↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/21

第7話 深作多目的遊水地

 梨奈は深作多目的遊水地に向かって歩き出した。


  汗びっしょり


 身体がほてっている。


  絶頂


 エクスタシーってやつかしら? 


 なんか恥ずかしい。

 このままじゃ家に入れない。

 歩いて身体を冷まそう。

  

 遊水地の周囲を巡る道路にはハナミズキが綺麗に咲いている。

 梨奈は家がある西に向かって歩き始めた。


 スポーツサイクルが通り過ぎる。


 漕いでいるのはオヤジ。暑いのか汗をぬぐっている。


 おじさん、サイクリングなんかしないでOMG劇場においでよ。

 絶頂を分けてあげるよ。

 

  ♡幸せ♡


 右手には友麻くんの感触が残っている。

 人生、バラ色だあ。


 この幸せを、みなさんにお裾分けしたい。


  握手


 梨奈は曲がりなりにもプロのアイドル。

 無料はダメ。

 

 そうだ、CDを東大宮で売ろう。

 買ってくれた人に握手のサービス。


 西友、ベルックス、ハレノテラス、ロヂャース。

 工業大学の生協にも頼んでみようか。


 櫛引先生は反対するだろうなあ。

 このままじゃジリ貧。


 売り子はОMGの若手メンバー。

 梨奈はだめ、おばさん。

 大和田灯里はお客が寄り付かない。


 研究生の駒場咲良と円阿弥沙織に売らせる。

 今羽星名をヘッドにしてもいい。自覚を持たせるんだ。

            

  人に任せてはいけないよ

  自分で動かなきゃ駄目だ


 声が響いた。


  誰? 


 梨奈はあたりを見渡した。

 誰もいない。変だなあ。


  確かにね


 梨奈が先頭に立って売らなければいけない。

 謎の声は、当たっている。

 梨奈が動かなきゃ。


  ♪ムーブ 君が好き

   ムーブ さあ動くんだ♪ 


 梨奈は劇場公演のエンディングM!(ムーブ)を口ずさんだ。


 握手だけじゃない。

 サイン会もやろう。

 できることはなんでもやってやる。


  でもなあ


 梨奈と握手をして喜ぶ人は何人いるだろう。


 上級国民のお爺さんは、梨奈を知らなかった。

 梨奈を、ОMGを世の中の人たちに知らしめるにはどうしたらいい。


  大宮市長選挙


 梨奈は春野小学校の校門に設置された選挙ポスターの掲示板に目を留めた。


  梨奈《あなた》しかいない


 上級国民のお爺さんに出馬を要請された。


  ダメだね


 狂ジローは自独党が公認。

 梨奈は、絶対に、勝てない。


  話題作りにいいかも


 マスコミが取材に来るかな。


  しか~し


「それをやっちゃあいけないよ」

 梨奈は呟いた。


 正義、公序良俗に反している。

 公職選挙法に品位保持規定が加わった。

 営業活動は禁止されている。

 出馬は止めよう。


「わ、わ、わ~!」


  なんだ? 


 大きな声がした。


 春野小学校の前から多目的遊水地に降りる坂道をスポーツサイクルが下っている。

 すごいスピード。


「あぶない!」

 梨奈は思わず声をあげた。


  ガシャ~ン! 

 

 スポーツサイクルが大きな音をたてて遊水地の池を囲む木の柵にぶつかった。


 運転していた人が宙を飛ぶ。

 

  ドボ~ン!


 まるで特撮シーン。


 運転をしていた人はダイビングをするように池に落ちた。

 梨奈は坂道を駆け下りた。


「大丈夫ですか?」


 梨奈が声をかけると池の中で男が立ち上がった。

 よろよろと岸に向かってくる。


 さっき、梨奈を追い抜いて行ったオジサン。

 どうやら無事らしい。


「よかったら、タオル、使ってください」


 梨奈は泥だらけになったオジサンにタオルを差し出した。


 今日の公演でも使ったOMGのタオル。

 繰り返し洗濯をして擦り切れている。


「ありがとうございます」

 オジサンはタオルを受け取った。


「池の様子を見ようと思ったんです。汗ですべったのかブレーキが掛けられなくて落っこちゃいました」


 池の周りに設けられた柵の前にはスポーツサイクルが転がっている。ぶつかった衝撃のせいかタイヤがゆがんでいる。


 オジサンは梨奈の父と同じくらいの年恰好。

 年寄りの冷や水。

 言いすぎか。


「まいったなあ、これじゃ帰れない。スマホもダメだ」

 ウエアのズボンからスマホを取り出したオジサンは渋い顔になった。


「携帯、水没しちゃいました。

 申し訳ありません、貴女の携帯をお貸し頂けませんでしょうか? 

