84.災いの兆し
銀の鎧が鈍く日を照り返し、剣と剣がそこかしこでぶつかり合う。壁に備えられた的には放たれる数々の魔法が光を放ち、激しく炸裂する。
辺境の砦内には“女神に選ばれし英雄”の下で剣を振るうべく、集った騎士兵士がひしめき合っていた。
その内実は魔物によって土地を奪われた者や、領を救われた恩に報うと辺境伯勢力へ身を投じた兵士達。さらには腐敗した王家に失望し、辺境へと参じた元王国騎士達まで。彼らの背景は様々ながら、訓練場は昂る熱気に溢れている。
それらを率いる辺境騎士達は、今や練達の魔法騎士。辺境伯の精鋭として七つの近衛師団に組み分けられ、それぞれが率いる新たな戦力への指導に当たっていた。
「いいか、槍ってのはリーチが長いぶん取り回しが剣に遅れやすい。攻撃から防御へ流れるように続けるんだ」
イズラールがひゅるりと槍を回し、同じく槍を構えた兵士達がそれに倣う。
ザッと揃って音を立てた軍靴に砂埃が舞った。
「いい教官ぶりだな、第七近衛師団長殿?」
屋敷から姿を現した辺境伯夫人が笑いかければ慌てて兵士たちが敬礼し、振り向いたイズラールが苦笑を浮かべる。
「奥方様。どうにもまだ慣れませんねえ、人に教えるってのは」
「そうか?様になってきてると思うけどな。連隊の精度も随分上がって見える」
元傭兵の身ながら実力の高さを認められた彼は、最も若手の師団長として第七師団連隊を任されている。
彼の指導を受けて槍を振るう騎士達は一糸乱れず、重ねた訓練による練度の高さを窺わせた。
「まあ、この二ヶ月でやれるようにはなりましたね。平原の魔物討伐で見る限り、雑魚の制圧に難は無いかと」
腰に手を当てたイズラールが軽く笑えば、ステラは満足そうに頷く。
社交の為に辺境を離れている今は、彼ら騎士達にこの地の守りを任せている。
現在では屈強な辺境騎士の一人として騎士兵士に羨望の目を向けられるイズラールは、いずれ来る王家の打倒に欠かせぬ大きな戦力だ。
「やはりお前の下に槍兵隊を作らせて正解だったな。イズラール、露払いはお前に任せる」
ポン、と彼の背を軽く叩いた彼女が歩み去るのを見つめ、兵士たちはこそりと顔を見合わせた。
「奥方様ってあんな感じなのか...」
「王都での淑やかな印象と違って勇ましいのだな...」
まじまじと辺境伯夫人の背を眺める彼らに、イズラールはにまりと笑って振り向く。
「なんてったって奥方様は平原の民だからね。社交界では振る舞いに気をつけておられるけど、本来の奥方様は男に引けを取らない剣の使い手。その上、とても気風のいいお方なのさ」
そう言った彼はパチンと片目を瞑る。
「野を駆け炎を纏う奥方様の戦いぶりたるや、まさに“平原の戦女神”! お仕え出来る俺らは彼女に選ばれし者たちってわけ」
「「「おお...!!」」」
目を輝かさせた彼らは、再びステラの背に視線を向けてにわかに色めき立つ。
黄昏時の風に、彼女の豊かな赤毛がふわりと揺れた。
「英雄殿の奥方様が戦女神であったとは!」
「剣を握った姿を見てみたいものだなあ...」
「俺は遠目だが見たことがあるぞ!まるで炎が舞っているようだった!」
熱いため息を吐きすっかり盛り上がった兵士たちに、側で聞いていた騎士達がやれやれとなんとも言えぬ視線を交わす。
(まったく、イズラールのよく回る舌よ)
(また妙な士気が上がるなあ)
(士気というか、信仰心というか)
(いいんじゃないか、嘘は言ってない訳だし)
そんな彼らの生暖かい視線にも気付かず、ステラは兵舎の扉を潜る。
簡素な木製の扉を開けると、ハーブと消毒薬の香りに満たされた医務室へと足を踏み入れた。
「イリーゼ、調子はどうだ?」
声をかけられたイリーゼは嬉しそうに三つ編みを揺らして振り向く。
「奥方様!ちょうど良かった!聞いてください、治癒魔法と従来医療の複合がとってもいい調子なんです!」
イリーゼはそう言うと、椅子に掛けた兵士の腕に触れる。ステラが覗き込むと、腕には刃のようなもので切り裂かれた傷があった。
「訓練中に負傷してしまいまして...」
辺境伯夫人にまじまじと見つめられた彼は、気恥ずかしそうに下唇を軽く噛む。
しかしイリーゼはにこにこと微笑んだまま、傷口を指差した。
「この傷は剣先が肉まで刺さってしまっていたので、本来ならば傷口を塞いで自然治癒を待つんですが...見ててください!」
