書道編
舞台の照明は眩しい。周りが暗いから、真っ白な紙に反射して眩しいんだ。今日が僕の最後の書道パフォーマンスだ。友里と、最後の共演。舞台裏には、僕らを含めて二十人ほどの高校生の部員がいる。袴に身を包んだ部員たち。ほとんどは女子だな、が、端っこに固まって談笑をしている。僕は、自信と、緊張と、そして三年間のいろいろ…全てが込み上げてきている。静かに目を閉じて、僕は三年間を思い返した。
【字を綺麗に書け!】
滋賀から京都の中学校に通い始めて早三年が過ぎて、僕は先週高校生になった。家の近くの桜はもうすでに散り始めて、灰色のアスファルトがところどころ淡いピンク色に染まっていた。クラスは中学生よりうんと増えて、学年の生徒数は四百名を軽く超えるほどであった。四分の三は知らない人だから、シャイな僕はずっと緊張している。小学校の頃にいじめられてたのを自慢していたのは今となっては黒歴史だ。思い返せば思い出したくない思い出がいっぱい蘇ってくる。笠島のことを泣きながら殴りつけたのは…。中学校生の頃の黒歴史を思い出して赤面していたとき、先生が教室に入ってきた。この先生は中学生の時英語の担任をしていた…そうだ、島田先生だ。あの先生、彼女できたんだろうか。彼女がいない仲間であってほしいけど、少し先生が可哀想にも思えてきた。
先生が、自己紹介カードを書くように指示してきた。A4サイズの紙が前の席から回ってくる。なかなか変わった髪型なのはー去年も同じクラスだった沙緒里ちゃんだ。彼女がこっちを振り向いてプリントを渡してくれる。あ、やっぱりかわいいな。もらったプリントを持つのを忘れてそのまま下に落としてしまった。恥ずかしい。
「ありがとう塩田」
彼女は優しく微笑んだ。やっぱり僕ってモテちゃうのかな?悪いけど島田先生の先を越すわ。しかし、僕には好きな人が別にいる。去年の合唱コンの時から、僕は彼女を愛している。
島田がカードを書くように指示してきた。愛用のドクターグリップでサラサラと字を書く。速記の僕、かっこいいな。タイムパフォーマンスは常に最高の状態で生きないといけない。名前、吉野。住んでる場所、ビッグシティー。通学時間、一時間。好きなこと、勉強。嫌いなこと、キノコを食べること。長所、頼り甲斐がある。短所、短いところか、僕のチンコ。あ、ダメかこれ、僕のバカったら!
突然沙緒里ちゃんが振り向いて僕の紙を見た。少しの沈黙のあと、彼女の口から出てきたのはこんな言葉だった。
「おま、えぇ、、?名前…古、里、ろ⋯?…?住んでる場所…え、ビッグカメラに住んでるの…?」
これは、僕の字が汚いことを意味していた。確かに改めて見ると汚いな。今まで気づかなかった。書き直そうかと思ったが、先生が回収と言ったので仕方なく集めることにした。先生のとこに持って行ったら、
「よっしー久しぶり〜!あとお前これ字読めねえよ笑」
と言われた。ハアトブロウクンすぎて泣いた。そういえば、前席が友里の隣だった時、朝テストの交換採点で
「なんて書いてあるの…?」
と言われたことがあった。ただ僕の字が汚かっただけなんて。速記体かっこいいと思ってたのに。もっと字を綺麗に書かなければ、彼女にもてない。そして、鈴木に勝つことも…できない。
この日、僕は書道部に入ることを決めた。
【自然科学部を捨てるのか?】
僕は自然科学部の部長である。高校一年生にして部長なのはなかなか珍しいことらしいが、人気投票で決めているので頼り甲斐のあるこの僕以外が選ばれるなんてことないんだな。そして、部室で集団でスマホゲームをする。笠島がこの事態を酷く批判していたが、来ていないあいつが悪いな。笠島が言うには、スマホで集団ができて、人気投票のせいで中心人物がそこから選ばれ、さらに部活内でのスマホの利用が深刻化していく悪循環らしい。
