58.仕組まれた戦
「さあ今日こそ狩りだ!見とけよ、兎でも雉でも仕留めてやるからな!」
勇んだステラが矢筒を背負い、引っ張り出して来た弓柄をぐっ、ぐっ、と床に押し付けて曲げ伸ばす。
昨日はダリアと再会したおかげであえなく断念したのだ。今日こそは狩りを存分に楽しみたい。
「ならば私も参ります。狐か狼でお帽子でも誂えましょう」
するとどこから聞きつけたのか、ダリアが部屋へと飛び込んで来る。
セリウスは「地獄耳め」と眉を寄せると、準備に夢中な妻の肩をわざとらしく引き寄せた。
「いや、侍女には屋敷の仕事があるだろう。それよりステラ。どうせ共に出るなら同じ馬で出掛けようか。君の弓の腕を近くで見たい」
「っ!」
するり、と優艶に頬へ触れながら囁かれ、ステラは慌てて息を吸う。
昨夜彼の胸を借りて泣いてしまったせいだろうか。
なんだかあれからむず痒く、今まで以上に触れ合いを意識してしまう自分がいた。
「べ、別に構わないけどさ...」
触れられた手をそのままに目を逸らして赤く染まったステラだが、その表情は満更でもない。
勝ち誇ったセリウスは満足げに微笑み、ダリアはむかっと肩を怒らせた。
だがここで平静を崩してはいけない。
まだ打つ手はあるのだ、とダリアは気を整える。
「仕事は粗方早朝に終わらせておきました。どうです我が君、雁の群れを五羽纏めて落とす様を見たくはありませんか」
「五羽纏めて!?そんな技も身に付けたのか!」
ずいっとステラの正面へ回り込めば、彼女はわかりやすくぱあっと瞳を輝かせる。
「見たい!馬を貸してやれセリウス!」
ステラはすっかり興奮してセリウスへ笑顔を向け、瞬時の裏切りに彼はぐぬ、と苦い顔をする。
彼女は剣でも弓でも、高度な戦闘技術に目が無いのだ。このまま夫婦二人きりで睦まじく狩りだなどと許してたまるものか。こちらの技で我が君を釘付けにし、夫の存在など忘れさせてくれる。
思惑通りの展開にダリアは不敵な笑みを浮かべた。
セリウスは不利な状況にますます眉を寄せると、ふん、と負け惜しみのように鼻で笑った。
「そんな服で狩りなどと笑わせる。メイドらしく床でも磨いていろ」
「案外機動性に優れているものですよ。ご心配なさらず」
ステラの肩を抱いたまま見下ろすセリウスに、負けじと敵意を隠さずに睨み上げたダリアが唇を上げる。
そんな二人を尻目にステラはびん、と張った弦をパチンと弾いて確かめていた。
よしよし、張りは良好。空は晴天。まさに狩り日和である。
「それじゃあ行くか!」と満面の笑顔で立ち上がったその瞬間。
「お客様です」
ジェンキンスの開いた扉にステラは「なんでだよ!!」とばたん!とベッドに突っ伏し、セリウスは思わず目元を押さえた。
「...流石にもう雇いたくない...」
「今回ばかりは同じ考えで何よりだ...」
げんなりと顔を曇らせる二人に、ダリアだけが「?」と首を傾げた。
————
「いや失礼、急な訪問をお詫びしよう」
客室のソファに通された男は、優雅に額から立ち上がった前髪をふわりと耳の後ろへと流す。
高貴な白金の髪に、空色の透き通った瞳。どこか聖女を思わせるその色は、まさしく王家の血の印。
「いえ、しかしアストラル魔法公ともあろう方が何故このような場所に?」
セオドア・フォン・アストラル。
彼はこの王国の血を引く公爵でありながら、王都の魔法宮を統べる最高責任者である。
だがここは国の末端である辺境。王都から見ればど田舎もど田舎であり、公爵家とは格の劣る伯爵家だ。尊き血筋の公爵様が一人で訪れるような場所では無い。
ゆったりとした威厳を湛えた彼は、穏やかな微笑みを浮かべながら整った顎髭を撫でた。
「王都で私の遣いから文を受け取っただろう」
ステラとセリウスは目を見開く。
王都で受け取った文、つまりはあの吟遊詩人マハリークから手渡された手紙のことに違いない。
「あれから暫く動きを待ったが、君たちは本当に忙しいようだったからね。言われた通り、直接頭を下げることにしたのだよ」
にっこりと笑みを浮かべた彼に、思わず二人は言葉に詰まる。
あの日の王都で確かにマハリークへ“人に頼み事をする時は、直接頭を下げに来るもんだ”などと言い捨てたものの、まさか本当に本人がここにやってくるとは。
だが彼らの誘いは、聖女に“真実の愛”で抗ったこちらを“王位奪取を扇動する為の旗”とすることだったはず。
セリウスとステラはちらりと視線を合わせると、表情を変えぬまま魔法公へ向き直った。
「恐れながら、ご意向にはそぐわぬ旨を遣いの者にお伝えしたはず。こちらの意思に変わりは有りません」
セリウスは静かに答える。
