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故に  作者: シャムロック
3/4

故に深く

「波瀬さん、また唐揚げ食ってる!」


「悪いか?」


「いや、もう五個目ですって」


「数えんな、そんなもん」


金曜日の夜。


駅前の居酒屋は、仕事帰りの客で賑わっていた。


テーブルには空になった皿が何枚かと、まだ半分ほど残った枝豆、それから各々の酒が並んでいる。


「いやぁ、今週も長かったですねぇ」


「お前、それ毎週言ってないか?」


「毎週長いんですよ」


「じゃあ来週も長いな」


「嫌なこと言わないでくださいよ!」


笑い声が上がる。


俺も笑った。


波瀬皆槻。


はぜ、みづき。


五十を少し過ぎた、どこにでもいる会社員。


特別仕事ができるわけでもなければ、できないわけでもない。


それなりに働いて、それなりに給料をもらい、それなりに暮らしている。


酒は好きだ。


こうして同僚とくだらない話をするのも嫌いじゃない。


「そういや波瀬さん、日曜って空いてます?」


「ん? 何で?」


「釣り行きません? この前いい場所見つけたんですよ」


「ああ、すまん。日曜は先約がある」


「また海ですか?」


「おう」


「ほんと好きですねぇ、海」


……好き、か。


「まあ、腐れ縁みたいなもんだな」


「何ですかそれ」


「知らん」


「自分で言ったくせに!」


また笑い声が上がった。


俺も笑う。


……腐れ縁。


案外、間違ってないかもしれない。


「そういや、お前んとこの子は元気か?」


向かいの同僚に声をかける。


「元気すぎますよ。こないだも迎えに来いって電話してきて」


「何歳になったんだっけ?」


「二十歳です」


「おお、もうそんなか」


「この前までランドセル背負ってた気がするんですけどねぇ」


「そりゃお前が年取ったんだ」


「波瀬さんに言われたくないですよ!」


「何だと?」


一同が笑った。


俺も笑った。


……二十歳か。


早いもんだな。


いや、早いのか?


十五年も経てば、そりゃ二十歳にもなるだろう。


そういえば、想来も。


……。


「波瀬さん、次どうします?」


「ん?」


「ビール、もう一杯いきます?」


「ああ、頼む」


「飲みますねぇ」


「お前が飲ませるんだろうが」


「人聞き悪いなぁ!」


それからもしばらく、くだらない話が続いた。


仕事の愚痴。


上司の癖。


最近腹が出てきたとか、健康診断がどうとか。


誰かが酔って、同じ話を二回した。


別の誰かが突っ込んだ。


唐揚げがなくなった。


枝豆は残った。


……だから枝豆も食えって。


まったく。


実に楽しい夜だった。


*


「ただいま」


玄関の電気をつける。


当然、返事はない。


靴を脱いで、上着を掛ける。


……あー。


飲んだ。


ちょっと飲みすぎたか。


まあ、明日は休みだ。


問題ない。


台所へ向かう途中、棚の上の写真が目に入った。


妻と娘。


美空と想来。


二人とも笑っている。


「……おう、ただいま」


写真立てが少し傾いていたので、指で直す。


これは、美空の母親が撮ってくれた写真だ。


確か、想来が五歳の頃だったと思う。


いや、四歳か?


……まあ、いい。


美空は相変わらずいい顔で笑っている。


想来も、口を大きく開けて笑っていた。


「今日なぁ、あいつらと飲んできたぞ」


返事はない。


「相変わらず、しょうもない話ばっかりでな」


……。


「枝豆嫌いな奴がおってさぁ」


何を報告してるんだ、俺は。


思わず笑ってしまった。


冷蔵庫を開ける。


麦茶があった。


コップに注ぐ。


冷たい。


うまい。


……。


そういえば。


あいつの娘、二十歳だったか。


「……想来」


写真を見る。


小さな娘が笑っている。


「お前も、もう二十一か」


……。


二十一。


成人式なんか、とっくに済んでる歳だな。


美空は着物を選んだだろうか。


いや、想来は嫌がったかもしれない。


あいつ、結構わがままだったからなぁ。


……。


いや。


六歳だったんだぞ。


二十一歳の想来がどんな子になっていたかなんて、分かるわけないだろ。


十五年だぞ。


十五年。


……長いなぁ。


「……はぁ」


麦茶を飲み干す。


何だか急に眠くなってきた。


風呂は明日の朝でもいいか。


……いや、入って寝よう。


明日は洗濯もしなきゃいけない。


掃除もある。


買い物もしておかないと。


日曜は海だ。


そういえば、天気はどうだったかな。


スマホを取り出す。


風は弱い。


波も、今のところ穏やからしい。


……よし。


潜れそうだ。


*


土曜日。


少し遅く起きた。


頭が重い。


……飲みすぎた。


昨日の最後の一杯、いらなかったな。


いや、その前の一杯か?