さて僕は部長になったからには自然科学部の存続危機をどうにかしなければならない。現在二年間後輩がほぼ0人なのだ。このままだと部活が潰される。なんとしてでも守らないといけないが、僕は書道部に入るんだ。もう顧問の三浦先生に相談して、体験入部に行ってみることにしたのだ。そのまま入部せんとばかりの勢いで言ってしまったものだから、それでもってキャンセルは人としてどうかしている。今日も自然科学部に行こうと思っていたのに、三浦が来て
「今日来ますよね。ね。」
と念を押してきた。後ろには知らない先輩がいた…橋本さんと言うらしい。
「吉野君ね!よろしく!」
鼻にかかったような声で話しながら肩をたたいてきた。身長は僕より幾分小さいが、どこか強い存在感を感じる。でっかい目とショートヘアが特徴的だな。
「きょーつけ、礼」
坂田がそう言って終礼が終わった。やっぱり自然科学部でゲームがしたいから急いで部室に行くが、どうしても書道室、つまり書道部の活動場所の前を通らないといけない。スマホをポケットに忍ばせて、そろりそろりと階段を駆け上る。どすどすどすどす。そうだった。体重のせいでどうしてもうるさくなってしまう。墨の香りがかすかに鼻にはいってきた。そそくさと通り過ぎようとした時、
「吉野君!ここだよ!!」
と橋本先輩が肩を叩いてきた。部屋に入るのは実に二年ぶりかな。授業で入る用がなかったからである。案の定、七割が女子だ。去年ソプラノで女子に囲まれた経験があるとはいえ、鈴木のように女子の中に入っていく勇気はない。部屋に入った途端、みんなが僕を見る。やっぱやめとけばよかったな。ここの女子怖いぞ。
まずは部活見学ということで、前の先生の椅子のところに座って様子をみた。知っている人は、友里と…あれ、夏希は書道部じゃないのかな?来てないだけかな。あっ、思い出した。笠島が言っていた。夏希は退学したんだった。きっとあの病状から鑑みるに彼女は「寝不足」という重病でやめたんだろう。医学をデュオリンゴで学んだ僕は、友達の病気まで診断できちゃう!こんな優秀な僕に対して、鈴木…あいつはつい最近まで光栄とパンツの話をしていた。鈴木の常識をうたがうね。僕は鈴木とは違って、光栄のパンツの色を知っている。実際に見たもんね。
そんなことをぼーっと考えていたら、三浦先生がやってきて、僕に試しに何か書いてみるよう言った。硬筆で般若心経を書いてみる。綺麗に字を書けない自分がもどかしい。やっぱり向いてないな、と思ったが、先生は入部禁止令を出すどころかすぐに入るように言ってくれた。
そこには、自然科学部の終焉の足音が近づいていた。
【書いて、恋して】
結局入部した。そして、僕が書道部に入った理由はもう一つある。友里に近づくこと!僕は去年から友里に片思いをしている。去年の合唱コンの歌詞カードの裏に書いてもらった「カッコよかった!!」という言葉、絶対脈アリだよね、これ。
今日も部活に行ったら、ジャージ姿の友里がいた。いつもは静かだけど部活だとかなり活発なようだ。友里と話しながら書いていると、部室の扉が開いた。
佐久間がきた。
なんでだろう。どうして佐久間が来たんだ。目が合った。彼女は一瞬だけ目を細め、眉間に皺を寄せた。そのまま久石にも視線をやった。佐久間と久石は、中学の時の印象であまり仲が良いわけではない。
(佐久間は私にもその顔を向けてきた。その顔は、いつの日か笠島が見た橋本先輩の顔ー憎しみと軽蔑に満ちた顔に重なった。(笠島は橋本と仲が悪い。)反射的に私は目を逸らしてしまったけれど、吉野と佐久間はまだ見合っている。佐久間が先生に話しかけられて終わったが、このわずか三秒の出来事が、恨みの連鎖の始まりのように思えた。)
僕は最近彼女が怖くなった。僕を振ってきた上に僕が入部した部活に入ってきて、睨んできた。(実のところ、佐久間は島田先生から三浦先生に伝言しにきただけだった。)彼女の恨みを買ったような気がした。何かされる前に、なんとかしなければ。
