第二話:可視化された「精霊」たち
魔力判定の儀式から一ヶ月。
ベルシュタイン公爵邸における僕の扱いは、驚くほど迅速に「背景」へと格下げされた。
次期公爵としての教育カリキュラムは白紙となり、高名な家庭教師たちは、三歳下の弟・テオドールの部屋へと配置換えになった。食事の質は極端に落ちることはなかったが、配膳される時間は不規則になり、給仕たちの目からは敬意が消えた。
「……ふむ。想定内、いや、想定以上のコストカットだな」
僕は自室の窓から、広大な屋敷の敷地を眺めて呟いた。
前世の経営コンサルタントとしての視点で見れば、期待値ゼロの不採算部門(僕)にリソースを割かないのは、組織として正しい判断だ。だが、その「無関心」こそが、僕にとって最大の資本となる。
僕は、錆びた鍵を手に、屋敷の北側に位置する「見捨てられた庭園」へと足を向けた。
そこは、かつて亡き母が愛した場所だったという。しかし、今や門扉は蔦に覆われ、石畳の隙間からは毒々しい雑草が顔を出している。中央の噴水は干上がり、名産だったはずのバラの木は、黒点病と害虫に蝕まれて無残に枯れ果てていた。
「……なるほど。これはひどい。土壌の窒素バランスが完全に崩れているし、水脈も精霊の通り道(龍脈)から外されている」
僕は膝をつき、土を指で掬って鼻に近づけた。
ツンとした腐敗臭。この世界の魔法使いは、精霊に「命令」して無理やり花を咲かせる。その反動で土は痩せ、精霊たちは嫌気がさして去っていく。
「さて、まずは『福利厚生』の改善から始めようか」
僕はバケツに汲んだ水に、前世の知識を総動員して作った「特製栄養剤」を数滴垂らした。
中身は、厨房からくすねた米の研ぎ汁や、古い酒、それに厩舎の裏に積まれていた完熟堆肥から抽出した液体だ。科学的な成分分析はできないが、植物学者としての勘が、この配合が「この土地」に足りないものだと告げている。
そして、僕は自分の内側に意識を向けた。
魔導水晶での査定で気づいた、僕の「無色の魔力」。
(精霊を道具だと思うな。彼らは、最高のパフォーマンスを発揮してくれる『パートナー』だ)
僕は、バケツの中の水に、そっと魔力を馴染ませた。
それは命令ではない。
「いつもお疲れ様。美味しい水を用意したから、少し休んでいかないかい?」という、労いの気持ち。
その瞬間——。
パキィィィィィィィン、と。
脳内に、冷たい水晶が砕けるような、しかし心地よい高音が響いた。
「……っ!」
視界が爆発した。
これまでは「光の粒」程度に見えていたものが、より鮮明に、より多種多様な姿となって僕の周囲に溢れ出した。
掌ほどの大きさしかない、羽の生えた小さな人型。
草むらから顔を出す、緑色のトカゲのような精霊。
空中に漂う、クラゲのように透き通った水の精霊。
「……あうぅ……」
「……きもち、いい……」
精霊たちの「声」が、直接脳に溶け込んでくる。
彼らは僕の魔力という名の「極上の寝床」に惹かれ、我先にと集まってきたのだ。バケツの水は、精霊たちが群がったことで、淡い琥珀色の光を放ち始めている。
「よしよし。順番だよ。まずは、このバラの木からだ」
僕は、精霊たちが纏わりつく水を、黒ずんだバラの根元にゆっくりと注いだ。
すると、信じられない光景が広がった。
精霊たちがバラの枝に飛び乗り、まるでダンスを踊るように光を振りまく。
みるみるうちに黒い斑点が消え、シワシワだった葉が瑞々しい緑へと蘇る。一分も経たないうちに、枝には力強い蕾が膨らみ、パチパチとはぜるような音を立てて、深紅の花弁が展開していった。
それは、通常の魔法で「強制的に咲かせた」花ではない。
土壌が整い、精霊が自発的に力を貸したことで実現した、生命力に満ち溢れた「真の開花」だ。
「……すごいな。これなら、いける」
僕は確信した。
この庭園を、世界で唯一の「精霊の聖域」に変える。
そこから生まれる果実、花、茶葉……それらは、この世界のどんな金貨よりも価値を持つ商品になるはずだ。
「アルフレッド様……? そこで、何を……」
背後から、戸惑ったような声がした。
振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
ぼろぼろの服を纏い、頭には犬のような耳。ベルシュタイン領で「家畜」同然に扱われている獣人の少年、ガインだ。
彼は、一ヶ月前まで公爵令息として崇められていた僕が、泥にまみれて枯れ木に話しかけている光景に、恐怖と困惑を混ぜたような表情を浮かべている。
「……あ、いや、失礼しました! 私は、庭掃除の端材を回収しに……」
慌てて逃げようとするガインに、僕は最高の「コンサルタント・スマイル」を向けた。
彼の中に眠る、獣人特有の鋭い感性と、虐げられてきたゆえの「忠誠心の種」を、僕は見逃さなかった。
「ガイン。いいところに、いや、運命的なタイミングで来てくれたね」
「は、はい……?」
「君、仕事を探していないかい? 僕の『商会』の、記念すべき第一号従業員として」
僕は、先ほど咲かせたばかりのバラを一本手折り、彼に差し出した。
五歳の子供が放つ、あまりに不釣り合いな威厳と、見たこともないほど輝く花を前にして、ガインは釘付けになったように動けなくなった。
「精霊に嫌われた令息」と「人間に嫌われた獣人」。
この歪なタッグが、ベルシュタイン領の、いや、この世界の歴史を塗り替える一歩目になるとは、まだ誰も知らない。
「さあ、ガイン。まずはこの庭の『大掃除』からだ。精霊たちが働きやすい環境を作ってあげなきゃいけないからね」
僕は笑った。
かつて無能と蔑まれた少年の瞳には、すでに領地全体の「再建プラン」が、青写真となって映し出されていた。




