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【コミカライズ進行中】聖女様、夫は返していただきます  作者: 蟹子@【聖女様、夫は〜】コミカライズ進行中
過去と隠謀

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56.蛮族の長を演じた女




「...これが、戦の全て。我が君の過去だ」


 ダレイオスは静かに語り終えると、切り分けた肉を口にする。


「......」


 微かにナイフが皿に触れる音の中。

セリウスは苦い面持ちで黙り込んでいた。


 “忌まわしい蛮族め、血を以って根絶やしにせん”

 “あちらから一方的に攻め込まれたのだ”

 “裏切りと見た旦那様は、親交の事実を息子に知らせたくなかったのでしょう”


 父と当時に戦を共にした騎士達、それを知るジェンキンスの語った戦の理由に偽りは無かった。

そして、ステラ自身が語った“領土が欲しくなったから攻めた”という言葉にも。


 だが、その言葉の裏には壮絶な事実が隠されていた。


 追い詰められた民、焚き付けられた戦争。

少女であった彼女へと降り掛かった大きすぎる責任。

誇りによって祭り上げられ、終わらぬ戦と滅びに向かう過ちの選択を、背負うしかなかった過去があった。


 それらの全てを誇りの中に葬り去った女長。

あまりにも救われず、非情な運命。


 彼女の色恋への初心さも、燻り切った聖騎士の己に与えた挑発も、時折り向けられるあの感慨に満ちた視線も。

哀しいほどに、全ての説明がついてしまった。


 彼女はただの父の宿敵ではなかった。

滅ぼすべき蛮族でもなければ、領土を狙う強欲な長でもなかったのだ。隣国の違和感に気づきながらも止められなかった。誰よりも戦を望まずして、辺境伯と戦わざるを得なかった。