王国の陰謀に関わって、良いことなど起こり得るはずがない。
おそらく都合良く利用され、必要で無くなれば適当な地位と報酬を与えられた上で、王都の革命の象徴として縛り付けられる事になるだろう。
我々が聖女を貶めたのは、あくまで辺境へと戻る為。
たとえ過大な見返りを約束されようと、何よりも思い入れ深いこの地を捨てるつもりなど無い。
しかしアストラル魔法公は機嫌を損ねる事もなく、上品に紅茶を啜った。
「予想通りだが、まあ早まるのはやめたまえ。私はただそちらに、金銭や地位の見返りを提示しに来た訳でははないのだから」
「では、一体何をお持ちになったと?」
セリウスが訝しむように眉を顰める。
すると紅茶のカップを静かにソーサーへと戻した彼は「良い味だ」とジェンキンスへ頬を綻ばせた。
セリウスは彼の余裕を纏い切った態度に、悟られぬように歯噛みする。
こやつめはいったい何を言おうというのか。
面倒な事に、高位貴族というのはいつもこうだ。勿体ぶって答えを焦らしおって、これだから王都の含みばかりの社交は性に合わない。
彼のその表情を見るや、魔法公は楽しげに空色の瞳を細めた。
「君はこの辺境で起きた、蛮族との戦の真実を知っているかね?」
貯めた上で何を言うかと思えば、そんな事か。
残念ながらその話はダリアから聞いたばかりなのだ。
期待外れとしか言えない返答に、セリウスは溜め息と共にソファへ深く掛け直す。
「存じております。それが何か」
かつて陰謀を企てた隣国の脅威をちらつかせて、こちらを揺さぶりたいのだろうか。
だが、こちらは四年前に隣国の侵攻を既に排除している。おかげで王都に呼び立てられ、聖騎士などと言うくだらぬものに任命された恨みがあるほどだが。
じとりと魔法公へ視線を送れば、彼は「よろしい」と何故か満足そうに頷いた。
そして机の上に指を組み、こちらを見据える。
「では、その原因となった巨大な魔力澱みの出現、そして辺境へ蛮族達を焚き付けたのが隣国ではない事も?」
「!」
思わずセリウスは目を見開き、隣のステラが身を乗り出す。
そんなわけがない。確かに前世の自分は彼らを目にした。光の中から現れ、まるで救い手のように民の前で振る舞った彼らを、この目で。
「だが彼らは間違いなく、隣国の兵士の身なりをしていた!」
「...と、こちらの文書には残されておりますわ」
ステラは勢いのままに言いかけ、慌てて言葉を付け加える。アストラル魔法公はその様子に「そうだろうね」と子供を諭すように笑った。
「だがそれは形だけだった。衣服を模倣する事なら誰だって出来る。それが例え、“この王家直轄の魔術師達だった”としてもね」
「「...!!」」
「私はこれでも魔法宮を統べる者だからね。あの日はまだとても若かったが、実際にその命を王家より受けたことを覚えている」
彼は紅茶の中に砂糖を沈めて、ティースプーンでゆっくりと掻き混ぜる。
「魔術師達は王家の命で平原へと送られた。そして彼らに恩を売って辺境を攻め込ませ、辺境伯によって討伐させた。全ては王国にとって目障りな蛮族を排除し、平原を我が物にし、そして何より国民の支持を得る為だ」
「っ...、そんな、それじゃあ、つまり...」
ステラは膝の上で硬く爪を握り込む。
蹂躙された民、子を殺されて泣き叫んだ女達。恩義を返すのだと恐怖から奮い立った五千の戦士達。裏切りに憤り、蛮族の侵攻に騎士と共に立ち上がった辺境伯。
それらは全て、敵国の手による陰謀だったはずだ。
彼女の肩は強張り、噛み締めた唇は震えていた。
そんなことが事実であれば、我が一族は、そして辺境は...。
「つまり、王国の自作自演だよ。君の一族は都合良く騙され、同じく騙された辺境伯の手で滅ぼされたのだ」
「......っ!!」
ステラの真紅の髪がぶわりと逆立ち、ぎゅうと爪がドレスの生地を引き攣らせた。
誇りを胸に死んでいった戦士の血。憎悪と希望を捨てられなかった父の亡骸が、うねる熱狂の中で新たな長として己の名を叫んだあの絶望が蘇る。
———許せない。許せるものか。
全身から黒く立ち昇り、腹の底から炙られて煮え立つような激しい憎悪。強く噛み締めた唇にじわ、と血が滲み、奥歯がぎり、と鈍く音を立てた。
「...それを聞かせて、何がしたい」
彼女は自らの握りしめた手の甲へ視線を落としたまま、身体をただ震わせる。
淑女らしさを保つ余裕などそこには無かった。
その低められた声はまさに、今にも飛びかからんとする獣の唸り。
「薄汚い王国の手先風情が、こちらに何を求めるというのだ!!!」
彼女の瞳は怒りに激しく燃え上がり、噛み殺すように牙を向いた。




