59.陰謀と怨嗟
「その通り。王家は実に汚い。そして我々魔術師は永らくその王家に利用されてきた」
アストラル魔法公は机の上に指を組んだまま、獣のように吠えたステラへにっこりと微笑み返す。
「何を都合の良い言い訳を...!!」
貴様とて王家の血を引く一人だろうが。
地位にあやかり命を受けておきながら、ふざけた口を。
沸き立つ怒りに立ち上がりかけたステラの肩を、ぐっとセリウスが抑え込んだ。
「公はそれが本意ではないと?」
牙を剥く妻を抑え、あくまで冷静な姿勢で彼は尋ねる。今までステラがここまで淑女の演技を崩し、我を忘れたことはなかった。おそらく理性が許さぬほどに血が昇り切っているのだろう。
だが彼女がここで王家の血を引く公爵に怒りのままに掴みかかれば、不敬罪は免れない。そうなれば伯爵の己の身分では庇い切る事は不可能だ。
...落ち着け。己の怒りは後でいい。ここで冷静さを欠いてはならない。
セリウスが自らの怒りを押し込めてステラの肩へ力を込めると、意を受け取ったステラがようやく震えながら低く息を吐き出す。
それでいい。セリウスが表情を崩さず魔法公を見つめ返すと、彼はその様子に微笑んだ。
「君はいい夫のようだ。質問に答えるが、実に不満だよ。我々は王国に囚われているからね」
彼は再び紅茶のカップへと手を伸ばす。
セリウスは彼の真意を測ろうと瞳を細めるが、魔法公は彼の視線にも揺るがない。
「そもそも魔術師とは元貴族でない限り、ほとんどが一代きりの使い捨てなのは知っているね?」
優雅に指先で持ち上げたカップ越しに、魔法公は二人を見据える。
「突然変異によって魔力を授かった人間は、それが明らかになると有無を言わさず魔法宮へ召し抱えられる。しかし魔力は血に受け継がれない」
アストラル魔法公は王家の従兄弟筋であり、公爵家という尊い身分を有している。
だが、通常の魔術師は“魔術師”という地位を与えられるだけ。爵位も無ければ貴族との婚姻も許されない。あくまで彼の言う通り、魔術師とは一代限りの存在なのだ。
「だが王家の子は代々女神より聖なる加護を受ける。それは何故かな、お嬢さん」
彼は謎々でも出すようにステラへと微笑みかけた。
「...そんなもの、魔力と加護が別物だからだろう」
怒りを抑えたステラは忌々しげに吐き捨てる。
国に伝わる伝説では、“女神がこの地を治めた最初の王に加護を与え、愛と信仰によって代々血筋へ加護が受け継がれる”と語られているのだ。
それは魔力ではない。選ばれし者への加護である。令嬢に産まれてからは加護の稀有さと有り難さを耳が痛くなるほど聞かされ、年の瀬には女神を崇めるために各地の神殿へと赴く事が国民の常識なのだから。
アストラル魔法公は、ステラの言葉を予想していたように空色の瞳を細める。
そして、その澄んだ青から光が消え去った。
「残念だが、女神は魔力由来だよ。なぜなら“女神”が加護を与える装置に過ぎないからだ」
彼は笑みを消し去って告げる。
「...それは、どういう事です」
予想もしない内容にセリウスが聞き返す。
これまで国を挙げて崇め奉ってきた女神を“装置”と評するなどと恐れ多く、国民にあるまじき発言である。
女神とはその名の通り人智を超えた力を操る我々の主神であり、上位存在のはずなのだから。
理解の及ばぬ話に困惑を隠せない二人を一瞥すると、魔法公は薄く笑う。
一口紅茶を喉に送ってカップを戻した彼は、ゆっくりと喉を鳴らしたのちに口を開いた。
「まずは王家とその血に伝わる、この国の成り立ちから話そうか」
彼は穏やかに、まるで昔話でも子供に聞かせるように語り出す。
鎮まる天井へ、紅茶の白い湯気だけが昇っていく。
「かつての我が王国アスタレスの王は、多くの魔術師を率いて戦に勝ち抜きこの領土を得た」
