73.涙の誘爆
革命の段取りには、決して粗やほつれがあってはならない。
王都近郊のタウンハウスへと移ったセリウスとステラは、机の上に積み重なった大量の封筒に埋もれていた。
「スヴェイン卿だろ、リシュリュー伯にエスティボワ侯爵、えーとこれはハルクネン伯....」
「ハルクネンは却下だ。あやつは好かん」
「そうか?わかりやすい下衆でいいと思うけどなあ」
聖女を打ち倒し、辺境へと戻った去年の冬。
社交界を熱狂させたヴェルドマン伯爵家には、貴族達からの招待状が数えきれないほど届けられた。
あっさりと幕を引いて王都から離れた二人は、その時点では“平原の奪還と国境防衛”を理由に丁寧に断りを入れていた。だがいずれ人脈を使う時が来ると見越して、それら全ての招待状は捨てずに残しておいたのだ。
「新しいのも来たよ〜!オルネー君はしっかり広報をやってくれたみたいだね!」
ファビアンが扉を開くと共に、ジェンキンスの手によってまたどさりと招待状が積み重ねられる。
オルネー子爵の他領への触れ込みは、この一週間足らずにして人々の噂に乗って広められていた。
“辺境伯夫妻は強大な魔力で巨人を討伐し、魔力澱みを消し去りました!その戦いぶりたるやまさに戦神、わたくしは英雄をこの目で見たのです!”
信徒と化した子爵の語りは熱量高く、嘯こうとも戦力に乏しい彼単体では巨人を倒せるわけもない。
子爵のみならず、オルネーの騎士達までもが声を揃えて“辺境伯軍の活躍と魔力を見た”と嬉々として語りたがった。
加えて、子爵領の丘にはセリウスが放った雷撃によって焼け焦げた大きな跡と、氷漬けにされた巨人の遺骸が残されている。
それらは疑り深い貴族達への証拠として充分だった。
社交界では情報が命だ。
あの聖女を敗北させた辺境伯夫妻。
その新たな英雄譚ともなれば、誰よりも早く本人から情報を得たがるのが貴族というもの。
王都を揺るがす恋愛劇は、再び幕を開けたのだ。
英雄として社交界へ舞い戻る為、彼らの招待に応える時が来た。
だが、劇においてはなにより初回が重要である。
最も味方につきやすい主催者を選び、最も効果的な夜会で大勢の観客を得て復帰を果たさねばならない。完結を迎えた物語の新章をやろうと言うのだ。地味に始まるならば無い方がいいとされるだろう。
「アトレイダ侯爵はどうだ。筋の通った男だった」
「悪くないがお前と似たような堅物だったからなあ。プロパガンダ向きじゃないだろ」
「そうそう、人が集まるような華のある貴族にしないとねえ」
三人は封筒を開き、爵位ごとに選り分けて行く。
ジェンキンスに持ち寄らせた貴族要覧においては、この国における公爵家は20家、続く侯爵家が31家、伯爵家が212家、子爵家は69家、男爵家は190家とされている。
おおよそ500余りの貴族達の内、半数以上をこちらに取り込まねばならないのだ。その内、下級貴族の子爵や男爵には領地を持たない者も多い。
もちろん革命に於いて位は高ければ高いほど良い。だが爵位の高さは王家に密接な裏返しでもあるので油断は出来ない。初めに計画を潰されでもすれば、取り返しがつかないのだから。
爵位、影響力、信用度、高い利用価値。
全てを満たすたった一人の人物を、500の貴族たちから選定しなければならない。
「華やかといえばワグネル夫人かなあ。夜会主催をしょっちゅうしてるし友人も多いし、愛人作りにも余念がないみたいだけど」
ファビアンがぴら、と一枚の手紙を持ち上げる。
セリウスはその内容を聞くなり、見るからに嫌そうな顔をした。
「そのような尻軽に聖女批判が出来るのか」
「人は自分を棚に上げるものだよ、セリウス」
「ますます気に入らん」
より眉を寄せて吐き捨てた彼と対照的に、ステラは「ふうん」と楽しげに眉を上げる。
「噂好きの女を使うのは悪くないな。感情表現が大きい上に物語性に弱い。集団心理の共有には打ってつけだ」
彼女は束にした招待状をぱらぱらと指でめくり、心当たりのある名前を探していく。
「ロヴィニヨン夫人、ハルタール伯爵夫人...、あった!ローリエン夫人だ!」
ステラはぴっと指に招待状を挟むと、二人に笑みを向けた。
「タニス・ローリエン侯爵夫人。あたしが蛮族の養い子だと明かしたサロンの主催者で、面倒見が良く情に厚い。多方から慕われる人格者だが、そりゃもう涙脆いご夫人でな」
隠されてきた蛮族の生き残りを、悲劇の令嬢として伝播させた美談の語り手。
彼女がそこまで言うと、セリウスははっと顎に手を当てた。
「ああ、あの夫人か。確かに覚えている」
「ええ!?セリウスが女性の顔を覚えてるなんて珍しいね!?」
ファビアンが大きく目を見開く。
セリウスといえば、妻を娶るまでは“剣に操を捧げた男”とまで揶揄されるような男だった。
華やかな聖騎士ともなれば令嬢人気も高く、鍛錬の見物に来る女達も多かったのだ。
あの双子なんかは黄色い声援に喜んで手を振り返していたものだが、セリウスは「やかましい」と不機嫌になるばかり。
ましてや令嬢に話しかけられる事などあれば、こちらが気を使うほどには苛立ちを隠さなかった程である。
その上ローリエン夫人と言えば、穏やかで気品のある中年の女性だったはず。若い女に興味もない彼が、中年女性を覚えているなんてありえないのだ。
だがセリウスは、ふ、と片頬を上げて、おかしそうにステラと顔を見合せた。
「ああ、彼女ばかりは忘れもしないな」
あれは貴族達の集う大広間にて聖女から処刑を言い渡され、“真実の愛”を叫んだ日。
“今世で結ばれることが叶わないなら!きっと来世で君を探そう...!”
“ええ、セリウス!きっと、きっとよ...!”
衆目の中で大きく叫びあった台詞の後には、しばしの沈黙があったのだ。ここで人々の心を揺るがせなければ計画は破綻し、死は免れない。
しん、と静まり返った大広間。
祈るように息を止めた、その瞬間。
“あれほど愛し合う二人を引き裂くなんて!”
彼女はあの場で誰よりも早く涙を流し、二人に勝利を確信させた。
「ローリエン夫人は、周囲を悲劇に酔わせた起爆剤だ」




