52.蛮族の長を奪った男
「...で、つまりはあたしの元で雇われたいと」
屋敷に戻った客間にて、ステラが足を組んでダリアへ確かめる。ダリアはそれを受けるとしっかりと頷いて「左様にございます」と答えた。
「こうして女と生まれ変わりしは、今世でも“我が君のお側でお仕えせよ”というヴァラールの思し召しと心得ました。ぜひメイドとして、貴方様のお役に立ちたく存じます」
短く切り揃えられた赤茶の髪をさらりと下げて、彼女は胸に手を当てる。
その姿は全く前世の彼とは似ても似つかない。
前世のダレイオスは筋骨隆々で、うねった長い赤髪と深い緑の瞳を持つ逞しい戦士だった。
比べて目の前の彼女は細身で少し骨張っていて、顔つきは涼やかな目元の女だ。だが所作は全く変わらず、口調もあの時のまま。
こいつはいつだってあたしの側で“我が君”と呼び、甲斐甲斐しく世話を焼き、戦においては弓の腕で背を支えた。
あたしより二つばかり歳上だったが、こちらへの忠誠心は誰を於いても及ばぬほどに確かだった。
そして谷の戦にて、あたしの死と同時に散った。
死ぬ間際に彼の声が聞こえていた。
“我が君”と。今際の際までこいつの言葉はそれだった。
ステラは彼女を見ると、複雑そうな顔をした。
「そりゃあたしとしては、お前を雇ってやりたいが...」
ちら、と隣りのセリウスを見やれば、彼は険しい顔で「ならん」と答える。
「このステラに仕えるということは、辺境伯家に雇われると言うことだ。俺に矢を向けた相手を置くわけにいかん」
「くっ...」
ダリアが歯噛みすると、セリウスの後ろに立つジェンキンスも彼女を鋭く見据えた。
「貴女の殺意はあまりにも強い。そもそも我が主人に敬意を払えぬ使用人など、こちらから願い下げにございます」
彼はいつになく殺気を纏い、普段の穏やかさが消え去っている。鳶色の目は冷たさを帯びて彼女を見下ろした。
彼らの言うことは正論だ。
ここは辺境伯邸であって、主人はセリウス。
砦であり主人の寝所に敵を置くなどもってのほかだ。そして側近のジェンキンスが何よりも護るべきは、あたしではなく当主の彼なのだから。
「言わせておけば...!」
ダリアはぎらりと彼らに睨み返すと、忌々しげに手の中に爪を握り込む。
「小童が我が君の主を気取りおって...!何人たりとも我が君は縛れぬ!我が君、何故このような男の元に甘んじているのです!貴女様ならば討ち取ることもできたはず!」
ステラはダリアから縋るような目を向けられ、気まずそうに視線を逸らした。
それはまさに逃げ続けてきた言葉だった。
直接の仇ではないから、彼そのものはまだ幼かったからともっともらしい理由を付けて。
だが、いつだって頭の片隅で“仇の子である”ということを考えない日はなかった。
ダリア、いや、副官であったダレイオスの言うことはもっともだ。あたしは自らの一族を滅ぼした宿敵の子の妻となり、寝所を共にしながら寝首も掻かない。そうするべきかと悩んだ夜もあったが、だが...今は。
「...悪いが、お前の期待には応えられん。仇も死に、“長”も死んだ。あたしは今や辺境伯夫人なんだ」
目を逸らしたまま告げると、ダリアは「我が君は我が君です!」と声を上げた。
ステラはますます居心地が悪そうに唇を噛む。
違う。自分はもう同じではない。
自分はただ今世に生まれ変わっただけではない。
己にはもうセリウスを手にかけられない理由があるのだ。
理屈ではどうにもならない、説明のつかない理由が芽生えてしまった。
「何故です、我が君!何が貴女をそうまで言わせるのですか!地位や裕福さにしがみつくお方では無いはずでしょう!何か弱みを握られているのですね!?」
「う、いや、それはその...」
ステラはますます目を泳がす。
...こんなことはダリアに言えない。
共にあの谷で殺された“ダレイオス”に、こんな感情は口が裂けたって言えるわけがないのだ。
普段ならば、都合の悪い事には簡単に誤魔化す理由を思い付く。だというのに、今はおかしなほどに何も出てこない。
自らの死の為に故郷と一族を失った家臣を、裏切ることなどできなかった。
「だから、つまり...」
ステラは苦い顔でセリウスを見上げる。
こいつのことをなんと言おうか。
すると彼は目が合うなり、彼女の顎を取って唇を重ねた。
「!!」
大きく目を見開いたステラに、びしっと音を立てて固まるダリア。
セリウスは唇を離すと、余裕の面持ちでダリアを振り向いた。
「...つまりは、こういう事だ。彼女の心は俺にある」
にまり、と勝ち誇った笑みを浮かべて、ステラの腰を抱き寄せる彼。
「ッなああああ!?!?」
こめかみで青筋を弾けさせたダリアが絶叫し、ステラが遅れて「なななにすんだこの馬鹿!!!!」と彼の頭を全力で引っ叩く。
「久しぶりに叩かれたな。図星だったか」
「ちが、違う違う違う!!!ああああのなダレイオス、これには理由が」
「この妻は俺を好いていると言った。毎夜俺と閨を共にし朝を迎えて「わあああああ違う違う違う違う!!!」
「違わない。先ほどくだらん嘘は付かんと言った口はどれだ」
「ううううあああ...!!!」
両手で燃え上がる顔を押さえて声にならない声を上げるステラに、ダリアはわなわなと唇を震わせる。
「なっ、は、...わが、我が君...我が君が...そんな...」
すっかり蒼白になったダリアの頭の中で、ガラガラと何かが崩れ落ちていく。
我が君は誰が相手だろうと頬を染めるようなことはしなかった。日々のお務めにも眉一つ動かさず、ましてや唇くらいで恥じ入るお方などでは無い。
誰にも媚びないお方だった。
誰の手にも入らない女王だったのだ。
それが、それが————この男の接吻一つで...!!
「うううう.....」
耳から指先まで染め上がり、湯気まで出して涙目で恥じらっているなんて。
「見ての通りだ。貴様の“我が君”は俺が堕とした。今やこの女は俺の手の中で赤くなり、夜毎俺に愛を囁く」
ステラが目を抑えて「やめろやめろやめろ...」と小さく呟くのを腕に収め、セリウスはダリアを金の瞳で見下ろした。
「だがそんなもので主君から離れるのならば、貴様の忠心はこの髪の一本よりも軽いものだな」
セリウスはわざとらしくステラの髪を掬って口付ける。
放心していたダリアはそれを聞くなり、ギッと牙を剥き出してセリウスを睨め付けた。
「穢らわしい下劣め、我が忠誠を愚弄するか...!わたくしはいついかなる時も我が君の牙、支える腕よ!!」
腕の中で縮こまるステラを見てもなお怒鳴ったダリアに、セリウスは悪い微笑みを浮かべて見せる。
「ならば彼女の側に居られる条件は一つだ。“鷹目のダレイオス”とやらよ。俺に妻の前世の記憶を余すことなく全て差し出せ」
「な...っ!?」
目を見開いたダリアに、セリウスは悠然と顎を上げて言い放つ。
「出来ないのならば生まれた南部へ帰るがいい。この領に貴様を置く許可は与えん」
かつての宿敵とよく似た息子は、支配者たる威厳で空気を重く押し潰す。
「さあ、どうする“鷹の目”」
蛮族の長を奪った男は、主を奪われた側近を試すかのように鋭く見据えた。