週三の書道部、僕はいくつもの字を紡ぎ出した。筆から流れだす自分の文字が、真っ白な紙に黒々と踊り出した。なんて書いてあるかわからない中国の書家が書いた手本もかなり上手くなった。後から知ったことだが、僕の字は草書という書体に向いており、先生はこれを活かせると思ったから入部を勧めてくれたらしい。
七月もなかば、答返も終わって自宅学習日ラッシュに入った。自然科学部にも少し行きつつ、本業は書道部になっていた。書道部は夏休みも大忙しだ。文化祭のパフォーマンスという一大行事に向けて、毎年技術を磨いているそうだ。僕は入部してからの三ヶ月でかなり字が綺麗になった。前まで書いていた速記体を一度忘れ、字を丁寧に書くことを覚えたから、ノートやテスト、日誌の字は以前よりずっと改善された。たくさんの字を練習した甲斐があった!島田にも驚かれるほどだ。答案返却の時、でっかい目をもっと大きくして、声が裏返らんとばかりのこえで
「これ吉野の字?!」
と言ってきた。
そして、書道部は合宿がある。自然科学部には合宿はなかったから、人生で初めての部活合宿である。学校から約一五〇キロメートル離れた兵庫県神鍋高原のホテルにいって、パフォーマンスの特訓をすると聞いている。そういえば笠島は中学生の時すごく書道部に入りたいと言っていたな。入ればよかったのに。僕だって最初は気後れしていたけどれど、その一歩さえ踏み出せば楽しいぞ。(何様なのか。)後でLINEで教えてあげよう。で、夏休みの活動表が配られたー僕はびっくりして最初びっくりした。自然科学部とは比べ物にならないほど多いし、パフォーマンスはは基本団体戦だから一人かけるとみんなに迷惑をかけるだろう。迷惑をかけるのは迷惑だ。
そしていよいよ本格的に夏休みに入り、休みの日も学校に行く羽目になった。でも、Tシャツの友里を想像しただけで準備をする手が早まる。わくわく。
夏の日差しが暑い。友里と付き合う想像をした。太陽は南中位置にある。たくさん書いて、恋をした、あの夏の思い出だ。
【吉野、合宿】
マルから
「最近自然科学部来ないね」
というメッセージがきた。僕は自然科学部を捨てた男である。いままで何もできることがなくて部活に入れなかった僕を、最後まですがらせてくれた部活を。夏休みの前、顧問の石丸先生に、部長の辞職を伝えた。そのとき、僕は石丸さんの顔の筋肉が少し和らいだ気がした。安心したような顔だった。その時気づいた。僕はすでに部活から捨てられていたことを。僕が部長から降りたことを皮切りに、僕らのゲーム集団はどんどん勢力を失い、末期には二週間に一度程度の活動になり、来ている部員数は片手で数えられるほどだったという。生徒指導部からの一斉摘発で、ゲーム集団は最期を遂げた。笠島は、この出来事を「令和の自然科学部改革」と呼んだ。
本格的に暑くなり、ニュースの日本地図は毎日紫色が目立っていた。熱中症に気をつけて、僕は常に栄養補給効率が良いアクエリアスを持ち歩いている。明日、書道部の合宿がある。今日の部活はその事前準備だ。マイクロバスにパフォーマンスに必要な道具を搬入し、しおりに沿って軽く説明をし、解散だ。
部室に入ると、いつもより雰囲気が明るいのがわかった。橋本先輩は周りの男たちとデレデレして話している。部屋に目を通して、友里がまだ来てないことに気づいた。仕方がないから、仲がいい同学年の男子部員に話しかけに行く。部活の夜の計画を立てた。まずは女子部屋に行こうってね!話が盛り上がっていたので、友里が来たことにも気づかなかった。
しばらくして三浦先生とコーチがやってきて、説明が始まった。まずは、学校の駐車場に二台置いてあるマイクロバスに、でっかい海苔巻きみたいな紙と、数本のでっかい筆を搬入する。後から女子部員たちは大量の墨を抱えて走ってきた。全部後部スペースに収納し、コーチがバックドアを勢いよく閉めた。ガソリン満タン、調子万全で準備が終わった。運転は誰がするんだろう。僕の座席的に見えない。
