71.英雄の軌跡
風吹き渡る、なだらかな丘陵。
本来は放牧地であるそこは一見のどかな風景だが、大きな足跡が草を踏みつけるように残されている。
その大きさたるや、成人男性ひとりが寝そべられる程。それは足跡を付けた主人が、尋常でない巨躯である事を物語っていた。
そしてはるか前方の木立の側では、大型の澱みがごぼごぼと魔力を垂れ流している。
現在はまだ魔物の姿は見られないが、獲物が近づけばすぐさま這い出して来ることだろう。
「いいですか?主は単眼巨人 です。弱点は分かりやすく大きな眼球、視野の狭さと動きの鈍さにあります。が、これはあくまでオルネー子爵の話を元にした絵と推察でしかありません」
ルカーシュが手帳に書き付けた巨人の絵を示す。
人を縦に五人は並べた程に大きく、体はでっぷりとしながらも筋肉質。ぎょろりと開いた一つ目に涎を垂らしただらしない口は、意思の疎通を望めぬ魔物であると明確に示している。
「となると飛び道具が有効なのね。さっそく見せ所じゃない、ねえ貴方?」
すっかり革鎧を纏った辺境伯夫人が主人の肩を軽く叩く。辺境伯は渋い顔をして口を噤んだ。
「...善処はする」
「範囲と威力で片付けてばっかりじゃダメよ」
「......」
主人の隣でくすくすとおかしそうに笑う辺境伯夫人に、オルネー子爵は目を丸くする。
「あのう、もしや奥方様も戦闘に出られるので...?」
戦に出る淑女などと、今まで聞いたこともない。
愛し合う夫婦と言うのなら、妻を戦場から遠ざけるべきではないのだろうか。
「ええ、“平原の民”流の愛し方というものですわ。わたくしは言葉通り、旦那様のお力になりたいの」
ステラがにっこりと微笑むと、隣のセリウスが上がりかけた口元を抑えて小さく咳払いをした。
「愛だよねえ〜?」
にまにまと茶化すファビアンだが、親友を名乗る彼の振る舞いはまさに“揺るがぬ夫婦愛”の裏付けとして相応しい。本人達よりも周辺の他者の言葉が説得力を持つというのは、社交界においてもよくあることである。
「僕らは今回は安全地帯の観客だからさ、まあ頑張ってよ。ルカーシュの策は把握済みでしょ?」
「無論だ。撹乱が目的であれば少数で事足りる」
彼らの背後には、きっちりと隊列を組んだ辺境騎士の精鋭達が20名程。その数は馬車の護衛用としか思えず、オルネー子爵は彼らの会話を聞きながら不安げな顔をした。
「本当にこれだけで足りるのですか?よろしければ我が兵も貸し出しますが...」
「問題ない」
すぱりと答えたセリウスに、子爵は押されて言葉を失う。だが辺境伯は表情を変えず前方を向いたまま、背後の騎士団に手のひらで軽く合図を送った。騎士達がざっと揃った軍靴の音を立て、歩き出した主人の後を追う。
(最初の見せ場だ。派手にやれ)
ステラが小さく囁く。
初手の強烈な衝撃は英雄に必須だ。
おもむろにセリウスが右手を上げた。
親指が擦り合わされ、パチン、と指先が爆ぜる。
———ドォンッ!!!!!
