57.愛と忠誠
「さあ我が君!朝食をお持ちしましたよ!今お紅茶をお淹れいたしますからね!」
屋敷へと響き渡る快活な声。
扉を開けたダリアが朝食を乗せたカートをガラガラと枕元に寄せる。チチチ、と窓辺の鳥が飛び去るのを背後に、ポットとティーカップを恭しく持ち上げた。
「そこに置いておけ。ステラ、パンには何を乗せる?チーズか、いや、お前の好きなコケモモのジャムがいいか。バターも確か塗っていたな」
滑り込む様にセリウスがベッドサイドへ腰掛け、黒パンとバターナイフを取って微笑みかける。
朝日に艶めく黒髪はさらりと流れ、金の瞳が愛おしげに細められた。
「え、ああ」
目覚めたばかりのステラがなんとか答えれば、ダリアが負けじとセリウスの間に体を捻り込む。
「我が君、お紅茶にブランデーは?それとも朝らしくさっぱりとレモンにいたしましょうか」
彼女はきゅっと軽く捻ってブランデーの栓を開け、タタタ、とカートの上でレモンを輪切りにしてみせる。小さな丸眼鏡をきらりと光らせた姿は、側近の余裕を纏って唇を上げた。
「お、おう...?」
とりあえず声を漏らせば、セリウスがダリアを遮るようにぐいっと身体ごと寄せてくる。
「さあ出来たぞ。もう一枚は?甘いものにはやはり塩気のあるものがいいか。ベーコンはどうだ」
彼はたっぷりのバターとジャムの塗られたパンの皿を強引に彼女の手へと握らせる。
「ああ、うん...?」
有無を言わさずに一枚、二枚、とセリウスの手で重ねられていくベーコンを、ただ目で追うことしかできないステラ。
何故だか二人とも声がやたらと甘くて、しかも笑顔を向けてくるのが不気味だ。
(なんなんだこれ...)
いったい何が起きているのか。こちとらまだ寝ぼけていると言うのに、いきなりあれやこれやと差し出されても理解が全く追いつかない。
「邪魔だ“侍女”」
「そちらこそ“旦那様”」
困惑するステラを挟んで二人はぎろりと睨み合う。
バチリと火花を飛ばした二人は、フン!と振り切るように同時に視線を素早く逸らす。
そしてステラへと向き合うなり、より張り合うように前のめりになった。
「我が君、まずは飲み物をお飲みになっては?喉が渇いているでしょう」
「ステラ、スープを冷ましてやろう。そのままこちらへ口を開けるがいい」
「「さあ」」
ひたすら甘く落とされた声色が重なり、侍女と夫が微笑みかける。
目の前に差し出されたのは湯気の立った紅茶のカップと、スープが満ちた銀のスプーン。
ベッドの中から見上げたダリアとセリウスは、まるで野良猫の餌付けでもするかのように微笑んでいた。
「...さ、さっきから何なんだよお前らは...」
思わず怖気立って後ずさるステラにも、二人は目尻を下げた笑みを向けるばかり。
「今世では我が君をとことんお世話すると決めたのです」
「夫として君を甘やかしたいだけだ。愛ゆえに」
「意味がわからん上に怖えよ」
堂々と胸を張って見せた二人に、ステラはますますぞわりと鳥肌を立てた。
昨日の今日で、なにがしたいんだこいつらは。
前世のダレイオスはここまでべったり世話なんかしなかったし、昨日までのセリウスもこれほど甘やかしてなんて来なかった。
あたしが眠っている間にどんな会話をしたのか知らないが、もしやこちらのことを“可哀想な女”だとでも言ったのだろうか。
それで傷ついたあたしを慰める為に、わざとこんなあからさまな態度を取り始めたのか...?
「...とにかく、あたしを憐れみたいのならやめろよな。別に落ち込んでるわけじゃないんだから」
悲劇のヒロイン気取りなんて死んでもごめんだ。
あたしはそんなタチでもなければ、あれは身勝手に悲しんでいい過去でもない。
ステラは、はあ、とため息をついて吐き捨てる。
だがそれを聞いた二人は「は?」と頭の上に疑問符を浮かべた。
「憐れみ?忠心の間違いでは」
「甘やかしが憐れみの訳がないだろう」
予想外の言葉に面食らっていれば、二人は“何を言っているのか”と言わんばかりの真顔でそれに続ける。
「我が君のお世話はわたくし個人の欲求ですが?」
「愛する妻をより愛でて、いったい何が悪いと言うのか」
「わかったもういい」
真剣すぎる眼差しを同時に向けられ、視線の圧が強すぎて思わず負けてしまう。
そんなステラの反応を肯定と見たらしい二人は、嬉しげに手に持っていたカップとスプーンをずいっと再び差し出した。
「では我が君、どうぞ」
「大人しく口を開けろ」
「いや、だから...」
どう考えても両方同時には不可能だろ。
じり、と迫る二人にステラはおろ、と目を泳がせる。
夫と侍女に挟まれて、どうしたらいいんだこの状況。何を選んだら正解なんだよ。どっちを選んでも絶対険悪になるだけだろうが。
「我が君をお世話するのはこちらのお役目、ご自分のお食事をなさっては?」
「家令の癖に主人の邪魔をするとは不躾な。さっさと下がれ、メイド風情が」
そもそもなんでこんな事で争うんだこいつらは。
なんだか面倒なことになっちまった、なんて遠い目をしたその瞬間。
「困らせているのがわかりませんかこのお馬鹿共は」
ひょい、と背後からカップとスプーンを取り上げたのはジェンキンス。音もなく現れた彼は、ため息を一つ付くなりするりと間に割って入った。
「愛も忠誠も、全ては相手を想ってこそ。身勝手なそれらはただの押し付けというものです」
彼はステラの膝の上にさっと小さなテーブルを跨がせる。唖然とする二人の目の前で、全ての朝食と銀食器、紅茶の満ちたティーカップを速やかに美しく並べて見せた。
「さ、奥方様。ごゆっくり」
ダリアとセリウスは両手を宙に浮かせたまま。
完璧な礼をしたジェンキンスは、するりと部屋を出ていくのだった。
ちょっと短めの休憩話。
次回、王国の陰謀について触れることに———?




