54.辺境伯と族長の側近
強引に引き摺られていったダリアであったが、彼女は仕事を言いつけられるなり、直ぐにそれらをこなして見せた。
前世で長の側近を務め、今世でメイドとして育ったダリアの家政能力は異様に高く、ジェンキンスすら舌を巻かせる程であった。
掃除においては、羽叩きで天井から鋳鉄製のシャンデリアを細かくはたいて煤を取り、壁の額縁や盾の埃を丁寧に拭う。
箒を握ればきっちりと家具の隅まで掃き込めて、彼女の拭いた窓は曇り一つなく、絨毯の染みまでもきっちり綺麗に取り去って見せた。
魔物の血に塗れた衣服も怯まず全てを洗い落とし、大量の銀食器も鏡のように磨き上げ、紅茶の蒸らしは茶葉ごとに変えるという完璧な仕上がり。
「我が君にお仕えする為、長らく腕を磨いておりましたので。このくらいは出来て当たり前でしょう」
チャッ、と軽い音を立てて小さな丸眼鏡を上げて見せる姿は、誰がどう見ても歴戦の侍女。
彼女ならば王城ですら即戦力となれただろう。
「...で、我が君はどちらに?」
せっかく猛烈な勢いで仕事を終わらせて来たというのに、なぜ食堂にはセリウスしかいないのか。
手ずから夕食を給仕しながら我が君のお姿を拝見できる、などと思っていたダリアはじとりと彼を睨みつけた。
「疲れ切って眠っている」
「なあっ!?」
憮然と言い放った彼に叫びを上げれば、狙い澄ましたかのようにセリウスは余裕の笑みを向けてくる。
当てつけとしか思えない彼の仕打ちに、ダリアは唇をぎりりと噛んだ。
「貴様...、我が君を弄びおって...」
「弄んでなどいない。妻として愛しているだけだ」
「何を方便を...!」
「まず主人に対する言葉使いではありません。直ちに改めなさい」
ジェンキンスにぴしゃりと嗜められダリアはますます強く唇を噛む。セリウスは軽く手を上げてそれを制した。
「良い。今はこやつの本音を聞こう。対面でステラの過去を聞き出す為に、わざわざこの時間を作っておいた」
制されたジェンキンスは頷いて下がり、ダリアは思わず目を見開く。
セリウスはこともなげに椅子へと腰掛けた。
「どうせ邪魔をされるのが目に見えていたからな」
あれほど過去を知られる事を避けてきたステラの事だ。なんとか会話を遮ったり、どちらかを引き剥がそうと躍起になるに違いない。
食卓についたセリウスは、ダリアへすっと視線を移した。
「座れ。その食事は貴様へ用意させたものだ。男同士、腹を割って話そうではないか」
顎で促されたダリアは、彼の試すような視線を受けてごくりと喉を鳴らす。
そして静かに椅子を引くと、警戒を解かないまま腰掛けた。
まさかこの男が己と食卓を囲んで、対等に会話をしようとは。
てっきり辺境伯の地位を振り翳し、高圧的に尋問されるとばかり思っていた。ダリアは困惑を隠せぬまま仇の子を見つめた。
「よろしい。食事を始めるとしよう」
長机の正面に掛けたセリウスは、ジェンキンスに注がれたワインを優雅に傾ける。
グラスを白いクロスの上へ戻す指先には、乱れ一つ見せる様子もない。
しんと静まった空気の中。
ローストへゆっくりとナイフを入れる所作は美しく、刃先で肉の繊維がバターの様に切り裂かれていく。
その様は何故か、こちらの身を解体されるような気にさえさせた。
彼は上品に肉を口に運ぶと、静かに咀嚼して喉へと送る。音も立てずにカトラリーを皿に下ろし、伏せていた墨色の睫毛を上げた。
「どうした。食べるといい。毒など盛っていない」
ダリアは彼の悠然とした所作に怯み掛けた事を悟られぬよう、銀のレストに乗ったナイフへ手をつける。皿の上には焼き目のつけられたロースト。見るからに貴族が好むとは思えない、脂の少ない赤身だった。
彼女はきっちりと整った動きでローストの端へ切り込みを入れると、意を決して肉を口にした。
「...これは、ライディル...」
今世に生まれて、初めて口にした平原の鹿肉。
かつては何頭も己の矢で狩り仕留め、自ら肉を捌き、飽きるほど口にしていた懐かしい故郷の味。
舌の上に乗せた血合いの濃い赤身肉は、鮮明に過去の暮らしを思い出させた。
視線を上げると、セリウスがこちらを見据えて口を開いた。
「俺は過去のステラを...、平原の長であった“カーラ”を知らない。それどころか、この領地との間に起こった戦の理由さえ知らされていない」
彼はダリアを捉えたまま、落ち着いた低い声で告げる。
「彼女は“カーラ”と“ステラ”を切り離したい様だが、俺はステラの中に前世があるからこそ、彼女に惹かれた」
彼女に前世の記憶が存在したからこそ、失いかけていた誇りに火を着けられたのだ。
だからこそ、ステラの甘い嘘に流されるまま、見て見ぬ振りなどしたくは無い。
領地の歴史を知らず、そこで命を散らした女を自らの妻にしておきながら、辺境伯と名乗りのうのうと無知に生きていけるものか。
