75.革命の旗
煌びやかな灯りの中、辺境伯夫妻はゆったりとワルツを踊る。
リードは優しく、足取りは軽やか。
長い四肢を生かしてホールをゆるやかに廻り、ひらりと赤と黒が視界に入れ替わる。
背の高い二人の悠然たる振る舞いは、その場の人々をうっとりと見惚れさせた。
実際は、セリウスが舞踏会を前に妻と猛特訓を重ねていたなんて誰も気付きはしないだろう。剣ばかりで社交に疎い彼は、ダンスを習ったのもデビュタント前の幼い頃のみ。
その理由から聖女に対抗するための夜会では舞踏会を避けていたが、今回の目的は革命なのだ。
より派手なアピールにダンスは効果的である。
そのため、昨夜までタウンハウスの一室でダリアの引くピアノに合わせ、何度もステラの足を踏みかけて「下手くそ」と笑われていたのだが。
「少しは上手くなったじゃないか」
「耳元で囁くな、足が乱れる」
笑うステラへ、上品な笑みを崩さないまま焦った小声でセリウスが答える。
ステラはますます楽しげに艶のある唇を近づけた。
「リズムを取ってやろうか?ほら、1、2、3...」
「やめないか、この」
セリウスの強張った手が、揶揄うステラの腰を仕返しのように引き寄せた。だがそんな仕草すら甘いやり取りにしか見えず、若い令嬢達が色めき立つ。
曲の終わりと共にダンスを終えて戻れば、人々の輪にわっと囲まれた。
「見事でしたわ、まるで歌劇のよう」
「辺境伯殿が踊る姿を初めて拝見しましたが、よくご夫婦でダンスを?」
「ええ、辺境の冬は夜が長いものですから」
「春になるまでこうして二人、雪解けを待ったものですわ」
セリウスとステラが微笑を浮かべれば、ロマンチックな情景にご令嬢方が「まあ...」とため息をつく。
「なんて素敵なの...」
「辺境伯様は変わらぬ愛を紡いでおられるのね...」
「わたくしもそんな結ばれ方をしたいものだわ...」
それぞれに憧れの視線を向ける令嬢達に、ご夫人方まで扇子の奥で深く頷いた。
「ところで、あのお噂は事実なのですか?」
「噂、といいますと」
「お二方はオルネー子爵領の巨人を討伐したとか」
しばらく和やかな会話が続き、ようやくこちらが待ち望んでいた話題が立ち上がる。
それまでは皆当たり障りのない会話で伺っていたものの、二人の睦まじさが揺るがない様子を見て期待値が高まったのだろう。
「ああ、その事でしたか」
「噂になっているなんてお恥ずかしいわ」
二人は顔を見合わせてむず痒そうな顔をする。
すると紳士達が食い入るように前のめりになった。
「なんでも魔力覚醒されたとか」
「雷と炎を扱われるとお聞きしましたが」
「いったいどのような経緯で」
魔術師はみな子供の頃に魔力が発現し、その全てが魔法宮に召し抱えられる。成人になってから魔力覚醒するなどと、今まで聞いたこともないのだ。
すると、セリウスは気恥ずかしそうに言い淀む。
「いや...その、経緯と言われると、お伝えしづらく...」
ちら、と言いづらそうに妻を見やる彼に、彼らの興味がますます煽られた。
英雄譚を本人が語っては格が落ちるもの。
注目を移されたステラは、彼らの答えを待つ様子を捉えてくすりと微笑んだ。
「もう、今さら何を恥ずかしがることがありますか。あの日、貴方はわたくしの命を救ってくださったのに」
ステラの思わせぶりな言葉を受けて、ざわ、と周囲が動揺する。
会話の動線は“興味を惹く大きな一端”から始めるのが最適だ。それはまるで、歌劇の華やかな題名のように。
「ご夫人、いったい何があったのです?」
予想通り食いついた。
耐えきれず尋ねた紳士に、ステラはにっこりと微笑み返す。そして誇らしげに、ゆっくりと溜めて言葉を紡ぐ。
「旦那様は...魔物に命を奪われかけたわたくしを、目覚めた魔力でお救い下さったのです」
「なんですと...!?」
