遺書
しばらくの間、僕はまんじりともせずにただそこに座っていた。動くことができなかったのだ。
かなりの時間が経って、ようやくテーブルの上に置かれた二つ折りの封筒に意識がいった。キタガミさんが置いていった形見だ。いや、これは父の形見なのか。
読もうかとも思ったが、今日は疲れすぎていた。今までの疲れが全て押し寄せてきた感じだ。もうそれを一緒に背負ってくれる人も、いなくなってしまった。
今はただ、何も考えずに眠りたかった。
昨日よりもたくさんミスをやらかした。
心の中から何か大切なものがぽっかりと抜け落ちてしまったような喪失感があった。トイレに行き、便座に座ると、意味もなく涙が流れることもあった。
そんなわけで、仕事が終わる頃には心身ともにひどく疲れきっていた。今すぐ家に帰って、シャワーも浴びず食事も摂らず眠りたかった。けれどもそういうわけにはいかない。もうすぐ、伊東さんとの約束の時間になる。その前に、遺書に目を通しておかなければ。
帰宅した僕は、早速抽斗にしまいこんでいた封筒を取り出した。そして中身を見る。中に入っていたのは一枚の紙だった。罫線も何も引かれていない真っ白な紙だが、父の几帳面な字は一切の狂いもなく規則正しく並んでいる。
僕はそれを読み始めた。
まず、北神。この手紙は、おまえに託す。
必要だと思う情報を、必要なときに、息子たちに伝えてやってくれ。
おまえには苦労ばかりかけてすまない。
遺産の半分と、白鷺組からの支援金の何割かは持っていって構わないから、それで許してくれ。
タツ、ノリ、おまえたちの成長を見届けることができないまま虹の橋を渡ることになってしまったこと、父さんはとても悔しく思っている。
父親らしいことは、何もしてやれなかった。
でも父さんは、おまえたち二人を心から愛している。
この研究が正しかったのか、父さんは最後まで悩んでいた。
だが、タツとノリが楽しそうに暮らしてくれているだけで、父さんは幸せだった。
ノリのためだった、というつもりはない。
これはすべて、父さんのエゴだった。
始まりもそうだ。辰徳が暴力的な性質を備えているかもしれないと知り、父さんは怖くなったんだ。辰徳が犯罪でもして捕まれば、父さんの研究もバレてしまうかもしれない。それが怖かった。
本当にすまなかった。
最後に、必要になれば、訪れてくれ。
福岡県✗✗市 ✗✗−✗ 城戸研究所
城戸文昭
父の遺書は、たった一枚の紙切れに収まる長さだった。けれども、その内容は確かに僕を動揺させた。
ある程度は、これまで聞いた情報や、想像していた情報だった。だが、たった一文が引っかかる。
ノリのためだった――? 僕ではなく?
誤字だろうか? いや、そんな間違いをするとは思えない。
暴力的な性質を完全に排除した完璧な存在として、ノリは特別扱いされていたのだろうか? それとも、ノリが僕に隠して母と会っていたように、父とも秘密のやり取りをしていたのだろうか? していたとして、それを隠す理由はなんだ?
頭が痛くなってくる。ノリは何を知っているんだ。父は何を知っていたんだ。どうしてこれだけ遺していなくなってしまったのか。
誰か、僕に教えてくれないか。




