第三話:前世知識×精霊魔法
「アルフレッド様……本当によろしいのですか? このような、泥遊びのようなことを……」
獣人の少年ガインは、戸惑いを隠せない様子で僕の手元を覗き込んでいた。
僕の目の前には、庭園の一角を掘り返して作った、奇妙な形の「水溜まり」がある。底にはきめ細かな砂を敷き詰め、周囲には特定の配列で石を並べた。
「泥遊びじゃないよ、ガイン。これは『精霊の休憩室』兼、最高級の肥料生産プラントだ」
僕は五歳児の小さな手で、丁寧に土を均した。
前世の植物学者としての知識によれば、土壌の再生には微生物の活性化が不可欠だ。だが、この世界には微生物の代わりに「地精」や「水精」の幼体が、目に見えないほど細かな魔力素として漂っている。
彼らが「あそこに行けば美味しい魔力が吸えるし、居心地がいい」と噂し合うような環境を作れば、土は勝手に肥え、植物は勝手に育つ。
「ガイン、そこに置いてある『熟成させた落ち葉』を撒いてくれるかい? それと、僕が昨日作った、あの青い液体の瓶を」
「は、はい! これですね」
ガインは、僕が厩舎の隅でこっそり発酵させていた「特製発酵液(EM菌の魔力版のようなもの)」を、恐る恐る水溜まりに注いだ。
その瞬間。
大気が、震えた。
「……っ!?」
ガインが息を呑む。
彼のような獣人は、人間よりも精霊の気配に敏感だ。
水溜まりに注がれた液体が、僕の「無色の魔力」と反応し、淡い、真珠のような光を放ち始めたのだ。
すると、どこからともなく、キラキラとした光の粒が次々と集まってくる。
一匹、二匹ではない。庭園中の、いや、公爵邸の森の奥からさえも、精霊たちが吸い寄せられるようにやってきた。
「……あったかい……」
「……ここ、すき……」
精霊たちの微かな囁きが、風に乗って聞こえる。
彼らは水溜まりの周りに集まり、楽しげに踊り始めた。
精霊たちが踊れば踊るほど、周囲の空気は澄み渡り、地面からは瑞々しい草花の芽が、目に見える速さで顔を出していく。
「アルフレッド様、これは……! 枯れていたバラが、さっきよりもずっと、輝いて見えます!」
「当然さ。彼ら(精霊)に無理をさせるんじゃなく、彼らが『働きたくなる環境』を整えたんだから。……さて、ガイン。福利厚生が整ったら、次は『収穫』だ」
僕は、蘇ったバラの茂みの奥にある、一株の野草を指差した。
それは、本来なら毒草として忌まわしき存在とされる「月見草の変種」だった。
「これに、精霊たちの力を少しだけ分けてもらう。……お願いできるかな?」
僕が声をかけると、一番大きな光の粒が、野草の蕾にスッと溶け込んだ。
一瞬にして、蕾は黄金色に染まり、夜でもないのに太陽のような輝きを放ちながら開花した。
「……よし、成功だ。これこそが、ベルシュタイン領を救う最初の商品——『黄金の精霊茶』の原料だよ」
その日の午後。
僕は、公爵邸の最上階にある、父の執務室の前に立っていた。
横には、緊張で耳を倒し、借りてきた猫のように丸まっているガインが、小さな木箱を抱えて控えている。
「……入れ」
重厚な声。
扉を開けると、そこには書類の山に囲まれ、眉間に深い皺を刻んだ父・エドワード公爵がいた。
彼は、一ヶ月前に「無能」と切り捨てたはずの息子を、一瞥もせずにペンを走らせている。
「アルフレッドか。……遊びの相談なら、後にしろ。今、領内では流行り病と不作で、お前を構っている余裕はない」
「遊びではありません、お父様。領地の『経営再建案』を持ってまいりました」
ペンが、止まった。
父がゆっくりと顔を上げ、氷のような眼光を僕に向ける。
五歳の子供が口にするには、あまりに不釣り合いな言葉。
「……何と言った?」
「ベルシュタイン領の財政を圧迫しているのは、北部の流行り病に対する、高価な魔力薬の輸入コストです。それを解決するための『特効薬』を、僕の庭で作りました」
僕はガインに目配せをした。
彼は震える手で木箱を開け、中から一包みの茶葉を取り出した。
「ふん……。精霊に嫌われたお前が、薬草を? 鑑定士の診断を忘れたわけではあるまい。お前には、精霊の加護も、魔力もないのだぞ」
「加護はありません。ですが、『商談』は成立しました」
僕は父の前に歩み寄り、備え付けのティーセットを無断で借りた。
お湯を注ぐ。
その瞬間——。
執務室の重苦しい空気が、一変した。
立ち上った湯気は、黄金色の光の帯となり、部屋の隅々にまで「森の静寂」と「生命の輝き」を運び込んだ。
「……っ、これは……!?」
父が立ち上がった。
その表情には、戦場でも崩したことのない驚愕が張り付いている。
彼は吸い寄せられるようにカップを取り、その琥珀色の液体を一口含んだ。
「魔力が……、枯渇しかけていた体内の魔力回路が、急速に再起動していく。……いや、それだけではない。精霊たちが、私の中に……!」
「精霊たちは、ただ、居心地の良い場所へ行きたいだけなのです。このお茶は、精霊たちとの『契約』ではなく『共生』から生まれました」
僕は、父の目を真っ直ぐに見据えた。
「お父様。この『精霊茶』を領内の診療所へ配ってください。もちろん、無償で。……そして一ヶ月後、回復した領民たちが僕を『奇跡の神童』と呼び始めた頃に、王都の貴族たちへ向けて、法外な値段で独占販売を開始します」
父は、絶句した。
眼前の五歳の子供の中に、自分を凌駕するほどの「統治者」の資質——あるいは、恐るべき「商人」の魂を見たからだ。
「……利益の七割は、公爵家へ納めます。その代わり、北の庭園と森の管理権を、完全に僕に委譲してください」
しばしの沈黙。
やがて、父は深く椅子に背を預け、低く笑った。
「……無能、だと? あの鑑定士は、節穴だったようだな。……よかろう、アルフレッド。その賭け、乗ってやる。お前の言う『経営』とやらで、このベルシュタインをどこまで高く引き上げるか、見せてみろ」
こうして、公爵家の「無能令息」による、世界を変える最初の一歩が刻まれた。
僕の足元には、いつの間にか一匹の小さな光の粒が、誇らしげに浮いていた。
まるで、「僕たちの社長はすごいでしょ?」と自慢しているかのように。