部室にもどって配られたしおりに目を通し、 今日はわずか一時間で解散だ。僕が琵琶湖線を使っていることを知って、橋本先輩が一緒に帰ろうと誘ってきた。友里も一緒だと聞いて即決した。太陽は西に傾き始め、さっきより気温は高くなっていた。僕は車道側を歩き、車がぶつかっても友里を守れるようにした。僕の長所、頼り甲斐があることだ。自分の体重を生かして、車を弾き飛ばすんだ!僕は道中いろんなことを話した。友里に期末の点数を聞かれた。何度見ても可愛い。歩いて体が揺れる度に優しい香りが鼻に入ってくる。後ろを歩いていたのは、橋本先輩とその周りの男たち。ちょくちょくこっちに話を振ってきて、それに答えた。やっと駅に着いた頃には汗が流れていた。僕と友里は同じ方向だ。車内の冷房が涼しかった。
はい、ということで合宿日当日だ。学校に着いたら、もうすでに何人か集まっていた。飲み物が欲しかったので、奥の自販機のところに行く。横のグラウンドではサッカー部の活動が、うるさいほどの活気が溢れていた。出発まで、あと十分。僕は書きたい気持ちと、恋の気持ちで心がいっぱいだった。自分の文字を愛せる、これがどんなに楽しいことか、嬉しいことかを僕は、今、知っている。書の楽しさにもっと早く気づきたかった。やがて全員の集合を確認した顧問が、出発の合図を出した。バスに乗り込み、大きなリュックを上の荷だなに置く。隣は…ああ、橋本の周りの男の一人、名前は…工藤とかだったような気がする。横メガネをかけたいかにも理系みたいな顔をした男だ。ちょっと怖い。そんなことを考えているうちに、車のエンジンが勢いよくかかった。ガソリン車特有のあの臭いが気持ち悪い。そして、先に出た物資搬入車に続いて、僕たちのバスも校門を出た。
バスが高速道路を降りた。あと十数分もすれば到着だ。工藤先輩との下手くそな絵しりとりがそろそろ飽きてきた。バスは山道に入り、先を行っていた搬入バスはすでに到着したとの連絡が入ったそうだ。
バスがゆっくりと停車して、慣性を感じる。荷物を抱えて外に出ると、山の上なだけあって少し肌寒さを感じた。空には小さな雲が遥か遠くに見える以外濃い青色だ。太陽が白い光を強く放っている。僕は用意周到だから、日焼け止めクリームを軽く塗っておいた。これで肌の白さを保って、友里にモテモテだ。新鮮な空気とはなんだろう、とふと思った。学校の、閉鎖的で、息の詰まるような空気とはかけ離れている。
三浦先生に
「ぼさっとしてないで早く荷物運びな!」
そう言われた僕はみんなが先に行ってしまったのに気づいた。
僕の三日間の合宿が、始まった。
僕がパフォーマンスで役割を得たのは下地の色だ。まだ高一生だとはいえ、書道部なのに字を書けないのはおかしいって!!
【そして、今年】
気づけば、僕は高校三年生。字は二年前と見違えるほど上達したが、友里との関係の進展はゼロに等しかった。大学受験を目前に、僕は書道を続けていた。最後の大きなパフォーマンスは文化祭だ。この文化祭のパフォーマンスこそが、僕の部活の青春を飾る最後のページの一部になるだろう。去年の合唱コンクールには、トラウマがあるから、今年こそは…
【そして、今】
僕は頭の中で一通り考え終わった。三年間のあんなことやこんなことが、全部込み上げてきた。僕は閉じた目をやっと開ける。やっぱり眩しい。僕は緊張で手に力が入る。
そして、書道部の公演の時間になった。照明が暗くなり始める。学校のホールが狭いのもそうだが、毎年書道部のパフォーマンスは外のテレビと中継してもなお見ることができない人が続出するほどの人気ぶりだ。扉には溢れんばかりの人々が押し寄せ、一目見ようと前の人を押している。まるでインドの電車だ。見どころは、なんといっても奇想天外なパフォーマンスだ。前は刀が出てきたこともあったと噂に聞いた。でも、今年はまた変なコンセプトで、なかなかダイナミックなパフォーマンスだ。なんとも、ところどころにバク転だとか側転とか、ハンドスプリングだとか、そういうのが入っている。もはや書道というより体育だ。僕が今年担当するのは、幸い周りの大きな文字だ。とんでもない運動はしなくて済んだ。笠島に
