60.締結
「...それで、王座を奪って何がしたい」
震えをなんとか押し込めたステラがアストラル魔法公を睨みつける。
全ての戦が、誇りさえも覆されたのだ。激情の淵で留まったものの、口調を整える余裕は無い。
だが、眼光を受けた魔法公は彼女の言葉遣いなど気にもならない様だった。
「私が望むのは虐げられ、利用され続けてきた魔術師達の地位向上だよ。彼らに貴族との婚姻の権利、つまりは参政権を与えたいのだ」
彼はひらりと手のひらを上げて微笑む。
「元は我々魔術師が得た国だというのに、政治に口出し出来ないなんておかしな話じゃないか。魔術師は道具ではなく国民なのだから」
「随分と聞こえがいいな。結局は魔術師に力を持たせ、魔力のない人間を支配下に置きたいんじゃないのか」
耳障りの良いプロパガンダを叫ぶ人間は、何かしら個人的な思惑を抱えているものだ。
ステラが訝しむように声を低めれば、彼は予想していたようにくすりと笑った。
「いいや、その逆だよ。そもそも、この国では魔力を持つ人間とそうでない人間が混じって生まれる事がおかしいと思わないかね?魔力持ちは突然変異、しかも魔力は血に受け継がれない。本当にそうかな?」
「...個人の持つ才能と同じような物では」
謎かけを促すばかりの態度に苛立ちが増す。
魔法は素質。特異な人間が生まれ持つ特異な力だ。魔力がない人間には魔法は使えないものだろう。
セリウスが眉を寄せると、魔法公はまるで生徒が答えを間違ったように微笑を浮かべた。
「そういう見方もあるね。だが私はこう思うんだ。“魔力無しなどいない”と」
彼はぱっと両手を広げて笑い、セリウスとステラは目を見合わせる。
まさか、つまりそれは———
「君の言った才能も気付かなければ無いのと同じ。感知できなければ使うことも不可能だ」
魔法公はそう語ると、セリウスへ手をすっと差し出す。
「辺境伯殿、手をこちらへ」
突然目の前に手を差し出されたセリウスは、困惑して彼を見つめ返した。
いきなり握手を求めるとは何のつもりか。
「握手で取り引きに同意と見るなら否ですが」
「私はそんな小者ではないつもりだよ。なに、噛み付いたりしない。さあ」
にっこりと微笑まれ、促されるままに右手を預ける。元より相手が格上だ。握手に応じないのは無礼に当たる。
「あの断罪の夜会で一目見た時から感じていたよ。君には強い力が満ちていると」
「何を...」
セリウスが口を開きかける。
だがアストラル魔法公は微笑みを崩さない。彼の空色の瞳は見透かすようにセリウスの瞳を見つめている。
「セリウス・ヴェルドマン辺境伯。君は生まれてこの方、この20年余りを剣一筋で生きてきたそうだね。他のことには目もくれず、君は眠る力に気付きもしなかった」
突然、セリウスの手の中からバチッ!と小さな稲妻が迸った。
「っ!?」
思わず手を引いた彼は、自らの手のひらをばっと確認する。
今、確かにこの手から稲妻が飛び出した。隣のステラも目を疑うようにセリウスを見る。
「セリウス、お前...!?」
「ま、まさか。あり得ない」
あり得ない。セリウスは口走るが、手の中にはまだ何かが放たれた感覚が残っている。
今まで生きてきて魔力など感じた事は無かった。
だが魔法公から何かが流れ込んだ瞬間、稲妻が導かれるように飛び出した。知覚してしまった感覚。自分の中に新しい力が芽生えている感覚は否めない。
「少し魔力回路を開いてみたが、やはり君には魔法の才がある。どうやら雷と親和性が良いようだね」
魔法公は満足げに笑って髭を撫でる。
「我々国民は遺灰の染みついた土地から芽吹いたものを食べてきた。体に影響がないと思うかね?」
魔力澱みが湧き出すような土地だ。
そんな土から採れた作物、作物を食べ続けた家畜、それらを全て腹に収めてきた国民たち。
