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【コミカライズ進行中】聖女様、夫は返していただきます  作者: 蟹子@【聖女様、夫は〜】コミカライズ進行中
過去と隠謀

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55/65

55.戦の真実




 捻り上がった角、黒く蠢く皮膚。

全身から突き出す数多の腕と、人間の悲鳴を幾重にも混ぜ合わせた様な咆哮。



 見上げるよりも大きく、悍ましい魔物が一族を襲った。


 最も前線にあった一氏族は瞬く間に失われた。

殺戮と蹂躙は柔い女の肉を好み、男は引き裂かれ、草原を覆う臓物へ魔物達が蟻の様に黒く群がる。

歴戦の戦士達ですら剣を握る手の震えを抑えきれぬ中、突如眩しい光が炸裂した。


 光の源は、数十人の隣国の軍装を纏った男達。


 平原の魔物は光の中で塵となり、砂の様に崩れ去った。戦士達と民はその光景に歓声を上げた。地獄へもたらされた救いの手に、声を上げざるを負えなかった。


 残されたのは三氏族。

五万の平原の民は二万に数を減らしていた。

そして多大なる恩を受けてしまった我らに、彼らはこう告げたのだ。


“辺境領を攻め落とし、我らの兵を王国へ招き入れよ”


“さすれば平原の魔物を一掃し、我が国となった辺境でそなたらに手厚い保護を与えよう”