「お前がバク転なんてしたらホールの床が抜けるよ笑」
と言われたのにはイラッとしたけど。そして、一番大きな字は、部長の友里が書く。とはいえ、横の文字も、真ん中の文字の迫力を増すという点でとても重要な役割だ。今年の四ヶ月間練習してきた成果を今ここで出す。そして、これは僕が三年間書道部で努力してきた文字の集大成とも言える。そして、この後、僕は告白する。四年間愛した、友里にーーー
部長が一番最初に前に出て、マイクで概要を説明する。
「みなさんこんにちは!」
それを合図に、部員たちはどんどん舞台上に出ていく。筆と墨を持って。この景色も三回目だけれど、やっぱり緊張するな。怖いけど、楽しみだ。そして僕は自分を「自分はできる」と勇気づけ、舞台に出た時ー
「うげっ」
(びちゃーん)
終わった。前の女子の袴の裾を踏んで転けた。墨が落としたバケツの中からトクトクともれていく。紙にやわやわと墨が広がって、僕の心には絶望が広がっていった。耳が熱い。髪の毛の生え際に汗が滲み出てくる。会場がざわつき始めたが、三浦先生は続行命令を出した。拾い上げたバケツの中には、まだ少し墨が残っている。そして、このオレンジ色のシミは下地のデザインということにしよう。三年間を共に過ごした同学年の仲間はきっとそう理解してくれるはずだ。
音楽が始まった。ダンスが始まるのは歌詞が始まってからだ。最後の一小節。音楽は、中学のときの合唱コンクールで心得た。暗くなっていた照明が、歌詞の始まりと共に一気に明るくなる。それを皮切りに、舞台の脇から側転でダンサーが登場して、僕らは大胆に筆を紙に押し付ける。僕は、自分の手に全神経を集中させる。十秒かけて、一文字を書く。書いたらふわりと舞った後に膝をついて座り、友里の掛け声で再び文字を書く。これを繰り返すんだ。一文字、書き終える。一年生が、紙をしなるような筆捌きで彩っていくのを待つ。曲調が、サビ前の準転調に変わった。拍に合わせて友里が力強く
「はっ!」
と叫ぶ。僕は二文字目を書き始める。この半年、練習してきた成果を出し切ろうと頑張る。すると、ふわりと体の力が解けるのを感じた。僕は思い出した。体が歌い出した時と同じように、体が腕を動かして、伸びやかな草書をゆっくりと紡ぎ出していく。僕は、今笠島よりもずっと美しい字を書いている!でもそんなことはどうでも良かった。書くことが楽しかったんだ。やっと一文字を書き終わった。字を美術作品として見ることができて、僕は嬉しい。前では、まだダンサーがアクロバティックなパフォーマンスをしている。おお、ハンドスプリングを三連続。とんでもない運動神経だ。そんなことを考えながら、曲が終わるのと同時に、僕は自分の字を書き終えた。
曲が終わって、みんなが集まり、紙についた紐を引っ張り、作品を立てる。大きな拍手が湧き上がった。
汗が流れる。大量の観客の前で、僕たちは一列に並び、大きな声で
「ありがとうございました!」
という。約十分間の、今日最後の公演を終了した。再び起こる凄まじい拍手を背に、僕たちは舞台脇にはけていく。僕は、青春の一ページを描き終えた。でも、まだ何ページか残っている。そして、今日、もう一ページを埋める予定だ。汗は、まだ乾かない、しかし、じきに涼しくなるだろう。
【高校生、最大の一ページかも。】
僕は、これから、告白をする。誰に?もちろん、友里だ。僕は昨日、もちろん書道のことも考えていたけど、実は半日は告白の文言を考えていたんだ。そして、僕は究極の告白を思いついた!これで断られることって、あるかな?
