53.新たな侍女
「さあ、このダリアがお側に付いたからには、今世でも完璧に我が君をお支えすると誓いましょう」
屋敷に眠っていた古いメイド服を身につけたダリアは、小さな丸メガネをくいっと指先で上げる。
ストンと落ちた長い黒のスカートに、清潔なエプロン、首を覆う立ち上がった白襟とそこに留められた紋章入りのリボン。顎の下でぱつんと切り揃えられた前下がりの髪に、飾り気のないメイド帽を頭に乗せた姿はあつらえたように彼女に似合っている。
ステラはその姿を見ると「へえ」と珍しそうに声を上げた。
「うちにメイド服なんてあったのか。今は男ばかりだから驚いたな」
「ええ。かつては何人か勤めた事はありましたが、こんな場所ですから続かないのです。その服は大奥様がお輿入れと共に連れられた侍女のものでした」
頷いたジェンキンスは懐かしむようにダリアの制服を眺める。
セリウスの母である大奥様は、彼を産むと同時に命を失い、その後に侍女も去った。母の居ない彼をここまで育て上げたのは実質彼ら騎士達なのである。
その為セリウスは母の愛情を知らず、厳しい父親の下でひたすら剣に打ち込んだ。鍛え上げられた男だらけの環境下で、関わることのない女への興味も当然希薄だったのだが...。
これは今話す事ではないので黙っておく。
「まあ、確かにこんな所じゃ女の子には堪えるか」
辺鄙な場所の軍事施設だ。若いメイドが続かないのも頷ける。ステラは屋敷の生活を思い返して苦笑いを浮かべた。
ぐるりと堅牢な砦に囲まれ飾り気も少なく、貴族らしい煌びやかさとは無縁。洗い場には騎士達の魔物の血の染みた衣服が積み上がり、凍える寒さが半年を占める厳しさ。
おまけに食事も質素で、掘りが深すぎて目に影が落ちるほどには逞しすぎる騎士達に馬に軍医と来れば、うら若いメイドには辛いだろう。
さらには主人であるセリウスは愛想の一つどころか、威圧感を振り撒く始末だ。
「その点はご心配なく。わたくしはいかなる事があろうと我が君から離れることなどありえませんので」
先ほどの見せつけに張り合うように、彼女はセリウスを睨みつけてステラの隣にすすっと控える。
すると、すかさずジェンキンスがダリアをべりっと引き剥がした。
「それは結構な事ですが、家令の仕事は主人の側に侍ることではありませんよ」
「へ?」
首根っこを摘まれたまま固まっている彼女へ、ジェンキンスはにっこりと微笑みかける。
「いいですか?ここは厨房以外は家令を騎士で賄っているのですから、いつだって手は足りません。掃除に洗濯、庭仕事からシーツの交換、銀食器の磨き上げまで。さあ、まだたくさんやる事は残っていますからね」
仕事の数々を羅列するジェンキンスの笑顔は黒く、追い詰めるようにダリアへと降り注ぐ。
実際、剣を握れる者が屋敷を担うという決まりから、家令は側近であるジェンキンスとその補佐ラウール、あとは20名ほどの選ばれた家令騎士達が二人の下でせっせと働いている現状だ。
貴族の屋敷に雇われる家令の数は40を超えるのが一般的な中で、その数はたった半数にしか満たないのである。
それも彼らが全員脳筋、いや力強く頼もしいからこそなんとかなっていると言えよう。
「だそうだダリアとやら。せいぜい主の為に働くがいい」
ステラの腰を引き寄せたセリウスにわざとらしく笑みを向けられ、ダリアは青い顔をした。
「まだ再会したばかりだというのに、いきなり仕事とは!あまりに非道ではありませんか!」
「何を言います。主人に矢を向けた時点で、牢に入れられていない事を感謝するべきでしょう。さあ行きますよ」
彼の言う事は至極真っ当。罰を与えられないだけ温情である。さらにステラ付きの侍女となったといえ、家の全てを任せているジェンキンスに口を出せる事など有るわけがない。
ダリアの処遇は家令の長である彼に委ねるのが何より一番いいだろう。
「まあがんばれよー、応援してるぞ」
「そんなっ!?我が君!我が君ーーーーッ!!」
ひらひらと手を振って見送るステラに、ダリアは今生の別れのような叫びを上げながら廊下の奥へと引き摺られていくのだった。
