85.戦に向けて
「セリウス!無事だったか!」
セリウスがまばゆい転移門から会議室へと戻った途端、強い衝撃を胸に受ける。思わず目を見開けば、飛び込むように駆け寄ったステラにしっかりと身体を抱き止められていた。
「あ、ああ。こちらは無事だが...」
予想外の抱擁に驚いて妻を見下ろすと、ステラはようやく安堵の息を吐く。
「ならいい。騒動に巻き込まれたかと...」と呟いた彼女は、汗を滲ませた手を離した。
「...身を案じてくれたのか」
「当然だ。夫の危機を案じない妻が何処にいる」
真剣な声で言われて、思わず返す言葉を失う。
やれ「魔物だ」「前例のない澱みの出現だ」と興奮して騒ぎ立てる学者連中を強引に馬車に押し込み、ルカーシュと辺りを一掃して戻れば、こんな迎えが待っているとは。
彼女にポンポンと胸を叩かれながら、セリウスは喜びに跳ねてしまった鼓動を咳払いで誤魔化した。
「それほど焦らずともこちらには魔力が...」
言いかけた瞬間、シュワ、と魔力音がして彼の背後から息を切らしたルカーシュが姿を現した。するとステラは彼を視界に収めるなり、勢いよくその手を掴んでぐっと引き寄せる。
「ルカーシュ!お前も無事か!」
「わっ!?」
いきなり腕を引かれたルカーシュが慌てた声を上げる。ステラは戦士よろしく肩を抱き止め、ルカーシュの背を強く叩くと「心配したぞ。よく戻った!」と笑みを向けた。
「ハ、ハイ。怪我一つなく。無事です、ハイ」
動揺のあまりカタコトで声を裏返す彼へ、セリウスが不機嫌に眉を寄せる。だが安心したステラはというと、すっかり切り替えた様子で彼らに向き直った。
「よし。王都の状況は?こちらは臨戦に向けて兵を整えてある」
聞かれたルカーシュは未だ赤らめた顔を逸らしつつも、気まずそうにこほんと一つ咳払いをした。
「ひ...ひとまず、梟の目は郊外まで逃しています。魔物が溢れた王都は混乱状態ですが、結界内のタウンハウスは無事。有事の策通り、ファビアンはあちらで転移門の拡張に当たっています」
タウンハウスは今や王都側の拠点だ。
最悪の事態を懸念して、双子の手を借りて結界を施させておいたのが報われたらしい。
ファビアンも辺境から王都への出兵を見越して、多量の魔力を消費しながら門を広げているのだろう。
“戦はいずれ起こり得る”と策を講じてはいたものの、これほど早く、望まぬ形で有事がやって来てしまうとは。
「早急にあちらへ部隊を送り込み、魔物の手から市民を避難させねばならん。元王城支えの騎士がいくらか居ただろう。王都に詳しい彼らを含めた先導隊を派兵させる」
息をついて気を整えたセリウスが告げると、ステラが頷く。
「聞いたかイズラール、文字通りの一番槍だ。連隊を揃えろ。早々に露払いの役目を任せる」
振り向いた彼女に、師団長達と椅子に掛けていたイズラールは切れ長の瞳を細めて見せた。
「もちろん。魔物討伐は第七近衛師団にお任せあれってね」
槍を担いだ彼が颯爽と立ち上がる。
薄紫の長い三つ編みが、室内だというのに風を纏って背に流れた。ステラはその返事を聞くなり机の上の紙に一筆書き留め、ヴェルドマン家の蝋印を押すと彼に手渡した。
「身分証代わりだ。ダリアから王都郊外のローリエン夫人達へ避難民の受け入れを指示してある。一先ずの誘導はそこへ」
受け取ったイズラールは「了解」と片目を閉じ、封書を懐へ収める。
続いてセリウスが残る周囲へ視線を巡らせた。
「ソラス、ハウゼン。領内各所とオルネー子爵領らへ避難所の設営要請の伝令を出せ。各師団長は王都から順次そちらへの誘導を騎士達に取り次ぐように」
彼は間髪入れず、それぞれに向けて告げる。
「続いて第七の支援隊として第五、六師団を配置。ラウール、備蓄倉庫の開放を許可する。難民受け入れに当たって領内市街地へ衛兵を増員、並びに炊き出しの準備を」
このような日の為に、これまで多くの領主達を自派閥へ取り込んで来たのだ。軍隊の整備を改め、多方面からの協力を取り付けた今こそ、運用すべき機であるだろう。