空を切り裂くような轟音。
降り注いだ巨大な落雷の青い柱が、前方の地面を大きく穿った。
「なっ、何が...!?」
離れた背後でオルネー子爵が尻餅をつき、視線の先では地を這った稲妻が無数に散って消える。
同時にぽっかりと開いていた魔力澱みから、招び出されるようにずぶすぶと異形が湧き出して来た。
黒くべたついた澱みの残滓を絡ませたまま、形を成すのは狼に似た魔物。
爪は飛び出すように大きく、瞳は左右に二つずつ。
唸り声を上げる口元からはどろりと魔力の雫が溢れる。
「魔狼ばかりが大量に...。子爵の報告通りですね」
ルカーシュが呟いたと同時に、澱みの中から巨大な手が現れる。その手は地面をわし掴むようにして、盛り上がった肩と頭蓋を覆う血管と土気色の肉、黄ばんだ目玉をぎょろつかせる頭部を露出した。
ズン、と腹に響く程の重い足音。
ようやく立ち上がった単眼巨人は、こちらを一瞥するなり不機嫌な咆哮を上げる。
澱みが生み出す彼らに、眠りがあるのかはわからない。だが、喉を震わせた野太い叫びには明らかな苛立ちが込められていた。
「予定通り雑魚は任せる。丘は燃やすな」
「はいはい。貴方こそちゃんと“待て”を守るのよ」
「...わかっている」
不機嫌に眉を寄せた夫に、笑った夫人は腰から二丁の剣を抜き放つ。
同時に背後の騎士達もすらりと鞘から剣を構えた。
「先鋒続け!蹴散らすぞ!」
先陣を切って飛び出した彼女は、さながらはためく戦場の旗。翻った赤髪に釣られるように、駆け出した騎士団が続く。
握った刃にぶわりと炎が纏い、火の粉を散らせながら魔物の首を焼き刎ねていく。
ひゅるん、と軽い風切り音と共に回転する姿は踊るように様に鮮やかで、見守る子爵の呼吸を忘れさせた。
騎士達は彼女の開いた空間に雪崩れ込み、残る魔物を剣とそれぞれの魔術で制圧する。草木で絡め取る者、闇で捉えて枯らす者、土で地に飲み込む者。魔力暴発を超えて選定された精鋭達は、速やかに彼女の敷いた道を整地していくかの様である。
だが、巨人は彼らの動きを待ちはしない。
大きく振り上げられた拳が迫り、即座にばっと散った彼らの居た地面へ振り下ろされた。
地響きが足元を揺るがせる。騎士達は作戦通りにそれぞれ攪乱を試みるが、立つのがやっとだ。
だが巨人の手は再び高く振り上げられる。
このまま薙ぎ払われれば、騎士達の被害は避けられない。ならば、奴の注意を上に固定するべきだ。
くるん、と宙を舞ったステラが地についた巨人の腕へと降りて駆け上がる。
慌てて立ち上がった巨人が虫でも払うようにもう片方の手を伸ばすが、彼女は燃える刃で素早くその手を切り付けた。
ぼわっ!と火の燃え移る巨人の手。
だが皮は厚く、切り落とすまでには至らない。
熱さと痛みを受けた巨人は途端に腕を振って暴れ出した。
「くそっ、この...、おとなしく...!」
巨人の肌に毛は無く、なめされた牛革のように掴みどころもない。爪を立てれば奴の汗がぬるつく。
一瞬の誤差。
あのまま腕を断ち切るつもりだったのに、散った炎が目測を狂わせた。得物の尺が僅かに足りなかったのだ。足元の騎士達から視線は逸らせたが、動き回られては手が出せない。
魔物を斃す“切り札”はセリウスだ。奴の一撃が弱点に当たらなければ“英雄”たらしめる意味が無くなる。だがこれほどに大暴れをされては、狙いなど定まる訳がない。
だからと言って腕を振り回す巨人に飛び込めば、彼とて無事ではいられまい。
「っ、まずい」
このままでは体勢が保てない。
セリウスが剣に手を伸ばし、駆け寄るのが見える。
だめだ、来るな!今はいけない———!
叫び掛けたその瞬間。
青い雷撃が目の前を走り、巨大な目玉へ直撃した。
グオォアアアアッ!!!!