……どうでもいい。


顔を洗って、朝飯を食べる。


洗濯機を回す。


部屋を掃除する。


昼飯は焼きそばにした。


少し作りすぎた。


……またか。


何年経っても、一人分の加減が下手だ。


いや、十五年もあれば覚えろよ。


自分で自分に呆れる。


残りは夕飯に回そう。


午後には、明日の器材を確認した。


潜水を始めたのは、震災から何年か経ってからだ。


講習を受けた。


練習した。


経験を積んだ。


最初は、身体の使い方も分からなかった。


陸と水中では勝手が違う。


思ったように進めない。


姿勢が安定しない。


息をしているだけなのに、妙に緊張した。


……今思えば、よく続いたもんだ。


それでも少しずつ覚えた。


やがて、地域で続けられている水中捜索にも参加できるようになった。


もちろん、好き勝手に潜っているわけではない。


海が荒れれば中止。


体調が悪ければ中止。


潜る場所も、時間も、仲間と確認して決める。


当たり前だ。


海の中で何かあってからでは遅い。


……。


そうだ。


遅いんだよな。


……。


いや、今は器材の確認だ。


余計なことを考えるな。


一つずつ確かめる。


問題なし。


……よし。


明日は予定どおり行けそうだ。


*


日曜日。


海は穏やかだった。


空には薄い雲。


風も弱い。


「今日はよさそうですね」


仲間が言った。


「そうですね」


「ただ、少し濁ってるみたいです」


「了解です」


器材を準備する。


体調を確認する。


今日の捜索範囲と潜水計画を確かめる。


もう何年も繰り返してきた作業だった。


「波瀬さん、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


顔なじみの仲間が笑う。


俺も笑った。


この人たちとの付き合いも長くなった。


全員が同じ理由で潜っているわけではない。


誰かを探している人もいる。


捜索に協力している人もいる。


海のことをよく知っている人もいる。


……ありがたいことだ。


俺一人じゃ、何もできなかった。


「じゃあ、行きましょうか」


「はい」


マスクを着ける。


レギュレーターをくわえる。


仲間と合図を交わす。


そして、海へ入った。


*


海の中は静かだ。


……いや。


静か、というのも少し違う。


自分の呼吸が聞こえる。


泡の音がする。


水が動く音も聞こえる。


けれど、陸の上とは違う。


車の音も。


人の話し声も。


風の音も。


何もかもが遠くなる。


ゆっくりと潜っていく。


水面が離れる。


光が薄くなる。


海底が見えてくる。


砂。


石。


海藻。


魚が泳いでいる。


小さな魚の群れが、目の前を横切った。


……綺麗だな。


青い。


あんな色をしていたか。


……。


そういえば、想来は青が好きだったっけ。


いや、赤か。


ランドセルは赤だった。


……だから何だ。


青い魚くらい見たっていいだろう。


誰に言われたわけでもない。


ただ、何となくそう思った。


*


決められた範囲を、少しずつ確認していく。


砂地。


岩の隙間。


人工物が残っていそうな場所。


海は、随分と変わった。


十五年前。


あの日の海は、こんなものではなかった。


家の柱。


車。


家具。


何だか分からないもの。


ありとあらゆるものが流され、沈んでいた。


今では、その多くが片付けられている。


砂も積もった。


海藻も生えた。


魚も泳いでいる。


……。


魚は、あの日も泳いでいたんだろうか。


……当たり前だろ。


何を考えている。


捜索を続ける。


小さな人工物らしきものが見えた。


黄色い。


砂に半分埋まっている。


……。


あれ。


何だ?


慎重に近づく。


黄色いプラスチックの破片だった。


何の部品かは分からない。


……黄色。


想来、黄色い長靴を履いていたっけ。


いや、違う。


長靴は赤だった。


黄色は……傘か?


……。


そうだったか?


