83.生贄
質の良く落ち着いた調度品に、インクの匂い。
四方の壁面を埋め尽くすように収められた本の数々は、どれもが厚い学術書ばかり。
このクラブハウスは様々な分野の学者達が集い、知の探求を目的とした紳士クラブ、“梟の目”が有するものである。
“梟の目”は数ある紳士クラブの中でも格調高く、その入会基準もかなり厳しいもの。本来は研究者でもない騎士が入会する事は不可能だ。
しかし当の会員であり魔物生態学の第一人者であるルカーシュ・ファルメス騎士伯の口添えによって、セリウスは研究の情報源としての入会を認められていた。
「彼の多くの実績によって、魔犬、魔狼、草原鳥などの低級魔物ばかりか、グリフィン、アラクネー、サイクロプス、キマイラ、アルラウネ他、神話の名を持つ主級の魔物の解析が可能となりました」
ルカーシュが隣に掛けたセリウスへ、優雅に手のひらを向けた。
机を囲むように広いソファへと掛けた学者達の瞳は、まるで夜目に目を凝らすフクロウのようにらんらんと光っている。
...やはり、この空間は慣れない。
もう何度かルカーシュに連れられているものの、学者の視線というものは英雄譚に目を輝かせる人々とはまた熱の入り方が違う。
セリウスは居た堪れずに唇を引き結ぶが、彼らは興奮した様子でそれぞれに口を開いた。
「素晴らしい!魔法宮が情報を独占していた中で、生態や核を有する場所が判明した功績は大きいですぞ!」
「その上、魔物を討伐する際の攻略法も辺境伯殿は確立なさったそうですな!」
「魔物の出現、魔力澱みの消滅における処置の詳細など、ぜひとも本日も詳しくお聞かせ願いたい!」
身を乗り出した彼らの勢いに、セリウスはうっ、と思わず身を引く。
「...詳しい事は、わたくしよりもこちらのファルメス殿がよく存じておられる筈ですが」
苦々しげにルカーシュに視線を送るが、学者達の熱い視線はセリウスへと注がれたまま。
「ええ、ええ!今朝方ファルメス殿の講義に参加した上で、魔物に向き合う戦士としての生のデータが欲しいのです!」
「何事も整合性が重要ですからな!卿の意見は彼の研究内容の裏付けとして、この上ない証人でありましょう!」
彼らは多くの主をその手で討伐したセリウスを、決して逃す気など無いらしい。
げんなりとしたセリウスへ、ルカーシュが微笑ましげに紅い目を細めた。
「立証に必要なプロセスは、情報の観測と詳細な収集、事実確認と精査ですからね。様々な学術視点からの質疑応答は避けられないものです」
うんうん、と学者達の意見に頷いて後押しするばかりのルカーシュに、セリウスは恨みに似たものを感じていた。
「そんな訳ですから、私の資料の裏付けとしてお話をお聞かせ願えますか?」
つまりはこちらの情報を使って、より己の研究結果を彼らに認めさせたいという目論みか。
「貴様はいつからこれほど図太くなったのだろうな...」
苛立ち混じりに呟けば、ルカーシュはにっこりと美しい微笑みを浮かべる。
「何を言います。“知識階級にも辺境伯の価値を高めさせておくように”と、奥方様からのお言い付けですよ。私は彼女のために尽くしているだけです」
そっと囁いた彼に、セリウスはますます機嫌を悪くする。ステラの策に抗うつもりはないが、これではまるで学者達への生贄ではないか...。
「して、ここに記されたグリフィンの翼は一つ一つが鋼のように硬質であり、ヴェルドマン卿の肩をも貫いたとか!」
「ご覧になっていたファルメス殿の記述によれば、返し状の羽が引き抜く事を困難にするとありますが、卿は己の力で引き抜かれたとあり...」
「実際の感覚から、返しの形状が肉体的損傷を高めたものであったのかご説明を!またそれによる後遺症の有無を...」
「いや待て、それより燃え尽きてしまったサイクロプスの眼球にどれほどの電撃魔法を流したものか、別室で再現と計測を...!」
学者達は押し合い圧し合い、それぞれ厚い眼鏡を押し上げ、口髭を撫で付け、後退した額へ乗る帽子を押さえて、ペンを手に彼へと寄り集まる。
わいわいやいのやいの、と降り注ぐ興味津々な声にセリウスは心底うっとおしそうに眉を顰めた。
グリフィンの羽の形状など覚えていないし、引き抜いた時はそれどころでなく感覚すら飛んでいたのだ。
その上、サイクロプスへの電撃もステラが足場から落ちる姿を捉えて咄嗟に放ったもの。
はっきり言わせてもらえば、それらの詳細なんてどうでもいいのが彼の本音なのだが。
「学者の質問へまともに答えなければ、さらに細かな追及が来てもっと困るだけですよ」
「ぐうう...」
歯噛みしつつ唸る彼の姿は、英雄というよりも観衆へ苛立つ動物園の獣のようである。
だが、かつて自信のなかった己を自領に引き受けた“辺境きっての武人”であるセリウスが、こうしてこちらの学術の領域でも立場を得るのは嬉しいものだ。
だってあの聡明な奥方様に並び立つ夫なら、完璧な教養と品格を備えて欲しいもの。
どうせ諦めた恋なら、セリウスには誰よりも彼女に見合う男であって欲しいから。