目玉へと命中したそれは、バチバチと激しく眼球を伝って脳まで焼き切る。苦悶の咆哮を上げ、たまらず瞳を抑えて巨人がうずくまった。
しゃがんだ巨人の身に追いつけず、その場に浮き上がるステラの身体。
落ちる———受け身を取るが、地面は遠い。
その途端、何者かに腰をぐい!と抱え込まれた。
「駆け寄りながら照準を合わすのは難しいな」
彼女を引き上げ、うずくまる巨人の背で身体を支えたのは辺境伯。
ステラは大きく目を見開いた。
「...驚かせやがって」
小声で笑ったステラの悪態に、彼は背の剣をすらりと抜いて笑みを返した。
「悪くない腕だろう。君の指導が効いたらしい」
銀の刃が頭上の日を受け、ぎらりと鈍く光る。
冷たい剣の切先が巨人の頸へと当てられる。焼け焦げた目玉を押さえたまま、脳まで痺れた巨人はもはや動くことは不可能だ。
「核は頼んだ」
彼の言葉を受けて、ステラが触れた肌から、ぼう、と炎が巨人の頭部を包み込む。
同時に高く振り下ろされる両手剣。
厚い肉の内へと深々と食い込んだ大剣は、彼の手でもう一度捻られ、太い首を胴から切り離した。
地面を大きく揺るがして、地に燃え落ちる巨人の頭。崩れたそれは瞬く間に消し炭となり、内側の核と共にさらりと燃え尽きて灰となった。
丘の上には前に頽れるように首を垂らした主と、無数の魔物達の死骸が残るのみ。
それは犠牲一つ無い“圧倒的な勝利”。
騎士達は剣を振り上げ、高らかに主人の名を繰り返す。
勝ち鬨が響く丘の上。
辺境伯は妻の手を取り、血に濡れた草地へと降り立った。
風に乱れる黒髪を、腕の中の夫人が耳へと掛け直す。彼女を見つめる金の瞳が愛おしげに細められた。
強大な魔物を屠った青い雷と紅い焔。激しい異能を纏っていた二人が、ただ美しく寄り添い合う。
「...信じられない...」
オルネー子爵は、気づけば膝をついていた。
「...わ、わたくしは、神話を垣間見たのですか...?」
産まれて初めて目にした、人を超える異能。
あの単眼巨人は決して敵わぬ脅威だった。突如現れた巨大な主はたった一月で土地と家畜を蹂躙し、失った兵も数知れず。
それをこの二人は、たった二十人余りの兵と、人間とは思えぬ圧倒的な力で殲滅したのだ。
混乱した彼に、宥めるようにファビアンが微笑みかける。
「聖女に抗った彼らは、血に宿る魔力の覚醒に成功したんだ」
子爵は震えが収まらぬまま彼を見上げた。
「...まさか、本当にそんな事が...」
彼は粟立つ肌を抑えられない。
そこに後押しするようにルカーシュが頷いた。
「彼らの力は本物の魔術。聖女が力を失った今、辺境伯夫妻こそが、魔力澱みから皆を救う光となるでしょう」
ルカーシュとファビアンの横顔は、誇らしげに辺境伯夫妻を見つめている。
「ごらん。僕らを導く、真の英雄を」
二人に促された子爵は、辺境伯夫妻とその奥で消える魔力澱みを視界に収める。ゆっくりと歩み寄った辺境伯夫妻は、腰の抜けた自分へ手を伸ばした。
目の前には陽光を背にして、差し伸べられた彼らの手。
あれほどの魔力を発していたというのに手のひらは焦げもせず、傷一つなくなめらかだ。丘へと吹き渡った風が、燃える赤髪と濡羽色の髪を揺らす。
彫刻のように整った長身の男女。
見下ろす黄金とエメラルドの瞳。
並び立つ二人は、神話の神々のように美しかった。
「ああ...、ヴェルドマン卿...奥方様...」
絞り出したのは、崇拝と憧景を含んだ呼び声。
思わず手を取り、助け起こされた彼はその手を震えた両手で握り返す。かつてない救いに、没我と高揚が身体を満たすのを感じていた。
————彼らこそ、人の身に宿る戦神だ。
聖女が女神の加護を失ったのも、神の怒りに触れた為に違いない。
まざまざと瞳に焼き付けられた、裁きの雷と導きの焔。劇的な救済と圧倒的な力は、新たな信仰心を芽生えさせるには充分だった。
「なんと、感謝を述べれば良いのか...」
潤んだつぶらな目には映るのは、この世に体現された英雄の叙事詩。
革命の第一歩が、大きな軌跡として残された。
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