辺境伯による多方面への迅速な指令に、彼らは一斉に背を正した。
「は、直ちに」
「承知いたしました」
「後続部隊を転移門前に待機させます」
素早く返事を返した彼らが立ち上がり、ざっと足音を立てて背を向けた。椅子が床を擦る音とそれぞれの鎧の擦れ合う音が会議室へと反響する。
ステラら三人ははそれを見送り、そのまま転移門へと足を向けた。
「まだ夏季で幸いだったか。凍死と飢えの心配は減るからな」
「ああ。だが長引けばそうはいかん。このまま澱みが拡大すれば国は滅びる」
「そうならないよう、短期決戦と行きましょう。早急に国王を叩く為の策を練り上げなくては」
乱心した王を一刻も早く止めなければ、国そのものが人の住めない土地と化してしまう。
ルカーシュの言った通り、短期決戦でなければこれまでの策略やようやく手にした故郷の全てが無に帰すだろう。
彼らは深刻な面持ちのまま、転移門から繋がるタウンハウスへと足を踏み入れる。
広い室内の机の上には既に広げられた王都の地図と兵駒。目を上げれば、ソファにはすでにアストラル魔法公とディオス、クロイス兄弟が待ち受けていた。
「やっと揃ったネ!」
「魔法公サマがお待ちかねだヨ」
双子がキャハ、と無邪気に笑う。
「先ずは我が従兄弟王の愚行を詫びよう。魔法宮の準備は整っているよ、英雄殿」
アストラル魔法公も微塵も焦りの色を浮かべる事なく、セリウスへと片手を広げて見せた。
民が災厄に見舞われているというのに、この余裕とは。セリウスは若干の苛立ちを感じながら彼を睨んだ。
「許すまじき愚王だ。だだの処刑では済まされますまいな、次期王候補殿」
「煮るなり焼くなり」
眉を顰めて冷たく返したセリウスに、魔法公は口髭を撫でて肩をすくめるばかり。
「そういう無駄話はいいから...っ、早く、会議を進めて...っ!」
なにやら苦しげな声に振り向けば、ファビアンが転移門に震える両手を翳して歯を食いしばっている。
じわじわと拡がる光の縁は、もはや部屋の壁一面を覆い尽くしつつあった。
「お前が無駄話を嫌うとは余程らしい」
「うるさいなあ君は!限界までやってるけど、もう気絶しそうなんだよ...ッ!!」
セリウスの溢した呟きに、ファビアンは奥歯を噛み締めながらやっとのことで叫び返す。
ステラはそんな二人の様子にやや呆れながら歩み寄った。
「まるで普段と逆の会話だな。ヴィオレッタは無事か」
「ヴィオなら大丈夫...!」
「彼女であれば、ルイーズを別室で宥めておられます。あの娼婦は城から逃げ延びたものの、混乱状態で過呼吸に」
苦しげに答える彼へ、壁際に控えていたダリアが引き継ぐように答えた。
「そうか。彼女から聞き出せたことは?」
「国王が乱心し、反対した公爵を“黒い炎”で消し炭にしたと。その後、例の遺灰を城内から都へ散布。次々に澱みが現れ、多量の魔物が出現したとの事」
「やはり国王も魔法を扱えたか...。厄介だな」
魔法宮に魔術師の存在を隔離し、その力を独占して来た王家ならば、おそらく魔法も扱えるだろうとは思っていた。
「国王の魔力を侮るのは勧めない。直系にしか明かさない代物ならば、おそらく強大と見て違いないだろう」
アストラル魔法公が静かに告げる。
何を隠そう、国王を正面から捕えるのではなく、亡命に追い込もうとした理由はここにある。かの国王はその立場を魔術師に侵されることを恐れてか、従兄弟である魔法公にすら魔力の詳細を明かしていないのだ。
もしルイーズの証言通り火の属性があったとして、その威力も全くの未知であり、まだ他に属性を隠していないとも限らない。
「だが躊躇する余地は無い。ルカーシュ、城内の地図は把握しているな」
セリウスが地図の前に立つルカーシュへ視線を送った。二番目の聖騎士として長く姫に寵愛を受けていた彼ならば、城内の構造には厚いはず。
周囲が澱みに飲まれつつある今、刻一刻と王都の滅びが迫っている。
視線を受けたルカーシュは「ええ」と短く返して、机上の兵駒を手に取った。
「目指すは玉座。攻城戦を始めましょう」