————
「...で、あのダリアとやらはただの側近だったのだな?」
二人を見送ったセリウスが、腕の中に収めたステラを見下ろす。
「あやつは前世は男だったそうだが、いささか距離が近すぎるのではないか。特別な感情を持ち合わせているなら、君の側には置けないが」
言葉の端々に滲む嫉妬心。彼の指先が腰に食い込む。
じ、と静かに審査するような目を向けられて、ステラは思わず呆れてしまう。
「んなわけないだろ。あいつは幼馴染ではあったが、あたしは“長の子”だったんだ。どんな時でもずっと畏まってて、あっちから世間話をする事もなかった。務めの相手も拒んだ程だ」
務め、それは長に課せられた次代の長を成す儀式。
自分が例のない女長となったからには、長の血を絶やさぬように早く男を産む必要があった。
強き子を早く産めと大婆方から急かされ続け、一族の猛者が毎晩あてがわれた。
本来なら腕の立つ同年代のダレイオスは一番に務めの栄誉を与えられるはずだったが、彼は“我が君を組み敷くなど畏れ多い”と拒み続けた。
「あたしもあいつも立場を維持するだけで精一杯だったんだ。男達は続く戦で荒ぶり、減る一方の一族に女達もみな張り詰めていた」
そんな中で彼だけは静かに長を支え続けた。
戦においては背を護り、時に身を以て盾となり、主人を狙う殺気を誰よりも素早く射殺す忠臣だった。そんな彼の言葉は常にこちらを崇めるもの、こちらの引けない立場を肯定し続けるものだった。
あくまでダレイオスは“側近”であり続けたのだ。
「...そんな事より、さっきのあれはなんだ!妙な見せつけをしやがって!」
「なんだと言われても、普段の触れ合いをしただけだが?夫婦ならば当たり前のことだろう」
セリウスは悪びれる様子もなく、肩をすくめて見せる。ステラはますます苛立って彼の胸を指でぐっと押しながら詰め寄った。
「わざわざあいつの前でする必要ないだろうが!そのっ、閨だとかなんだとかいう必要もなかったし!だいたい過去のあたしを知ってどうするつもりだ!」
「君が話さないのが悪い。夫である俺に妻が隠し事をするのは良くない事だ」
「過去のあたしはお前の妻じゃないっ!!」
ステラはそう怒鳴ってから、セリウスの返事がないことに気づいてはた、と彼の顔を見る。
見上げた彼はいつもの仏頂面だというのに、どこか傷ついたような面持ちに見えた。
「あ...」
思わず声をこぼした瞬間、彼は腕を取って強引にステラを引き寄せる。
「えっ、」
予想外の行動に慌てた瞬間、彼にうなじを取られて動きを塞がれる。間近でこちらの目を見つめたセリウスは、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「俺はもう見逃さないと告げたはずだ。君の中の過去、思考、感情。全てを手に入れると決めた」
「っ...」
ぞくりと這う支配的な視線に、ステラは思わず息を呑む。セリウスはそれを知ってか、低い声をさらに低めてみせた。
「どれだけ隠そうと無駄な事だ。執念深い俺の心を奪った己を恨むといい」
金の瞳は捕食者のようにぎらりと光って、覆う睫毛が伏せられると共に唇を奪われる。
抑えられたうなじは彼女の息切れを許さず、背に回された手のひらに力が込められた。溺れるような口付けに、彼の胸元を握った指の力が抜けていく。
ようやく唇が離された頃には、ステラはすっかり全身の支えを失って彼の肩にしなだれかかっていた。
「さて、侍女の仕事を増やそうか」
当たり前のように寝室へといざなうセリウスは、余裕の笑みでこちらをひょいと抱え込んでしまう。
広いシーツの上に下ろされて、さらりと流れた黒髪が彼女の頬をくすぐった。
「...っ、この、覚えとけよ...」
上がった息で切れ切れについた悪態にも、彼は嬉しそうに微笑むばかり。
「ああ、覚えるとも。君の表情もその声もな」
「そう言う話じゃ...っ」
叫びかけた声は塞がれ、厚い天蓋が下ろされる。
隙間から差し込む夕陽の中で、もはや言葉は意味を為さなくなるのだった。