たとえ彼女が事実の開示を拒もうと、己はどうあっても“長を殺した領主の息子”である事実は変わらないのだから。
「夫として、領主として。彼女を妻とするなら、全ての事実を把握し、理解するべきだろう」
ダリアは彼の言葉に息を呑む。
「いかような事実であろうと、己の選んだ女であれば、噛み砕き、飲み込むのが男の矜持というもの」
その声にはもう、当てつけらしい見下しは含まれず、ただ波の無い水面のような静謐さに満ちていた。
刺すように向けられた金の瞳は、かつての辺境伯の憎悪の色とは重ならない。
「そしてその事実を知りうるのは———
ダレイオス、貴様だけだ」
ただ過去の事実を求める、至誠な眼差しが“前世の側近”へと向けられていた。
ダレイオスは現世の辺境伯を見つめ返す。
そして彼の瞳が揺るがない事を確かめると、ナイフを置いて口元を拭った。
「...我が君の側近として、主がお望みでない限り話すことは憚られる」
セリウスは“彼”の言葉に唇を僅かに引き結ぶ。
「しかし男である俺は、辺境伯殿の真摯な態度に敬意を示そう」
ダレイオスはそう言うと、ワイングラスを持ち上げてついと傾けた。
しばしの沈黙。
そしてグラスを置いた彼は唇を開いた。
「彼女は...。我が君は、かつて六氏族あった平原の民でも最も大きな氏族、バザロフスカの長の元にお生まれになった」
静かに告げた彼は、前世に思いを馳せるように目を瞑る。
「長の子は四人。我が君は末の娘であられた。三人の兄君は皆お強く、我が君は本来長になる運命ではなかったのだ。幼馴染であったわたくしは彼女の為に鍛えられた戦士であり、番う栄誉を約束されていた」
セリウスはその言葉に目を見開く。
だがダレイオスは首を振って話を続けた。
「しかし、我が君が12の時に事は起こった。未だかつて無いほど大きな魔力澱みが出現し、大量の魔物が氏族を襲った————」
・・・
魔物は次々に氏族を襲い、想像を絶する数と強大な主に一月足らずで平原の三分の一が蹂躙された。
六氏族あった内の二氏族が失われ、彼らの応援として駆けつけた兄君達までもが悉く命を落とした。
誰もが長を継ぐと疑わなかった男達が儚く散ってしまったのだ。
「なぜ、なぜだ...!こんなことで死ぬ様な鍛え方はしなかった...!」
「オルガ、ザルナフ...!ああ、あなた...どうしてあの子達が...!」
一族と長は嘆き悲しみ、母君は心労のあまり病に臥せた。
だが、我が君は兄の死へ涙を流すことよりも、ただ恐怖した。
「兄上が亡くなられた...、長の男児は...失われた...」
戻った遺体が焚き上げられる炎を見つめ、彼女は細い二の腕を抱いて震えていた。
———つまりは、彼女に渡される未来が決まった瞬間であったのだ。
四氏族はあえなくバザロフスカの名の元に一つと纏まった。しかし我が君がおっしゃった通り、長の男児はもういない。
長の世継ぎとして遺されたのは、あどけなさの残る少女の“カーラ・バザロフスカ”だけだった。
「良いか、カーラよ。お前が私の跡を継ぐのだ」
まだ初潮も来ぬ娘に、長は厳しく言い含めた。
「他氏族の者共は女であるお前の立場を狙うだろう。全てを蹴落とし、次代の長の立場を守り切る為、誰よりも強くあれ。そして次の長となる男児を産むのだ」
女長など、この平原に前例は無いのだ。
ならば血を継ぐには男児を宿すしか道はない。
しかし我が君はその意志から瞳を逸らさず頷いた。長の幕家を後にするなり、控え待っていた二つ上のわたくしに次の様に申された。
「悪いが、今日を以てあたしはお前の未来の妻ではなくなった。これから戦場に駆り出され、いずれは血を繋げる為の器となる」
「だがお前は我が戦士。我が右腕となり支えてくれるな。“鷹目のダレイオス”よ」
華奢な身体にのし掛かった重圧を受けてなお立ち、運命を受け入れた少女。
彼女の青みがかった翠緑の瞳に見据えられたわたくしは、ただ跪き、全てを次代の長へと差し出した。
「いついかなる時も我が君のお側に」
そうして我が君は護身の為に身につけた剣を、殺戮の為に握り直した。
しかし、魔物の数は増える一方。主は倒してもまた現れ、氏族は数を減らすばかり。
長と老師達はついに、辺境伯への救援を要請するべきであると意見が固まりつつあった。
だが隣国との境として、現在まで互いに対等な立場を築き続けた一族の歴史はこれで変わる。借りを作ることで大きく均衡は崩れるだろう。
辺境領は代替わりしたばかりで、領主は若い。
先代の領主は穏健派ではあったが、それも力の均衡があったからこそ。血の気の多い若頭はそうも行かない。王国に染まらぬ平原の民など、本来は目障りである事は百も承知だ。
恐らくは平原は彼らのものとなり、囲われた一族として立場は落ちる。
それもこうなっては致し方なし————
————皆がそう決断を下し掛けた時であった。