……。


目の前のものを確認する。


娘の持ち物だと分かるものではなかった。


仲間に合図を送り、確認した内容を記録する。


……。


また違ったか。


いや。


そもそも、何を期待したんだ。


十五年だぞ。


小さなプラスチックを見つけて、娘のものかもしれないなんて。


……。


でも、どこかにあるんだろう。


何かが。


まだ、見つかっていないものが。


……。


分かるかよ。


海は広いんだ。


何もかも流されて、もう十五年も経ってる。


そんなことは知っている。


……知っているんだよ。


*


あの日。


俺は会社にいた。


大きな揺れだった。


立っていられなかった。


棚から物が落ちた。


誰かが叫んだ。


警報が鳴った。


美空に電話をかけた。


つながらなかった。


何度もかけた。


それでも、つながらなかった。


帰らなきゃ。


そう思った。


想来がいる。


美空がいる。


帰らなきゃ。


……。


でも、帰れなかった。


道路は塞がっていた。


津波が来るから戻るなと言われた。


危険だった。


本当に。


帰っていれば、俺も死んでいたかもしれない。


……。


帰っていれば。


……。


やめろ。


何回考えるんだ。


帰っても間に合わなかった。


それくらい分かっている。


分かっているから、戻らなかったんだろう。


……。


いや。


戻れなかったんだ。


……。


何が違う?


違うだろ。


……。


ああ、もう。


美空が見つかったのは、数日後だった。


想来は見つからなかった。


何度探しても。


何度名前を呼んでも。


どこにもいなかった。


家のあった場所には、家がなかった。


瓦礫と泥があった。


知らない家の家具があった。


あんなに狭かった庭が、やけに広く見えた。


……。


狭かったか?


あの庭。


想来が走り回ってたんだから、そんなに狭くはなかったはずだ。


……。


分からん。


どんな庭だったっけ。


……くそ。


*


海底を見渡す。


決められた範囲を進む。


少しずつ。


一つずつ。


……。


想来。


お前、どこにいるんだ。


……。


ああ。


美空も、ずっと待ってるのかねぇ。


……何だ、それ。


どこで待ってるって言うんだ。


そんなこと分かるわけないだろうが。


……。


分からんことばっかりだ。


砂が舞う。


少し待つ。


視界が落ち着く。


再び確認する。


……。


ない。


ここにもない。


……。


仲間から合図が送られてくる。


そろそろ終了の時間だ。


……もうか。


まだ向こうを見ていない。


あの岩の先も。


……。


いや。


今日はここまでだ。


計画は守らなきゃいけない。


安全に戻る。


当たり前だ。


……。


戻る、か。


……。


あの日も。


……。


やめろ。


今は違う。


あの日とは違う。


……。


それでも。


もし、あの日。


違う道を選んでいれば。


別の場所から帰っていれば。


何か一つでも違っていれば。


……。


いい加減にしろ。


十五年だぞ。


何回同じことを考えるんだ。


答えなんか出ないだろうが。


……。


分かってる。


仲間がもう一度合図を送る。


俺は応えた。


そして、予定どおり浮上を始めた。


*


海から顔を出す。


空が見えた。


青い。


今日も、青い。


船に戻る。


器材を外す。


水を飲む。


「お疲れさまでした」


「お疲れさまです」


「今日は、あまり見つかりませんでしたね」


「そうですね」


「また次ですね」


「ええ」


記録をまとめる。


水中の様子。


確認した範囲。


見つかったもの。


次に調べる場所。


……。


今日も、見つからなかった。


何も。


……いや。


何もなかったわけじゃない。


確認できた場所がある。


分かったこともある。


それは、それで成果だ。


……。


そうだろ?