「何年も前から研究によって結論は出ている。我々国民には皆魔力が流れているんだ。たまたま使い方を知った人間が魔術師と呼ばれるようになっただけでね。そしてその事実は、魔法宮外に出すことを王家によって禁じられている」
魔法公の瞳が静かな怒りを孕んで揺らめく。
穏やかだった彼の全身から滲み出すような重い激情。セリウスとステラはごくりと唾を飲んだ。
「王家は魔術師を恐れているんだ。そこかしこに魔法を使える人間がいれば、立場が揺らぐ。特別な王家による聖なる力の価値が薄れる」
魔法公の声は低い。その声は今まで虐げられてきた魔術師達の憎しみが釜底から煮え立つよう。
だが彼はそこまで言い切ると、打って変わってにこりと再び人の良さそうな笑みを浮かべた。
「結論を言おう。私は国民全員の魔力を開花させたいんだ。魔術師は特異な存在ではなくなり、人間にとって魔法は普遍的な物となる。火や水と同じようにね」
「つまり、この国を魔法国家にすると」
セリウスが自らの右手を抑えたまま呟く。
物分かりのいい返答に、魔法公は目尻の皺を深くした。
「そうだよ。知識を魔法宮から解放して、幼年期からの魔法の学舎を開設しよう。各地の神殿に魔術師を配置し、成人の魔力の発露を手助けしよう。魔石がなくても人は魔法で豊かになる。生活は向上し、隣国の脅威を退けられる。素晴らしい事だと思わないかね」
「「......」」
セリウスとステラは黙り込む。
彼の語った内容は、実に理想的な未来として輝かしい。魔術師達の使い捨ての現状も、政治参加が出来ない事実も、魔法の素質を隠す王家も歪んでいる。
「そして、今や君もその当事者となった。ヴェルドマン辺境伯。魔力回路を開いた君はこれから魔力の制御を覚えなければ、妻に触れることも叶わなくなる」
「な...!?」
セリウスが驚きに声を上げた瞬間、右手からパチン!と稲妻が散った。
「魔力は感情に呼応する。それは今の驚き、怒り、そして強い興奮...ベッドの上でも発動するよ。感情が昂ればより激しく。君は妻を黒焦げにしたいかね?」
セリウスはぞっと血の気が引いていくのを感じながら、ステラを振り向く。
彼女は自分の感情を最も振り回し、動かす存在だ。
つまりはその度に彼女を傷つけてしまう、いつかこの手で彼女を殺してしまう。
「なんと言う事を...!」
彼が怒りのままに立ち上がり、机に手をつくと同時にバチバチと稲妻が散って天板を焼き焦がす。
魔法公は「ははは!」と愉快そうに笑うと彼の肩に手を置いた。
「今の君は甘噛みを知らない子犬と同じだ。だが、私達魔術師ならその制御法を教えてあげられる。それも君達が革命の旗として協力を約束してくれるならね」
「卑怯な、恥を知れ!」
「これは正当な取り引きだよ、辺境伯夫人。手紙で告げていただろう?“愛には魔法が必要”だと。君たちの夫婦関係は制御を身に付けた魔法が補強するだろう。より熱く強力に、愛する人を守る力としてね」
くつくつと楽しげに笑った彼は、セリウスの金の瞳へ試すように片目を閉じて見せた。
「妻を守るか、傷つけるか。選びたまえ、辺境伯殿」
セリウスは自身の焼き焦がしたテーブルへと視線を落とし、黒く燻って艶のなくなった天板と愛しい妻を見比べる。
...ステラをこんな姿にはさせられない。
己から溢れた力で彼女を傷つけてたまるものか。
ぐ、と瞼を瞑ったセリウスは噛み締めた口の端から押し殺すように声を漏らした。
「...アストラル魔法公、其方の取り引きをお受け致します」
苦しげな返答。
だがそれ以外など、選べる訳もないのだ。
「流石は騎士殿。物分かりが良くて助かるよ」
「っ、セリウス!駄目だ!」
焦った叫んだステラの瞳を、彼は見ることが出来なかった。