 甘言だった。

これ以上ない誘いだった。

追い詰められた長達は、直ぐさまその申し出に飛びついた。


「お待ちを親父殿、この話は怪しい!」


 我が君は一人、長へと立ち塞がった。


「何故あいつらはこちらの平原に居た!そしてなぜ狙った様にあの魔物を倒したというのか!我々は彼奴等の手の上で踊らされている!」


 あまりにも都合の良い救済、そして条件。

我が君は反発したが、長である父君は彼女の言葉をまともに耳に入れなかった。


「父親に娘如きが生意気な口を聞こうとは!一族の存続がかかっているのだ、この好機を逃す事は出来ん!黙って責を全うするのがお前の役目だろうが!」


 張られた硬い手のひら。強かに受けた頬の痣。

切れた唇から滲んだ血を拭って差し上げることしか、側近である己にはやりようがなかった。


「...長が決められた事なら従うのみ。だが我々は、辺境伯を敵に回す決断をしたのだ」


「地獄がやってくるぞ、ダレイオス」


 静かに溢した我が君は、暗い焔を瞳の中で揺らめかせた。



————




「良いか皆の者!是より我らは一族の命を救いし大恩に報い、辺境伯領を攻め落とす!」


 荒れた平原へ、長の声が高らかに響き渡る。


「戦士達よ!猛者どもよ!!辺境を我が手にし、失った同胞達に新たな土地を捧げようぞ!!」


 長の言葉に、戦士達と民は熱狂した。

新たな土地、大恩に報う。聞こえのいいそれらは、彼らの落ちた心を、失った希望を過剰に持ち上げるには十分だった。


「平原の民は命の恩義を決して忘れぬ!!」

「我らは義の使徒!!」

「辺境騎士とて恐るるにあらず!!」


 大義名分を得て士気に激った彼らは馬を駆り、宣戦布告と共に辺境へと矢を放った。


「何故だ平原の民よ!我らは共生の誓いを交わした筈!先代の温情を裏切るというのか!!」


 まだ二十歳にも満たぬ若き辺境伯は激昂した。

親交のあった一族の突然の裏切り、それも先代の命が失われて己の代となって狙い澄ました様に攻め入られたのだ。


「この俺が若輩と思うて侮ったか!我が領土に攻め入る不届き者共め、この手で滅ぼしてくれるわ!」


 護りに長けた辺境騎士達は手強く、称号持ちの歴戦の戦士を以てなお、拮抗状態は続いた。

気付けば大型の魔物の侵攻を受けなくなっていた平原は、ただ辺境領との戦の為に全ての戦力を費やした。


 だが、その違和感に気付く者はいなかった。

それほどに辺境との戦は激化し、後戻りは出来なくなっていたのだ。


 そして、五年が経った日。

ついに辺境伯の刃が長の腹を貫いた。

噴き出した鮮血、馬上から落ちる身体。

辺境伯は黒い波のように連なる騎士達を背に、降伏の言葉を待っていた。


「親父殿、潮時です...このような戦、もうやめねば...」


 息も絶え絶えの父君に、齢十七の我が君は懇願した。

ここで退かねば一族は全滅する。

けしかけた隣国からは援軍どころか、便りもない。

辺境伯は一方的な裏切りに憎悪を燃やし、長引く戦は互いに殺しすぎてしまった。


「降伏せよ、蛮族の長よ。さすれば貴様の命で終わりにしよう」


 今、長である父が降伏すれば、戦は終わる。

一族の敗北は避けられない。だが、民の命ばかりは見逃されるかもしれないのだ。

終わりのない戦士達の死と怨嗟の渦を止められる。

一縷の希望が見えかけた。


 だが、長の意志は変わらなかった。



“バザロフスカの長、カーラ・バザロフスカよ”


“何があろうと辺境領を攻め落とせ”



 今際の際の長から託された遺言に、戦士達は涙を流して熱狂した。

新たな長の誕生に沸き立つ周囲。

破れぬ血の誓い、死を以って受け継がれた意志。

もう止まる事など出来ようもない。


 ———長は生まれてしまったのだ。

皆を導き、勝利へと導く“誇り高き女長”が。


「カーラ・バザロフスカ!!」

「我らが女王よ!気高き戦女神よ!!」

「今こそ辺境を我が手に!!」


 周囲の戦士が雄叫びを上げた。

百の戦士に伝わった波は、五百の戦士を昂らせた。

そして三氏族全ての、五千の戦士が剣を高く上げて名を繰り返した。


 “カーラ!カーラ!!カーラ!!!”


