61.英雄王
「どういうつもりだセリウス!」
廊下を歩むセリウスの背をステラが追う。
「王家打倒の旗なんてもんになっちまったら辺境はどうなる!せっかく平原の魔物を退けたんだぞ、これからだっていうのに!」
先を行く彼はこちらを振り向かず、返事すら返さない。
「あんな魔法公なんて胡散臭い男の取り引きを呑みやがって!奴がどこまで本当の事を言ってるかなんてわかんねえだろうが!その力もどうせ...」
言いかけたところでバン!と目の前で扉を閉められる。
「っ!」
拒絶を明確に表す重いオークの扉。
そこは今やステラの部屋へ彼がほぼ入り浸りとなっている為に、使われなくなっていたセリウスの自室だった。
あれほど愛だなんだと言っておきながら、都合が悪くなれば自分の領域へ逃げるのか。
「こんの...っ!」
苛立ったステラは歯噛みすると、思い切り扉を蹴り飛ばした。
「返事くらいしろこの野郎ッ!!あれだけ迫ってきた癖に今更無視とはいい度胸だな!」
ガン!!と蹴り開けられた先の背中。
肩に掴み掛かろうとした途端、セリウスがばっと振り払って距離を取った。
「触れるな!!!」
彼が大きく怒鳴った途端、バチィッ!!と右手から激しい閃光が散る。
「っ...!」
ステラが息を呑む眼前で、セリウスの身体へパリ...ッと這うように青い稲妻が走って消えた。
暗闇から覗く金の瞳。
「見てわからないか。俺は今、この力を制御できない」
セリウスの声には苛立ちが滲む。彼女を眼下に縫い留め、毛を逆立てた狼のようにゆっくりと距離を取った彼は、低く震えた声で「近づくな」と牽制した。
ステラは手を伸ばしかけた体制のまま、彼を見上げる。
「...本当に、お前からそれは出てるのか」
アストラル魔法公は魔法宮を統べるほどの強大な魔力の使い手だ。魔力のないセリウスへ、魔法を使わせたように見せる事だって可能じゃないのか。ちょっと触れられたくらいで、簡単に覚醒するものなのか。
「奴の魔法で騙されてるんじゃ...」
信じたくない、と言いたげなステラの声にセリウスは深く溜め息を吐く。
この力を否定したいのはこちらとて山々だ。
...だが、違う。
彼は苦い顔で目を瞑った。
「...遠隔魔法ではない。間違いなくこの身から、忌々しい魔力とやらが溢れ出すのを感じる」
アストラル魔法公に手を握られた瞬間、まるで血液が逆流し、腕の中で何かがこじ開けられたような感覚があった。
導かれるように飛び出た稲妻は、彼の言った通り己の感情に呼応している。それは開いて塞がらぬ傷口へ力を入れれば溢れる血のごとく、勝手に内から流れ出てしまう。
ただでさえ混乱し、気が立っているのだ。
今ステラに触れられれば、間違いなくこの力を止められない。そしてその稲妻はあの黒く焼き焦げた机と同じように彼女を———
ぞわり、と背に冷たいものが走る。
「君を殺したくない」
セリウスの瞳はどこか怯えたように揺れて、ステラから視線を逸らした。
「...そうか」
彼の表情を見つめたステラは、そう答えて黙り込む。
彼と婚姻関係を結んでから、いつだってこちらに触れてきたのはセリウスだった。
彼はこちらが拒絶して逃げようとも、照れのあまり思い切り殴り付けようとも引かなかった。
強引で、どこか支配的で、それでいてこちらの過去や感情を汲み取ろうとする触れ方には優しさがあった。
そんな彼が怯えるあまり近づくことすら出来なくなるなんて、らしくない。
「...ふん、上等だ」
だったらやり返してやろうじゃないか。
あたしはこいつの妻なのだ。怯える夫を受け入れる度量くらいあるってもんだ。
ステラは一歩足を踏み出す。同時に腰を引こうとするセリウスの手へ、自らの手のひらをぴたりと合わせた。
「っ!?やめろ、死にたいのか」
「殺せるもんなら殺してみろ」
慌てるセリウスの手のひらからパチン!と火花が散り、肌を刺すような一瞬の熱が伝わる。
だが彼女は感じなかったようにぐっと握り込む。
「っ、駄目だ」
冷や汗を浮かべたセリウスは手を引こうとする。
けれども絡んだ細指は、彼の手が逃げるのを許さない。
ステラはそのまま彼の手をぐいと引っ張ると、自らの胸へ彼をぶつけるように引き寄せた。
「!」
「たかが静電気なんかで怯えやがって。魔法公は制御出来るものだって言ったんだろ?だからお前は取引きを受け入れた。...だがこのまま良いように利用されるばかりなんて、誇り高い辺境伯らしくもない」
ステラはセリウスの眼下から、挑発するようにエメラルドの瞳を煌めかせる。
魔法公は単体では王座を奪えないからわざわざ辺境まで“頭を下げに来た”と言った。こちらはあくまで売り手なのだ。どうして魔法公へ従順になる必要がある。
「相手はあたし達無しでは都合が悪いんだ。ならこちらも最大限利用し返してやらなきゃ損だろう」
「それは、どう言う...」
セリウスが口を開き掛けると、ステラはぐっと彼の襟元を引いて唇を重ねた。
ピリ、と痺れる強い刺激。
「...あいつは王座に着くが、そこで大々的に革命の旗として表に立つのはあたし達だ。ならば民衆の信奉を得て、偶像の英雄夫妻とやらに祭り上げられてやろうじゃないか」
ステラはぺろりと痛む唇を舐め取ると、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「救国の英雄は信仰を生み出す。そして信仰対象の生まれた場所は聖地と呼ばれる。この意味がわかるか?」
彼女はセリウスの襟首を掴んだまま囁く。
「辺境を不可侵の聖地にするんだ。新王の頭が上がらないほど、独立した中立領として確立すればいい」
衝撃的な定案に、セリウスは目を見開いた。
「そんな事が可能なのか」
「ああ、出来るとも。王位奪取であやかった英雄信仰を敵に回せば、魔法公の威信は地に落ちる。暴動、内乱、腐敗への革命が勃発し、今の王家と同等には王座の維持が難しくなるだろうな」
つまり辺境は、王家と同等の力を持つ。もう誰にも利用される土地では無くなるのだ。そして今度こそ、かつての過ちをやり直し平原と辺境は一つとなる。
辺境伯であるセリウスは平原の長であったあたしの過去を知らされてなお、受け入れると宣言したのだ。こちらに望むのはただ、愛だけだと。
ならばこちらも相応しい“愛”を以って応えてやらなくては。
そう———支配者の妻なら、夫がより高みへと登れるように背を押すべきだろう?
ステラは微笑みを浮かべると、彼の耳元へ唇を近付ける。びく、と微かに震えた彼の身体は、こちらを傷つけまいと強張ったまま動かない。
我が夫にこれほど怯えた顔をさせるとは、やってくれたな、魔法公め。
だが、簡単に御せる相手と思うなよ。
貴様が王座を狙うなら———
「セリウス。お前を英雄王にしてみせる」
耳元へ小さく囁かれたのは大胆な野望。
セリウスは美しく笑った妻へ、ただ息を止め見つめ返した。