今日は文化祭の最終日、あと十分もすれば教室集合の時間だ。
集合時間になったので教室に行ったらすでに全員集まっていた。少し恥ずかしかったが、とりあえずホームルームが始まった。あとは教室を片付けるのみだ。みんなで作ったものを三十分で全部元通りにするのはなんだか寂しいけれど、仕方がないことだ。
文化祭の片付けの途中、どさくさに紛れて体育館裏に友里を呼んだ。でも、その通りは物資に搬入出で告白どころではなかったので、急いで自然科学部の部室のフロアに行った。
そこは静寂が広がっていた。短い廊下だとはいえ、西陽が差し込み、かなり温かくなっていた。つい数十分前まで知らない人々で活気があったこのフロアは、もう何もない。自然科学部は文化祭で出展する勢力さえも失い、看板のみが、そこには立っていた。
窓側に友里、教室側に僕がいた。西陽が、友里の背中をあかるいオレンジ色に染めていた。
友里は恥ずかしそうに、こっちを見る。催促するような、柔らかい、でも力強さもある眼差しで。瞳は、陽が反射して透き通った、黄金色に輝いていた。
僕には強い意志があった。そして、ゆっくりと口を開いた。
「僕の友里に対する気持ちは二次関数のようにどんどんYの値が巨大化しているんだ。いつか、君の一次関数と交わる時、それが今だと思うんだ。
付き合ってください。」
彼女はわずかに目を細め、そして口を開いた。
「愛の強さをyて置いたなら、めっちゃ高かったんが一回『0』になってへん?」
友里の賢さを舐めていた。思わず言葉に詰まるが、僕もすぐに言葉を返す。
「…僕はX=0以上と定義する!」
困った声で、
「私の一次関数の傾きも切片マイナスだわ、そもそも同じ座標面上にあるっていう定義もないやん。」
僕は少しずつ心をえぐられていく感じがしたー脈ありだと思ったのに、四年間一途に愛し続けたのに。それでも、僕は諦めない。
「仮に同じ座標上になくても…僕らは虚数iのように計り知れない愛(i)で結ばれているんだ!!」
すかさず
「存在せえへん…」
と返されて、僕はもはやいう言葉がなくなった。一生懸命考えた文言は、天才には微塵も通用しなかった。最後に試しに、
「付き合って…くれない?」
そういうと彼女は申し訳なさそうに微笑んで
「うん、ちょっと、ごめんねえ」
と言い残して走ってどこかに行ってしまった。夕陽に照らされた彼女が、階段の角を曲がって見えなくなった。
あれ、直射日光を見たからだろうか、目から涙が溢れてきた。眩しいな、太陽は。そのまま、僕は、顔を押さえながら、物理室の壁に背もたれしながら座り込んでしまった。ああ、眩しい。目が痛い。気づいたら、顔中びしょびしょだった。そんなこと知らない。呼吸が落ち着かない。今頃帰りの挨拶でもしてるかな。何人かが僕の前を通るけれど、みんなそそくさと行ってしまった。
やがて、僕の名前を誰かが呼んでいるのが聞こえた。階段の足音と共に近づいてくる。挨拶にいないのに気づいて、誰かが探しにきたのか。気づけば、太陽は沈んで、あたりは暗くなっていた。雨の音が聞こえる。わずかに空いた窓から吹き込んできた雨粒が腕に当たる。
急いでトイレに駆け込んだ。そんなことをやっても意味ないのは知っている。でも、耐えられなかった。
また数分が経ったら、今度は聞き覚えのある集団の声だった。鈴木と笠島たちだ。チーリンちゃんも、小春もいた。友里の声は…聞こえない。そしてそのまま鈴木と笠島はトイレの中に入ってきて、僕を呼んだ。
「あんた、合唱コンの練習で責められた時もここで泣いてたやんか。やから、どこにいるか見当がついたんよ」
というのは笠島だ。
そうだ。笠島は僕を理解してくれていたんだ。思い返せば、六年間、ずっと友達だ。乾いた顔に、再び熱い液体が流れ出す。ゆっくりと、個室の鍵をスライドして開ける。
外に出たら、みんなが励ましてくれた。
これも、僕の大事な人生の一ページだ。僕は一生忘れない、悲しみと、友情の喜びを。いつか、また、他の人にリベンジするときの教訓も。
鈴木、お前もそうだと思っていたのに。固い友情で結ばれてると思ったのに。
僕は書道室に戻って、半紙を一枚、墨と筆を用意して、文字を綴った。
「書」は、まだ僕がこの世に存在することを認めてくれる存在だった。何も言わずに、全てを受け止めてくれる、書道。
ありがとう、書道、そして、さようなら、青春!
(書道編終わり カルフォルニア編に続く)