目を見開く周囲に、ステラは心底嬉しそうに続きを語り始める。彼女は感極まったような面持ちを形作った。
「ええ、忘れもいたしませんわ...!魔物の牙が迫り、もう助からないと思った瞬間のことです。手を伸ばした旦那様から迸る光を見ました」
彼女は臨場感たっぷりに、声を上擦らせる。
周囲が続きを待って身を乗り出した。
「それで、」と誰かが発したのを待ち、ステラは瞳を潤ませて両手を握り合わせた。
「青い稲妻が炸裂し、まるで空を切り裂くようでした...。貫かれた主は焼け焦げ、澱みは蒸発するように消え去ったのです...!」
「なんと、澱みが...!?」
浄化以外で澱みを消し去る事は至難である。
それを一瞬で消し去ったとなれば、人智を超えた神の所業に他ならない。
「ええ、わたくしたちは彼の放った光に包まれ...そして気付けば、魔力に目覚めていましたの」
語り終わると同時に、ひらいた手の内に焔を灯す。手のひらにふわ、と暖かな火が燃えてゆらめくいた。
「おお、まさに魔力だ...!」
「美しいわ...!」
声を上げた彼らに頷くと、ステラはまた両手を握り合わせて火を消した。
瞼を閉じると声を震わせて呟く。
「あれは奇跡としか言いようがありませんでした...。けれどこうして、わたくしが生きているのは彼のおかげ」
彼女はエメラルドの瞳を輝かせ、隣の夫を見上げた。
「きっと旦那様のお心に、女神様がお応えくださったに違いありません...!」
ステラにじっと潤んだ瞳で見つめられ、セリウスは居た堪れないように視線を逸らす。
そして、零すように一言だけ。
「...俺はただ、また君を失いたくなかっただけだ」
存在しない“あの日の痛み”を思い返すような、無骨な呟き。
きつく胸の前で握り込んだ右手には、感情に呼応するようにパリ...ッと青い光がほのかに纏う。
魔力の制御と魅せ方は完璧だ。
周囲は思わず息を飲み、熱い感嘆を抑えられない。
魔物の手から妻を救いたい一心で、強大な魔力を授かった騎士。その奇跡の理由が、女神の加護の他に何があろうか。
「なんという事だ...、女神様は彼らを選ばれた...」
「あの落ちぶれた聖女ではなく、真実の愛にお応えになったのだ...!」
二人を中心に、興奮が広がっていく。
口々に交わす彼らの言葉は熱量高く、涙を潤ませたローリエン夫人が祈るように手を合わせた。
「やはり、わたくしは間違っていなかったのね...。あなた方こそが真の英雄。この国を清らかに正す、女神様の御使いだったのだわ...!」
女神に選ばれし、新たな英雄の誕生。
それは堕ちた聖女の寵愛に抗い、たった一人の妻に愛を誓った高潔なる騎士にこそふさわしい。
あの日、目の前で誓われた死をも臆さぬ純愛。
滅ぼしあった過去を超えて愛し合った二人には、魔力澱みを消し去る奇跡の力がもたらされた。
女神に愛されたのは辺境伯夫妻。
崩れかけた王国に、救世主が現れたのだ。
「お二人は出会いから運命だったのよ...!」
「ああ、きっとそうに違いない!」
「女神様は聖女に罰を、英雄に加護を与えたのだ!」
熱狂と高揚の波は大きく広がっていく。
運命的な出会い、引き裂く悲劇、誓い合った真実の愛と女神の加護。心を打つような物語が彼らの感情によって勝手に膨らみ、寄り紡がれて形を成す。
あの断罪劇で、二人を初めに見届けたのは我々だ。やはりあの日の思いは間違っていなかった。
女神は正義に微笑み、王家を見放した。
———つまり我々は、伝説の始まりに立ち会ったのだ。
刺激に飢えた貴族達が、この優越感に酔わずにいられぬはずが無い。
「気高き英雄夫妻に祝福を!」
「魔力澱みからの解放を!」
「どうか我らをお導き下さい!」
王都に革命の旗が立つ。
それは社交の顔をした、英雄信仰の樹立だった。
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