...なんて言ったらさらに彼は怒るだろうか。
そんなことを思いながら、ルカーシュはくすくすと口元を隠して笑うのだった。
————
「どうして女神様は私に応えてくださらないの...!!」
同時刻。
白亜の荘厳な神殿の最奥にて。
薄暗い蝋燭の光の下、女神の泉の縁に縋りつくのは、絹のような白金の髪を背に下ろした乙女。
膝をつき、両手を握り合わせて指に額を擦り付けるうに祈るその顔は、焦燥と疲労で酷くやつれ切っていた。
「姫様...、そろそろご休憩なされては」
伺うように声をかけるのは、濃い金髪を撫でつけた長身の精悍な騎士。彼が身に纏うのはとうに廃されたはずの聖騎士の白い軍装。それはただ一人残った聖騎士であることを示していた。
だが海のように深い青の瞳は、彼女と同じく疲労の色を湛えている。
彼はただ、目の前の主君を痛ましく見つめていた。
「うるさいわよ、レオニダス!お前は私の言う事だけ聞いてればいいの!!」
跳ね除けるような姫君の言葉に、レオニダスと呼ばれた彼が苦しげに眉を寄せる。しかし姫君は我が身を思う騎士を気にもかけず、自らの両手に視線を落とした。
「わたくしは女神に愛された聖女よ、いまにきっとまた力を得て、お父様も褒めてくださるわ...!皆に愛されて、崇められるの...!」
姫君の空色の瞳はあらぬ空虚を見つめる。
レオニダスは耐えきれぬように彼女に歩み寄った。
「ですが、このまま覚醒出来るとはとても...!」
「ああああもう!!うるさいうるさいうるさぁいッ!!お前はわたくしの味方のはずでしょう!少しは役に立って見なさいよ!!」
姫君が神を振り乱して叫び、レオニダスは何かを言いかけて口をつぐむ。彼は唇を噛んで俯くと、体の横で拳を固く握り締めた。
すると背後の重い鉄扉が大きな音を立てて開け放たれる。年老いた司祭が慌ただしく駆け込み、姫君の肩をがしりと掴んだ。
その顔色は蒼白で、司祭らしき余裕は見られない。
「まだ覚醒しておられないとは!!」
責め立てる怒鳴り声。
姫君はびくりと肩をすくませ、目を逸らす。だが司祭はその手に銀のゴブレットを強く押し付けた。
「さあ、飲むのです!力に再び目覚めるまで泉の水を飲むようにと国王陛下よりのお達しです!貴女が今目覚めねば王家は終わりを迎えてしまうのですよ!」
肩をゆすられ、見上げた姫君が目を見開く。
「...お父様が、そう言ったの...?」
「陛下は姫様を信じておられます、躊躇している場合ですか!」
姫君は青い顔をしながらも、銀の杯に赤黒い液体を泉から掬う。
「さあ、早く!」
何かに追われるような声で急かす司祭。
震える手で杯を唇に付けたその時、レオニダスが縋るように焦り掴んだ。
「...いけません。この“水”は魔力の凝縮されたもの。それ程に飲めば、お体が壊れてしまいます...!」
たった一口で、絶大な加護の魔力を与える古代の魔術師の血液。溢れるほどに杯に満ちたそれを飲むなど前例もなく、体が耐えられる筈もない。
「何を言い出す、貴様!」
「どうか、この忠臣の意に免じておやめ下さい...!力を諦め、隣国へ亡命いたしましょう。どこへでも、わたくしめが命を賭けて御守りいたします!!」
レオニダスは司祭を押し退け、杯ごと握った姫の手に力を込めた。
「どうか、どうか...!」
大きな身体がうずくまるように背を丸め、引き攣った声で懇願する。
しかし姫君はその手を振り払い、レオニダスの頬を強かに張った。
「忠臣と言いながら、わたくしの力を信じられないと言うの!?お前もわたくしを役立たずだと言うつもり!?」
「違います、姫様、どうかもうおやめに...!」
「黙りなさいッ!!!わたくしの意思は女神の意思、お前はその意思に従う聖騎士でしょう!!」
姫君はもはや金切り声のような叫びを上げて、口に当てた杯を思い切り傾ける。
どろどろと濁った血液が姫君の口元から喉へと溢れ、白いドレスへと染みを作っていく。
「う、ああ、あ"っ...!!!」
飲み干した姫君の体にボコボコと血管が浮き出て、白目が血走る。
だが右手の甲に浮き出るはずの聖紋は現れない。
姫君は再び杯を泉に沈め、溢れるその血をがくがくと震える指へと収めた。
「ま、まだよ...。まだ覚醒には足りないわ...。もっと、もっと飲まなくては...!!」
息を乱し、白金の髪を床に引き摺るように力無く項垂れた姫の首。みるみるうちに青くまだらに皮膚が爛れ、瞳が振れて瞳孔が獣のように開き切る。
「...足りない、...足りなイ、...足リナイ...」
「ひ、姫様...」
冷たい石の床に腰をついたレオニダスの瞳が、暗く絶望の色へと染まっていく。
乱れた金の髪にじっとりと浮いた汗が滲んだ。
血の杯を高く煽った姫の影が、歪な音を立てて激しく蠢く。
「イ、今ふタたび...、わたくシに、女神ノ力ヲォオ"オ"オ"...!!!!」
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