュは微笑みを絶やさぬまま、端末の画面をスワイプした。

「この村が『まだ動く可能性のある機械』を持っているという事実は、帳簿上の死んだ数字よりもずっと強い。……この命の価値を決めるのは公社じゃない、僕なんだ」

 指先が空を切り、アッシュの光殻が村の資産へと振り替えられる。

 公社の回線が遮断される寸前、アッシュが強引に「資産」へと昇格させた古い採掘機を中継点として、村の街灯に淡い、しかし確かな光が灯った。

 形式上、この村は「価値ある重要資産を維持する拠点」へと書き換えられ、首の皮一枚で世界と繋ぎ止められたのだ。

「……ハッ。死に急ぐなよ、アッシュ」

 ギルバートが、溜息混じりに笑って大斧を担ぎ直した。

 彼は巨大な盾を構え、雪の向こうから現れた略奪者たち――清算を待ち構えていた「ハイエナ」たちを、獰猛な笑みで睨みつける。

「お前がただの『灰』になっちまったら、誰が俺の身分を保証してくれるんだ? ……いいぜ、そのイカれた投資、俺も乗ってやるよ。精々、お前の帳簿が赤字で埋まるまでな」

 ゼノ大陸の片隅。

 世界を管理する巨大な帳簿に、一人の監査官が「不合理な余白」を刻み込んだ瞬間だった。

 アッシュの穏やかな眼差しの中には、吹雪の中でも決して消えない、静かな熱が燃えていた。

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