……。


何でだろうな。


何で、こんなに腹が立つんだ。


「波瀬さん」


「はい?」


「大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫です」


「ちょっと疲れました?」


「そうですね。少し」


「無理しないでくださいね」


「ありがとうございます」


仲間が笑う。


俺も笑った。


……疲れた。


ああ、疲れた。


海に潜ったからか。


頭を使いすぎたからか。


……。


知らん。


とにかく疲れた。


帰ろう。


*


帰り道。


スーパーへ寄った。


卵。


牛乳。


豆腐。


それから、魚。


……魚か。


今日も海に潜ったというのに、夕飯まで魚なのか。


……まあ、いいか。


魚は好きだ。


美空も好きだった。


想来は……どうだったかな。


確か、骨が嫌いだった。


……。


ああ。


そういえば。


*


「父ちゃん、骨!」


夕飯時。


向かいに座った想来が、皿を指さしていた。


「何だよ」


「骨!」


「そりゃ魚だからな」


「取って!」


「自分で取ってみなさい」


「えー!」


「えー、じゃない」


「母ちゃーん!」


美空が台所から顔を出す。


「なあに?」


「父ちゃんが骨取ってくれない!」


「おい、言い方!」


美空は一瞬こちらを見て、それから笑った。


「皆槻、取ってあげれば?」


「いや、いつまでも俺が取ってやるわけにもいかんだろ」


「まだ六歳でしょ」


「六歳だからだろ」


「はいはい」


美空が想来の隣に座る。


「じゃあ、一緒にやってみよっか」


「うん!」


箸で魚の身をほぐしていく。


小さな骨が一本。


それを皿の端に寄せる。


「ほら、こうやって取るの」


「ほへぇー」


「次は自分でやってみようね」


「うん!」


想来が箸を持ち直す。


しばらく魚と格闘していたが、やがて何か思いついたように顔を上げた。


「……母ちゃん」


「ん?」


「父ちゃんのも取ってあげて!」


「ぶっ」


思わず吹き出した。


「俺は自分で取れるわ!」


「でも父ちゃんも魚食べるじゃん!」


「そりゃ食うけど!」


美空が肩を震わせている。


「……美空、お前笑いすぎだろ」


「だって……ふふっ。皆槻、取ってあげようか?」


「いらんわ!」


「遠慮しなくていいのよ?」


「しとらん!」


想来が不思議そうに首を傾げた。


「父ちゃん、いらないの?」


「いらん!」


「……ほへぇー」


何だ、その反応は。


美空がとうとう声を出して笑い始めた。


想来もつられて笑う。


……まったく。


どいつもこいつも。


「ほれ、早く食わんと冷めるぞ」


「はーい!」


「皆槻、サバの骨くらい自分で取ってね」


「だから取れるって!」


また笑い声が上がった。


テレビでは、何かのバラエティ番組が流れていた。


想来は、今度は自分で骨を取ろうとしていた。


美空はまだ笑っていた。


……。


うるさい食卓だった。


*


魚をかごに入れる。


……。


そういや、あいつは魚の骨が嫌いだったな。


今でも嫌いだっただろうか。


……。


いや。


知らんよなぁ。


そんなこと。


十五年もあれば、好き嫌いなんて変わるだろ。


俺だって、昔は納豆が嫌いだった。


今じゃ普通に食う。


……。


あいつも、魚が好きになってたかもしれん。


……そうかもな。


レジへ向かった。


*


「ただいま」


玄関の電気をつける。


靴を脱ぐ。


荷物を置く。


風呂に入る。


夕飯を作る。


買ってきた魚を焼く。


味噌汁を温める。


ご飯をよそう。


……。


うん。


なかなかいいじゃないか。


「いただきます」


箸を入れる。


身をほぐす。


小骨が一本、出てきた。


……。


「そりゃ魚だからな」


つい、口に出た。


……。


はは。


何言ってんだ、俺は。


骨を皿の端に寄せる。


もう一口。


うまい。


今日の魚は、ちょっと焼きすぎたくらいがちょうどいい。


……そういや。


あのとき、何の魚だったっけ。


サンマ?


いや、アジだったか?


……。


何だっけ。


想来が骨を取ってくれって言ってたのは覚えてる。


美空が笑ってたのも。


俺が何て言い返したのかも。


……。


魚。


何だったかな。


……まあ、いいか。


……。


いや。


何で思い出せんのだ。


……。


そんなもんか。


……。


テレビをつける。


知らない芸人が、くだらないことを言っていた。


思わず笑う。


……はは。


馬鹿なこと言うなぁ。


魚をもう一口。


うまい。


本当に、うまい。


*


食べ終えた皿を洗う。


茶碗も一つ。


箸も一膳。


洗い終えて、水を止める。


静かになった。


……。


いや、テレビがついてるな。


全然静かじゃない。


さっきの芸人が、また何か騒いでいる。


リモコンを取って、音量を少し下げた。


居間へ戻る。


棚の上には、いつもの写真。


美空と想来が並んでいる。


「……おう」


何となく声をかける。


「今日も潜ってきたぞ」


返事はない。


「相変わらず、何も見つからん」


……。


「ほんと、どこ行ったんだよ」


写真の中で、二人は笑っている。


……いい顔だな。


相変わらず。


美空は、笑うと少し目が細くなる。


想来は、口を大きく開けて笑う。


……。


あいつ、前歯が抜けてたっけ。


いや、この写真はまだ抜けてないな。


もうちょっと後だったか。


……。


ああ、そうだ。


抜けた歯を見せに来たんだった。


「父ちゃん、取れた!」


って。


血が出てるのに、やたら嬉しそうで。


……。


あれ。


どっちの歯だった?


上?


下?


……。


何だっけ。


……。


「……なあ、想来」


写真を見る。


「お前、もう二十一だってよ」


……。


「どんな顔になってたんだろうな」


美空に似たか。


俺に似たか。


……いや。


俺に似たら、ちょっとかわいそうか。


「……はは」


笑ってしまった。


……。


美空。


お前なら、何て言う?


