人は難しい
そのあとのページには、僕とノリがそれぞれの人間として生きていくための方法が書いてあった。より詳しく言えば、生きていくためにどうすればいいのか、模索した形跡があった。
ファイルによると、父は病院や働き先、市役所など、個人情報がどうしても重要になる施設を白鷺組の協力者で固めようとしたらしい。しかし、そうするとどうしても仕事や住む場所の自由は制限される。また、病院や働き先はともかくとして、行政機関にまで身内を入り込ませるのは簡単なことではなかったようだ。最終的に、中途半端なまま記述は途切れている。
その他にも、そこには様々な父の努力の形跡があった。自分の実験の対象になった人――僕やノリ、また性格実験で生き残った人たちも―が、現代日本で生きていくためのすべを、父は当事者である僕たち以上に考えていた。いや、父も当事者といえば、当事者ではあるのだが。すべての原因でもあるわけだし。
でも、父はちゃんと、すべてを背負おうとしていた。その短い命ではすべて背負いきれなかったが、それでも、背負おうとしたことは事実だ。
父も見栄を張るところがあったんだな。そう思うと、微笑ましさすら覚える。
天才だけれど、完璧ではなかったのだ。
ふと隣のノリを見ると、ノリは瞳から大粒の涙を溢していた。そうしながらも、声は上げまいと必死に唇を引き結んでいる。
「ノリ」
父の未熟な覚悟に触れて、僕は感傷的な気持ちになっていた。
僕がノリの肩に手を置こうとすると、ノリはそれを強く振り払った。
「触るな!」
ノリは涙を手で拭うと、おもむろに立ち上がり、ファイルを床に投げつけた。バン、という破裂音のような音がして、ファイルの中身が散らばる。
「叔母さん、ファイルの中身はそれぞれ、かなり内容が違うんですか?」
ノリが見たものに、ショッキングな内容が含まれていたのかもしれない。そう思って僕は訊いたが、実さんは静かにかぶりを振った。
「いいえ、こう言ってはなんだけど、どれも同じような内容よ。それは、文昭さんが答えのない問いに答え続けた証みたいなものなの。自問自答の繰り返し。結局、私も文昭さんも、その答えは最後まで出せなかった。クローンとオリジナルが共存して、それぞれの人生を歩めるようにするなんて……結局、法律の壁にぶつかってしまう。法律を変えない限り、無理なの」
そうだろうな、と僕も思った。そんな方法が見つかっていたのなら、父は僕たちに真っ先に伝えたはずだ。遺書にも、そのことは書かれていなかった。書かれていたのは、僕たちへの謝罪。
――父親らしいことは、何もしてやれなかった。
研究がバレてしまうことが怖かった。それを、父は僕を作った理由であるかのように書いていた。だけれど、そちらは本心ではなかったのだと分かる。むろん、それもあっただろうけれど、それが一番ではない。一番は、ノリが普通に暮らせるようになることだった。凶暴性を環境によって取り除いた、穏やかな人間として。
実験に頼らないとはいえ、それでも父は、ノリの性格をつくり変えることに罪悪感があったのだろう。そのままのノリではいけないと感じてしまっている自分自身が嫌だった。だから、研究を隠すことが一番の目的だということにしたのだ。
そのせいで、いらぬ軋轢を生んだのだが。しかし、本当のことを書いていたとしても、また違う種類の軋轢が生まれていたのだろうとも思う。
人は、難しい。




