74.感動の再会
来たる日の夕暮れ。
侯爵家の女主人であるローリエン夫人ともなれば王都邸宅も広大である。入り組んだ庭園も含めたその広さたるや、わざわざ他貴族のように会場を借りる必要もないらしい。
「どうぞ、広間にて奥方様がお待ちです」
「あら嫌だわ、遅れてしまったかしら」
家令に通される廊下を歩みながら、ステラがちらりと目配せをする。来客の馬車で門前がほぼ既に満杯であったこと、他の廊下を歩む者がいない事に気づいたのだ。
「お待たせしていなければいいが」
苦笑した彼の純朴な振る舞いに、家令達が微笑み合う。社交に疎い辺境の田舎騎士らしく映ったことだろう。
実際の所は、夫人は全て揃った客の前で二人を派手に披露したいのだ。
貴族の誰もが声を掛けながら招待が叶わなかった中で、真っ先に“噂の辺境伯夫妻”に選ばれたのだから。
主賓をわざと少し遅い時間に来させるのはよくある事、むしろこちらの目論見通りである。
客間のロビーを抜け、いざ大広間。
両開きの扉の前に立った二人は甘く囁き合った。
「笑顔の準備は?旦那様」
「愛する妻へはいつ何時でも」
セリウスがすっと腕を差し出し、ステラの指がするりと絡められた。完璧な微笑みを浮かべた二人は、同時に灯りの下へ足を踏み出す。
豪華な広間にシャンデリアの光が燦然と降り注ぐ。
燃え立つような赤髪と水面を映したような黒髪が鮮やかに照らされると、ざわめく会場の音が消え、空気は一瞬にして塗り替えられた。
金の瞳と翠緑の瞳が同時に瞼を上げて光を宿す。
その場全てを射抜くような強い眼光。
思わず彼らは釘付けとなり、息を止めた。
現れたのは見上げるほどの長身、すらりと鍛え上げられた騎士の体躯。並ぶ細腰は優美な弧を描いて豊満な色気を纏いながらも、ゆったりと品を感じさせる足取り。
黒銀の軍装の外套に、対を成す真紅のドレスが翻った。その姿はまさに宵闇の月と黄昏の陽。
二人は寄り添い合うようにして、長く伸びた脚が革靴と軽やかなヒールの音を重ねる。
獰猛な支配の香り。
暴力的なほどの美貌と風格。
堂々たる二人の歩みを前に、ざあ、と人々が波のように広がって行く。
人波の道を歩んだ先。
主催者である女主人の前に、二人は美しく礼をする。開かれた辺境伯の唇に、群衆はごくり、と唾を飲んだ。
「今宵のお招きを感謝致します。ローリエン侯爵夫人」
発された声は彼らの予想に反して低く落ち着き、穏やかさに満ちている。
人は強者の見た目をした優しさに弱いもの。
その姿を目に入れるなり、侯爵夫人は思わず開いた扇子を握りしめて頬を綻ばせた。
「まあ、まあ...!なんて事かしら、本当にまたお二人にお会いできるなんて」
白髪混じりの波打つ金髪に上品なドレスを纏った夫人は、目尻の皺を深めて微笑む。
彼女の笑みは柔らかく、安堵と喜びが滲むよう。
姿勢を戻したセリウスは、騎士らしく真摯な表情で自らの左胸に手を当てた。
「この度は平原の奪還を達成し、恩ある夫人へご挨拶に参りました。私が聖騎士に縛られていたあの日、夫人は妻をサロンへ受け入れ、蛮族と明かされてなお庇い立てて下さったと」
並び立つステラも同じく胸に手を当て敬意を示す。
「本来であれば処刑の身。わたくしがこうして主人と共に生きられるのも、夫人のお力添えあっての事にございます」
かつては飼い殺しの聖騎士と、彼にあてがわれた哀れな妻。さらには血の因縁を持ちながらも、互いに愛し合ってしまった悲劇の夫婦。
二人の言葉は全員にそれらの過去を思い出させた。
そんな二人に揃って感謝を告げられたローリエン夫人は「まあ...」と瞳を潤ませて感嘆する。
彼女はそっとステラの肩に手を置いた。