「皆槻に似てもかわいいわよ」


とか。


……いや。


「似ない方がいいわね」


とか言いそうだな。


あいつなら。


……。


本当に?


……。


いや、知らんよ。


十五年も前のことなんだから。


……。


「……美空」


写真の妻を見る。


「お前、何で先に行っちまったんだよ」


……。


何言ってんだ。


好きで行ったわけじゃないだろうが。


……。


「想来もさぁ」


言いかけて、やめた。


何を言おうとしたんだろう。


……。


知らん。


……。


「あの日さ」


声が出た。


「帰ろうとはしたんだよ」


写真は、何も答えない。


「……本当だぞ」


……。


誰に言い訳してるんだ。


美空にか。


想来にか。


……俺にか。


……。


「でも、帰れなかったんだ」


……。


帰れなかった。


帰らなかった。


……。


十五年。


何度繰り返しただろう。


何度、考えただろう。


……。


「……くそ」


声が漏れた。


それだけだった。


*


スマホが鳴った。


同僚からだった。


『金曜はお疲れさまでした! 次は波瀬さんのおごりでお願いします!』


……。


何言ってんだ、こいつ。


『お前が奢れ』


すぐに返事が来る。


『えー! 先輩なのに!』


『先輩だからだ』


『横暴!』


……はは。


馬鹿な奴だ。


……。


そういえば、あいつ。


釣りに誘ってくれてたな。


今日、釣れたんだろうか。


『そういや、釣りはどうだった?』


少しして、写真が送られてきた。


魚が何匹か並んでいる。


『大漁です!』


『おお、やるじゃん』


『でしょ! 今度こそ来てくださいよ!』


……。


今度、か。


『都合が合えばな』


そう返した。


スマホを置く。


写真を見る。


美空と想来。


……。


さっきまで、あんなに。


……。


いや。


何でもない。


別に、いいだろ。


同僚と話したって。


笑ったって。


……。


いいんだよな。


……。


何を確認してるんだ、俺は。


*


月曜日。


また仕事が始まる。


その次も。


その次の週も。


仕事をする。


飯を食う。


同僚とくだらない話をする。


時々酒を飲む。


笑う。


腹が立つ。


疲れる。


眠る。


朝になれば起きる。


そうしているうちに、一週間が終わる。


一か月が終わる。


一年が終わる。


……。


十五年。


気がつけば、十五年だ。


十五年も何をしてたんだろうな。


……。


仕事だろ。


飯も食ってた。


酒も飲んでた。


ちゃんと生活してたじゃないか。


……。


じゃあ、何でまだ探してる?


……。


何でって。


想来が見つからないからだろ。


……。


見つかるのか?


……知らん。


じゃあ、いつまで?


……。


知らんよ。


そんなこと。


……。


誰かが見つけてくれるかもしれない。


もう何も残っていないのかもしれない。


そもそも、探している場所が違うのかもしれない。


……。


そんなこと、何年も前から考えてる。


分かってる。


……分かってるんだよ。


*


夜。


寝る前に、次の捜索予定を確認する。


来週末。


今のところ、天気はよさそうだ。


風も弱い。


……潜れるかな。


まだ、確認していない場所がある。


この前の岩場の向こう。


あそこはどうだろう。


……。


また、何も見つからないかもしれない。


……。


まあ、そうだろうな。


十五年も探して、見つからなかったんだから。


……。


でも。


……。


美空。


想来。


お前ら、今どこにいるんだろうな。


……。


会いたいなぁ。


……。


いや。


もう一度会えるなんて、思ってるわけじゃない。


……。


思ってない、よな。


……。


分からん。


……。


せめて。


せめて、想来だけでも。


……。


だけでも?


美空は見つかったから、それでいいのか?


……違う。


そういう意味じゃない。


……。


何だよ。


もう。


……。


写真を見る。


美空が笑っている。


想来も笑っている。


「……なあ」


少しだけ、声をかける。


「もうちょっと、待っててくれ」


……。


待つ?


誰が?


想来が?


俺が?


……。


何を?


……。


知らん。


知らんよ。


もう。


……。


スマホを手に取る。


もう一度、天気を見る。


来週末。


晴れ。


風も弱い。


……。


潜れそうだ。


……よし。


明日も仕事だ。


もう寝よう。


電気を消す。


部屋が暗くなる。


……。


今日も、何も見つからなかった。


次も、見つからないかもしれない。


……。


それでも。


まだ、探したいんだ。


故に俺は、深く潜る。

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