イリーゼが傷口に指を当てて何かを念じる。
するとたちまち傷の中の肉がプチプチと音を立てて、泡立つように膨らんだ。
「くっ...」
兵士が小さく顔を歪める。
ステラが驚いてイリーゼの顔へと視線を移した。
「何が起こってるんだ?」
「治癒魔法による肉体回復能力の促進です!わたしの魔法は治癒から派生する成長促進だそうで。ディオスさんたちによると“治癒とは対象の魔力回路に干渉して身体回復能力を一時的に上げるもの”らしいんですよ」
イリーゼはそう言いながら机の上の箱から針を取り出し、消毒液に浸した綿布で拭く。
そして素早く糸を通すと「ちょっとちくちくしますよ」と声をかけるなり、彼の傷口を慣れた手つきで縫い始めた。
「私の治癒だけだと、すぐには表面の皮膚の塞がりまでは至りません。だけどこうして傷口を縫ってしまえば、完全回復への時間がかなり短縮されるんです!」
「ほお〜、それで魔法と医学の複合ってことか」
ステラが顎に手を当てて感嘆すれば、奥のカーテンで治療に当たっていたらしいゼーマンが顔を出す。
「なかなかやるだろ、うちの見習いは」
「見込み通りだ。お前の方はどうなんだ、ゼーマン」
ステラが自慢げに笑った髭面へ微笑み返す。
その言葉にイリーゼがむず痒そうに頬を緩ませ、張り合うようにゼーマンも軽く胸を張ってみせた。
「俺は指先のちっせえ火のおかげで器具の都度消毒がほぼ要らなくなった」
「なんだそりゃ」
呆れて笑えば、ゼーマンがわはは!と笑う。
彼はおもむろに立ち上がると机の上に重ねられた書類を持ち上げ、ばさりとステラの手の上に乗せた。
「イリーゼの成長促進のおかげで、薬草のストックにも困らなくなってな。それからここを見ろ。ついでに魔法宮側との情報交換から、薬品への魔法付与を習得した」
彼は無精髭を撫でながら、太い指でそれらを書き記した記述をなぞって見せる。
「実験を重ねた結果、従来の傷薬や解毒剤の効果が全て格段に上昇したと確認済みだ。これらが有用だと判明したので、治癒系魔法の保持者を集めてひたすら精製した。来たるべき日の為、倉庫に薬品の備蓄を大量に備えてある」
そうして倉庫の方向を親指でくい、と指し、濁った白目をにっと細めた。
「どうだ。これが俺の成果ってもんよ」
それを聞いて書類から顔を上げたステラは、ばさりと書類を椅子に置くと背後の薬品倉庫を開け放つ。
そこにはなんと、天井近くまでずらりと薬品の収められた木箱が積み重なっていた。
「でかしたゼーマン!」
振り返ってパン!と彼の肩を叩いたステラに「痛えんだよ」と返す彼は、まんざらでもないように顔を背ける。
隣で患者の傷を縫い終わったイリーゼが、パチンと糸を切りながら嬉しそうに微笑んだ。
するといきなり医務室のドアがバン!!とけたたましい音を立てて開けられる。
何事かと全員が振り向けば、切り揃えた赤茶色の髪を振り乱したダリアが飛び込んだ。
「我が君、急報です!!王都が魔力澱みに呑まれたと!」
「何だと!?」
息せき切った彼女の言葉に、ステラが弾かれたように立ち上がる。
「逃げ延びたルイーズによれば、国王の乱心によって王城は魔物の巣窟と化し、王都は突如現れた大量の澱みに混乱状態。こちらに告げられたファビアン殿は現在、旦那様へお知らせに」
「なんて事だ...!!あの老害め、ここまで愚かとは!」
ステラは歯噛みし、すぐさま彼女へ向き直る。
「ダリア、タウンハウスから郊外のローリエン夫人と支援者達に避難民の受け入れ願いの早馬を出せ!イリーゼとゼーマンはこのまま待機、負傷者の受け入れに備えて担架と空き倉庫に病床の用意を頼む!」
ダリアが「はっ」と応えて背を向けると同時に、イリーゼとゼーマンも即座に頷く。
ステラは早足で兵舎の外に踏み出すと、「イズラール!砦内の隊を纏めて、全ての師団長を招集させろ!」と響く声で指示を出した。
緊張が砦内に走り、血のように燃える夕陽の中で胸の中が酷くざわつく。
セリウスは未だルカーシュと王都のクラブハウスに居る筈だ。彼らが巻き込まれて居なければいいが。
焦燥に震える指先を、強く手の中に握り込んだ。
大変お待たせしました〜!!
いよいよ終盤へ...。
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