「だが土地を手にした彼ら王族は、戦を終えて大きな力を持つ魔術師達の力が恐ろしくなった。そして同時に、魔術師達に領土と権力を渡すのが惜しくなってしまった」
いつの世も、人の心というのは欲深いものだ。
そしてその血を継いでいる己も。
魔法公は自嘲を込めたような笑みを浮かべる。
「そこで彼らは魔術師を讃える為の宴を開き、彼らに百合の毒を含んだ酒を振る舞った。哀れな魔術師達は痺れと酩酊の中、彼らによって血を抜かれたのだ」
魔法は血に宿る。
全身を巡る血が魔力を生み出し、指先から迸る。
「魔力を宿す血は彼らにとって魅力的だったのだろう。無用となった亡骸は、罪の浄化を祈って火にくべられた」
アストラル魔法公の瞳に、昏い火が揺らめく。
「な...」
セリウスとステラは彼の語った言葉に目を見開く。
魔法公はおもむろに右の手のひらを上げると、氷の粒を手の上に出現させた。
「魔術師の血液は一つの巨大な器に納められた。その器は神殿奥にあり、“女神の泉”と呼ばれている」
氷の粒は荘厳な神殿を形造り、また瞬時に形を変える。それは女神の彫刻の施された泉を模った。
「満たされた紅く粘質な“聖なる水”は王家の血を引く一世代に一人にのみ、聖なる紋と力を与える。力の源となるのは国民の信仰心。強く信じられるほど、強い力を行使出来るのだ」
「そうして王家は、聖なる力という名の魔力を受け継いできた」
聖なる神殿と女神の伝説が、血塗られた歴史へと覆されていく。アストラル魔法公は手の中の氷の泉を、ボッと燃え上がる炎に閉じ込めた。
「だが魔術師達を灼いた炎は、舞い上がった灰でこの地に強い怨みを染み付かせ蔓延させた。それらは憎悪に湧き上がり、闇から民を喰らう魔物を産み出す。つまりは———“魔力澱み”だ」
「「...!!」」
セリウスとステラは目を見開く。
アストラル魔法公の手の上で弾ける炎が、火花をパチリと舞わせて静かに燃え尽きた。
「燃え残った灰は彼らの血と同じく、神殿に保管されている。“澱みの遺灰”と呼ばれるそれらは、土へと撒くことで魔力澱みを新たに生み出す」
「その意味がわかるかね」
じ、と見据える瞳は、辺境の統治者へ容赦無く残酷な真実を突き付ける。
“澱みの遺灰”
そんなものが本当にこの世に存在し、王家の手にあるとするならば。そして、隣国の軍装を纏った王国魔術師が、遺灰を手にして訪れたとすれば。
「...あの日、平原に現れた巨大な澱みと魔物は...」
ステラは唇を震わせて、言い切れず指先を膝の上で握りしめる。セリウスは震える彼女の肩を支え、代わりに引き受けるように言葉を続けた。
「王国の陰謀の為、“遺灰”によって人為的に生み出されたものだった、と...」
彼は腕の中で、行き場のない怒りと悲しみを抑え込もうと唇を噛むステラを見つめる。
敵国に唆された事実、そして一族の過ちすらも飲み下し今世を生き始めた彼女にとって、この事実はどれほどの屈辱であろうか。
平原の民と辺境領、どちらも国に騙されていた。
父である辺境伯を謀り、領土の防衛の為と剣を抜かせた王家の陰謀。争う必要のなかった二つの勢力が憎み合うように仕向けられていた。
その上、この国の成り立ちのおぞましさ。
勝利をもたらしたはずの魔術師への裏切り、魔力への妬みと恐れによる大量虐殺。引き起こした災い。
全てが陰謀に塗れ、怨嗟の上に建った王国だった。
つまり辺境伯たる己は、英雄であった父は、散っていった騎士達はこれほど邪悪な王家へ仕え、代々命を賭して王国を護り続けているというのか...!
セリウスはギリ、と奥歯を噛む。
冷静さを保つ事はもはや困難だった。
未だ震えの止まらぬステラと固く拳を握った彼へ、魔法公は悠然な態度を消し去り、真剣な面持ちで告げる。
「わかるだろう?この王家は腐り切っているのだよ。だから私は彼らを追い落とし、王座が欲しい」