 一族のために“理想の長を演じ切った女”だった。


「我が君は辺境伯の手で犠牲の生涯を終えた。わたくしには彼女をお救い出来ず、その償いから今世でもお仕えする事を誓ったのだ」


 ダレイオスは静かに告げて、セリウスへと暗緑の視線を向ける。


「貴様は“妻を愛する”などと易くのたまったが。この全てを知ってなお、我が君を変わらず愛せるのだろうな」


 胸の奥まで刺し込むような鋭い視線。

彼には成し得なかった夫婦としての触れ合いと、番う筈の妻を崇め、側近として諦めた未来。


 女となった身体の中には、黒い炎のような男の情念が今なお立ち込める。

そしてその炎を宿した瞳は、こちらを炙るように静かに燃えていた。


 皿に置かれた銀のナイフに己の顔が映り込む。

そこには彼女を手に掛けた男と同じ色を持ち、同じ容貌をした男がこちらを見つめ返していた。


 父は“カーラ”を憎んでいた。

だが、己は“ステラ”を愛してしまった。


 自らを殺した仇の子へ生きる理由を与えた女。

強引に火を着け、引き摺り出すように救いの手を差し伸べた女を。

壮絶な戦と憎しみを捨て、今世でこの手を取った女を愛さずになどいられるだろうか。


 彼女を愛すことで、己の受け継いだ辺境伯という名と、一族を滅ぼした罪がどれほど重いものとなろうとも。


「二言は無い」


 丸眼鏡の奥の瞳へ、金の瞳が刺し返す。

視線を受けた“彼”は、あまりに率直すぎるその返答に目を見開いた。


「貴様と俺はそもそも思考が違うのだ」


 セリウスはそう続けながら、皿に残ったソースを最後のパンの一片で拭い取る。


「お前は側近として手を出す事を拒んだが、こちらは一人の女としてステラを見ている。その見方を変えるつもりも更々ない」


 意を示すように全てを余さず飲み込んだ彼は、きゅ、と口元を拭ってグラスの中身を喉へ送った。

トン、と置かれた空のグラスは象徴のように食卓に立つ。


「そろそろ彼女が起きるだろう。夜食の準備を」


 彼はジェンキンスに言い付けると、慣れた所作で椅子を引く。


「...ただ、彼女の意思を尊重するのであれば」


 そのまま扉へと足を向けた彼は、肩越しにダレイオスを振り返った。


「平原の民とこの辺境の確執が、いかに仕組まれたものであったのか。そこに拘る事がどれほど不毛な事か。...貴様にも分かるはずだ、ダレイオス」


 彼はそれだけ告げると食堂を後にする。

食卓に残されたのは、ヴェルドマン家の紋章の入ったリボンを留めた一人の侍女。


 セリウスの言葉通り、この戦が仕組まれた事も、互いの確執が不毛である事もわかっている。


 一族は滅び、憎しみを向けた男はもう居ない。

目の前のにいるのはその息子と、彼の妻となった前世の主人。彼女は憎しみを忘れ、辺境伯の愛を身に受けて、彼の腕に抱かれることを良しとする。


 立ち止まり、過去に固執しているのは己だけ。

ただ彼女への未練と己への悔いを抱えたまま。

もう居ない存在を崇め、支える事にばかり拘っている。


「...それでも我が君は、...我が君なのだ」


 彼女はまだ飲み込めずにいる故郷の味を、奥歯で強く押し潰した。




————




 戻った寝室の天蓋の中。

真鍮の燭台へと火を灯せば、今しがた過去を語られた妻の輪郭が暗闇に浮かび上がった。


 汗の引いた彼女の頬には、乱れた赤毛が張り付いたまま。セリウスはその髪を指先で退けると、滑らかな頬をそっと撫でた。


 髪と同じ色の閉じた睫毛は艶やかで、唇から漏れる呼吸がゆっくりと胸元を上下させている。


「...因果とは、不思議なものだな」


 たった数刻前。

彼女は抗いきれぬまま、シーツの中へと飲み込まれた。


 触れた肌は確かに熱を持ち、求めに応えるように声を漏らした。背にしがみつき立てられた爪は、こちらの熱を求め返す反応。

昂りの後の震えは、己に応えた意の筈だ。


 彼女の薬指には、瞳の色の指輪が光る。

それは誓いの証。彼女を妻とする所有の証だ。


 毎夜己に情念を向けられて、いつしか彼女は一人の女としての感情を覚えた。

過去の人格を宿したまま、ステラとしての新たな人生を歩む事を選択したのは変わらぬ事実。

 ...たとえそれが、無理やりこちらに流される形だったとしても。


  背を屈ませて唇を重ねれば、ステラが微かに身じろぎをして瞼を開く。


「よく寝ていたな」


 暗闇とぼんやりと灯った蝋燭の灯り。

暖かな色を肌に受けたセリウスは、目覚めたこちらを見下ろして微笑んでいた。


 ステラは彼がいつになく柔らかな笑みを浮かべている事に気付き、全てを察してシーツを握った。


「...聞いたのか。あたしの過去を」


 彼女はセリウスから目を逸らし、睫毛の影を頬へと落とす。シーツを握る指先も頑なに、“知られたくなかった”と言わんばかりの苦い面持ちを浮かべていた。

 おそらくはこのまま全てを背負い切って、こちらに余計な感慨を抱かせたく無かったのだろう。


 セリウスはそんな彼女の手を取ると、自らの両手で包み込んだ。


「俺の気持ちは変わらない。たとえ強引であろうとも、君を愛し、過去ごと受け入れる」


「...っ」


 真摯な眼差しと、彼らしい誠実な宣言。

ステラは彼の言葉に息を詰まらせながらも、視線は暗闇のシーツへ向けられたまま。


 ...同情などされたくなかった。

誇りの中で討たれた、気高い長でありたかった。

あの戦を知らずまだ幼い子供であったはずの彼には、余計な物など負わせたくなかったのに。


「...過ちごと引き受けたつもりでいたんだ。だが一族を終わらせたのは、真に罪深いのはこのあたしだ」


 引き返せないからと、皆を死へ向かわせた。

ステラは彼を見ることなく言葉を溢す。


「辺境は裏切られ、我々は追い詰められた獣だった」


 止められなかった。

過ちに向かってただ駆ける戦士を先導した。

指先に硬く握った布が、引き攣られるような音を立てた。


「滅びは必然だったんだ。お前は負わなくていい」


 彼女の声が震えて、喉の奥に小さな嗚咽が堪えられているのをセリウスはただ聞いていた。

痛みを堪えるように瞼が瞑られ、怯えたような身体の強張りを触れた手のひらから感じ取る。


 彼は宥めるように震える手の甲を撫でると、その手で彼女の二の腕を引き寄せる。


「君は望まれた長を全うした。彼らの為に演じ切った」


 思い切り抱き込められた胸は広く、何故かあの日の終わりを思い出させた。

宿敵に引き寄せられた腕の中で、鋭い一太刀を胸に受けた最期の温もりを。貫かれた傷から流れる血潮と、同時に感じた彼の鼓動を。


「過ちと血の怨嗟を引き受けて、誇り高く君は死んだ」


 父を止められていたならば。

五千の戦士を裏切り、敗北に民を嘆かせ、戦を止められていたならばと幾度思ったことだろう。

その本音を零せたのは、取り返しが付かなくなってからだった。

 ようやく間近で、辺境の長と触れ合ったあの瞬間だけ、抑え込んできた後悔を口にした。


「...遅かった。何もかもが手遅れだった」


 ステラは彼の肩へと寂しげに呟く。

セリウスはそれを聞くなり、両手で彼女の肩を抱いた。

 困惑するステラの視線を絡め取って、己の視線に合わさせる。


「だが平原と辺境は、俺と君はこうしてまた交わった。君の望んだ、“別の形”で」


 彼の言葉にステラは大きく目を見開く。

見上げたセリウスは、彼女のエメラルドの瞳へ静かに頷く。

そして彼はゆっくりと、一つ一つを言い聞かせるように口を開いた。


「...俺が君に向けるのは、刃ではない。君に望むのは贖罪ではない。俺が与えるのは、同情でも崇拝でもない」


 差し伸ばされた大きな手。

つう、とステラの輪郭へ彼の指先が触れていく。

それは奇しくも、前世の長が最後を迎えながら彼の父へと触れた仕草で。



「俺が君という女へ向け、求めるもの———


———それは“愛”だけだ」



 腕の中で触れた唇はただ優しく、背を包み込んだ手のひらの熱は、強張る肌を溶かすようで。

気付けば頬へ一筋の雫が伝い、彼の肩の布がじわりと色を変えていく。


「...ひっ、...う、...」


 震えながら背に回されたのは華奢な指先。

押し殺した不器用な嗚咽は、鞭打たれて鳴き方を忘れた獣のよう。


その姿は、重圧への恐れで泣いた少女ではない。

避け得ぬ運命に絶望し、涙を流した長でもない。


 散り際に笑った女に、初めて安堵の涙が赦された。



 

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