 平原を満たす、うねるような熱気。

腹の底まで響く絶叫。


 我が君は涙を流していた。

目の前で父を失ったからではない。

長としての栄誉に感極まったからではない。


「我が名はバザロフスカの長、カーラ・バザロフスカ!」


「我が父を討ちし憎き辺境伯、クラウス・ヴェルドマンよ!いざ、互いが滅ぶまで殺し合おうぞ!!」


 我が君は決められてしまったのだ。

もう止められぬ戦を、その背に負う事を。

一族に課せられた罪を、己が引き受ける事を。

終わりなき戦に全てを投じ、彼らと戦士のままに“英雄の死”を選ぶ終わりを。


 怨嗟は尽きず、一族は終わる。

ただ滅びに向かって馬を駆る。

だが我が君に望まれるのは、次代の男児を孕むこと。

繁栄を、命を、新たな長を。

産み、育て、増やし、一族を絶やす事なかれ。

繰り返し繰り返し、彼女へと老師達は言い含めた。


「族長、お務めのご準備が出来ております。さあこれを」

「お飲みなさい。未だ子が出来ぬのは、そなたの心が解けぬからです」

「心を溶かし、身を委ねるのです」


 大婆達は強く酩酊させる酒の満ちた杯を、嗄れた指で押し付ける。


「...わかっている」


 まだ少女から大人へ変わりきらぬ彼女へ、香を焚き込めた幕屋が夜毎与えられた。

誰もその現状に異を唱えはしない。

長の子が必要なのだ。長の子は血を繋ぐ楔。

より強き長を得れば、一族は滅びを避けられる。


 バザロフスカの猛者達は“我こそが女神の番になるのだ”と、老師達より選ばれるのを皆待ち望んでいた。


「我が君」


 己はただ、立つ背へお声を掛けるのみ。


「案ずるな」


 背を向けた彼女は上着を脱ぐ。

そしてこちらを見ようともせずに手渡した。

受け取った自分へ、彼女はこれから足を踏み入れる幕屋を見つめながら呟く。


「...お前は、あたしを望まないんだな」


 何を言わんとするのかはわかっていた。

己は番の栄誉に選ばれた男だった。

その上、務めへと始めに選ばれておきながら、ただ拒み続けているのだから。


「我が君を組み敷くなど、畏れ多くございます」


 それだけの理由を毎度大婆達に告げていた。

触れ合いを望まなかった訳ではない。

本来なら夫婦(めおと)となる未来があった。


「我が君か、お前は変な呼び方をするよな。今や皆あたしを長と呼ぶのに」


 彼女はくすりと笑って、幕屋へと歩き出す。


「我が君は、我が君にございます」


 誰もが我が君を“長”とし、我が君も己を“長”であることを受け入れた。


 もはや引けぬ運命に身を賭す彼女に、己はあくまで側近として身を捧げる事を誓ったのだ。

触れれば男の欲を向け、己が女にしたいと望んでしまう。


 それは彼女の覚悟を知りながら、穢すようなもの。



 “もう引き返せはしない。誰にも止められないのなら、あたしはこの身全てを戦に投じよう”


 “誇りの中に戦士の墓を建てよう。父の過ちを引き受けよう。憎しみの連鎖をあたしの代で断ち切ろう”


 “すまない、ダレイオス。お前には苦労を掛ける”



 彼女の気高き意思を守ると決めたのだ。

触れないことで、長の右腕として死にたかった。

最期まで我が君を護り、願わくば彼女を生かし続けたかった。


 誇りに呪われ、全てを費やした


 たった一人の女を。



————




「クラウスよ!今こそその首、貰い受ける!!」


「蛮族の長め、今こそ血を以って根絶やしにせん!!」



 戦士達が残る百を切り、誘い込んだのは深く国境へと跨るファーレンの谷。


 総力を賭けて、全てを失う為にここを選んだ。

もうどこにも行き場のない戦士の骸を、過ちの一族を誇りと共に葬る為に。


「我々が死に絶えれば、おそらく隣国がここを攻めるだろう。消耗した辺境を狙い、ハゲワシのようにこの地を得ようとするに違いない」


「谷は境、平原を守る自然の砦だ」


 辺境伯が国境を制すれば、隣国とて易々と手は出せまい。


「だが奴の腕の一つも取れれば、気分がいいものだなあ」


 十二年の戦と共に、彼女の二十四年の人生が終わる。

愛馬へと鞍をかけた我が君は、振り返って笑顔を向けた。






「我が君!!我が君ーーーーッ!!」


 深く貫かれた我が君の胸は、その剣を握る辺境伯の腕の中にあった。

馬上で引き寄せられた身体は、抱き込まれるように深く、深く、根本の鍔まで刃を受け止めていた。


 宿敵の肩へと頭を預けた我が君は、彼の頬へと指先を触れさせる。

つう、と輪郭を撫でた感触に、辺境伯は目を見開く。


「別の場所で...出会いたかったものだな、辺境伯よ...」


 辺境伯が「何を、」と口にした瞬間。


 ざん、と谷へ跳ね返る残響。


 我が君は血を吹く口の端を上げるやいなや、刃を振り上げ、辺境伯の右腕を最期に叩き切ったのだ。


「冥土の土産に貰って行こう」


 最期の彼女は微笑んでいた。

己の前では一度も見せぬ、切なげな笑みを浮かべていた。

その笑みは、今まで目にしたどれよりも美しかった。


——その瞬間に、己の中に黒い炎が噴き出した。



 ———憎い。

我が君の命を奪ったあやつが。


 ———憎い。憎い。

誇りを以って貫き、最期に彼女に触れた辺境伯が。


 ———憎い。憎い。憎い。

捩れ切った宿命の中で、己に救えなかった我が君へ、救いを与え占めたあの男が。



「許さぬ、許さぬぞ辺境伯!!!」



 叫びは谷に消え、一族と共に葬られた。






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