「どうかお気になさらないで。たとえ生まれが異なろうと、罪無き乙女を兵に突き出せるものですか」
夫人は穏やかに宥めると、安心させるように優しげな目尻を下げる。
「貴方がたはやるべき事を成し遂げたわ。今はわたくしよりも、貴女の故郷が魔物の手から戻ったことを祝福しましょう」
その言葉に嘘は無く、ただ彼女の良心のみが込められていた。
ああ、やはり夫人はこちらが竦むほどの善人だ。
自他共に語った箱入りの淑女。この善性は夫と子に恵まれ、苦労を知らず、慈善活動に励む裕福な貴族だからこそ培われたもの。
あのサロンを選んだ日も、年に似合わぬ彼女の純真さに目をつけたのだった。
だが彼女の純真さは、少女でないからこそ意味を成す。
ステラは夫人の言葉を受け止めると、両手を握り合わせてほろりと涙を零す。
「ああ...、感謝致します、ローリエン夫人。ようやく同胞も永き眠りにつけるでしょう...」
ステラは祈るように瞼を閉じ、夫人は小さく息を呑んだ。
彼女の故郷はこの国によって滅ぼされているというのに、どうしてこちらに感謝を口に出来るのだろう。いたわしい娘の清い涙に、夫人も釣られて涙声になってしまう。
「もう、おやめになって、貴女は身に余る苦労をしたのだから...」
夫人はステラの頬に溢れる涙をそっと拭う。
ステラはふる、と肩を震わせた。
「申し訳ありません...。念願がようやく叶ったものですから...」
妻の肩を言葉無く抱くのは、若き辺境伯。
二人の姿を見つめた夫人は、その痛ましい姿に思わず込み上げた嗚咽を飲み込んだ。
蛮族と辺境騎士の末裔同士。
滅ぼし合った血でありながら惹かれ合ってしまった二人は、いったいどれほどの癒えぬ悲しみを抱えながら寄り添い合っているのだろう。
こんな悲劇を繰り返させてはならない。
王家は未だ聖女の復活を諦めてはいないのよ。
わざわざこちらへ感謝を告げに戻った二人が、また王家の手で立場を脅かされてはならないわ。
———ならば侯爵夫人であるわたくしが、この若い夫婦を守らなければ。
ローリエン夫人はしばし声の震えを抑えると、見守る客人達へ顔を上げた。
「お集まりの皆様。ここに居られるお二方こそ、あの聖女による不条理な断罪を生き延びた、辺境伯夫妻その方です」
淑やかな夫人の声が会場へ凛と響き渡る。
その声は切実さを纏い、聴く人々に決意を強く感じさせた。
「悲劇を超えた今、若き彼らに必要なのは支援の手。今宵は彼らの社交界へのお戻りを祝って、温かくお迎えいたしましょう」
主催の言葉に、満場の拍手が贈られる。
辺境伯夫妻は驚いたように顔を見合わせ、感極まったように唇を噛むと手を取り合って一礼を返した。
悲劇を超え、聖女を排した真実の愛。
驕らず恩人への感謝を告げに戻った辺境伯夫妻と、彼らを庇った夫人の温かな再会。
それは英雄に相応しい精神の表明であり、正義がこちら側であると見る者に決定付ける。
「なんて謙虚なお二人かしら...」
「ああ、いい機会に立ち会えたな...」
「わたくしもお力添えになりたいわ...!」
本物の善意は人を動かす。
誇張でありながら、揺るがぬ事実は覆らない。
正義の物語が目の前で披露されたなら、自らもその登場人物であればと夢を見る。
広間の空気は見事に歓迎一色へと染まり、人々の好奇心と感動で満たされていた。
唇を噛んで笑みを堪えていたステラとセリウスは顔を上げて視線を交わし、睦まじげに微笑み合う。
恋愛劇の再演に、うっとりとしたため息が女性達から零された。
集団心理の掴みは良好。
さあ、愛に満ちた舞台を始めよう。
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