 妻に電話をかけたいんです」


「いいですよ」

 梨奈とスマホにパスコードをタップした。


 見知らぬ男にスマホを貸すなど普段なら絶対にしない。

 今は特別。困っている人がいたら助けなければならない。


「え~と、何番だったかなあ」

 オジサンはヘルメットを外すと、頭を掻きながらスマホをタップした。


 あれ、この人、ひょっとして。


「もしもし、僕。悪いけど迎えに来てくれない? ここは」

 オジサンがあたりを見渡した。


「見沼区の春野小学校の前です」

 オジサンは右手で梨奈に礼をして「見沼区の春野小学校の前の池」と相手に伝えた。


「そうなの、よかった。池に落っこちちゃってさ。怪我はしていない。

 自転車が壊れちゃって。詳しいことは後で話すから、この携帯、人のなんだ、じゃあ、お願い、切るよ」


「はあ~」


 オジサンはため息をつくと「すみません、通話代はお支払いします」と梨奈にスマホを返した。


 梨奈はスマホを受け取りながらオジサンの顔を見つめた。


「結構です。5分以内は無料です]

 梨奈はオジサンを見つめた。

「ひょっとして、協和党の安田さんですか?」


「ご存じでしたか」

 オジサンは頭を掻きながらうなずいた。

「いや、まったく、面目ない」

 

 やっぱり。

 大宮駅で貰ったビラのおっさん、安田勝男だ。


「最近、いろいろありまして、ちょっと気晴らしにサイクリングをしていたんです。どうか、このことはご内密に」

 安田は梨奈に頭を下げた。

「家内はロヂャースにいます。すぐに来ます」

 梨奈は笑いをこらえた。


  そうよねえ


 市長候補を決められない協和党の埼玉県連会長が選挙前に池に落ちた。


 洒落にもならない。


「あれ? 貴女は」

 安田は梨奈の顔をじっと見つめた。


「OMGのオカリナ? 岡林梨奈でしょ?」


  なんだ?


 安田が迫ってくる。


「うわ~、すげ~! 

 握手していいですか?」


 オッケーしないのに安田は梨奈の手を両手で握った。

 強引。

 安田の手は泥だらけ。


  友麻くんが汚れる!


「感激だなあ。生(なま)の岡林梨奈に会えるなんて。

 オカリナ、家は、薄野(すすきの)一丁目だよね」


 安田は梨奈の家の番地を正確に告げた。


  やだ! 


 梨奈は安田の手を振り解いた

 なんで梨奈の住所を知っていやがる。


 赤い車が春野小学校の前に止まった。

 

「いい年こいて、なにやっているのよ!」

 中年の女性がプリプリしながら坂道を降りて来た。


「ロヂャースの夕市でお買い物、していたのに!」


 青いジャンパー。

 大宮駅東口でビラを配っていたおばさんだ。

 

「池に落ちたってどういうこと? それに、あなた、なんで、見沼区にいるの?」


「いや、だから、こっちは来たことがなかったから」

 安田は、おどおどと答えた。

「市長選挙に立候補してくれる人、誰かいないかなあと思ってね」


「なにバカなこと言っているのよ。あら、この人は?」


 おばさんが梨奈に顔を向けた。


「ひょっとして、OMGのオカリナ? キャー! どうしましょ~!」


  うわ! なんだ? 


 梨奈はおばさんに抱きつかれた。


「すごいだろう、生の岡林梨奈だぞ。

 百合子、スマホ貸してくれ、写真、撮ってやる」


「止めてください!」


 梨奈は百合子を振りほどいた。


「ファンの皆さんとの接触は禁止です!」


  いい加減にしろ


 梨奈は安田夫妻を睨みつけた。 


「私、OMGを馘になっちゃいます!」


「いいじゃない、写真くらい。宣伝にもなるよ。

 協和党の広報紙に載せてあげようか」


 なんだ、この泥まみれのクソオヤジ。

 ヘラヘラと笑う安田に梨奈は切れた。


「安田さん、貴方は、それでも国会議員ですか!」

 恩を仇で返された。


「ひどすぎます! 恥を知りなさい!」


 こんな奴、助けるんじゃなかった。

 安田夫妻は顔を伏せた。


「大宮市長選挙はどうするんですか? 狂ジローを市長にしていいんですか!」


  サイクリングだと? 


 安田みたいな能天気な政治家がレッドラビットを野放しにするんだ。


「狂ジローが市長になったら大宮は終わりです。女性たちはラビットの餌食です」


 寿能円の笑顔が浮かんできた。

 涙が出てきた。


「私は、OMGのみんなが幸せになるには何をしたらいいのか、いつも考えています。

 私は闘います! 

 絶対に、狂ジローを市長にさせません!」


 安田が顔を上げた。


  なんだ? 


 梨奈はたじろいだ。

 安田勝男の目が輝いている。


「オカリナ、ありがとう!」


 梨奈は安田に両手を握りしめられた。


「大宮市長選挙に出てください! 

 協和党が全面的に支援をします」


  へ? 


 おっさん、何を言い出す。


「あなた、良かったわね。オカリナ、婦人部も応援するわ。がんばってね」


 百合子も顔を輝かしている。この夫婦、おかしい。


「ちょっと待ってください」

 梨奈は安田の手を振り程った。


「私はアイドルです。市長なんか出来ません。第一、劇場での」


「オカリナ、がんばれ~!」

「月下に負けるな!」

「見沼区の名前を変えてくれ~!」


  公演があります


 訴えようとした梨奈の声は大歓声に掻き消された。


「歌って踊れる市長の誕生だ!」

「行こ! 行こ! 行こ! 行こ! 市長の椅子!」


 なんだ、この掛け声。


 遊水地は人でいっぱい。

 たくさんの人たちが梨奈と安田夫妻を取り巻いている。

 

 いつの間に集まった。

 なにが起きたんだ。


  ピンポンパンポ~ン!


 チャイムが鳴った。

「こちらは、防災大宮です。春岡地区の皆さんに緊急のお知らせがあります」


 さいたま市、いや、大宮市の防災無線。地震かな。


「ОMGのオカリナ、岡林梨奈さんが大宮市長選挙に立候補します」


 なんだと?


「レッドラビットの支配から大宮を解放するチャンスです。

 皆さん、岡林梨奈さんを応援しましょう!」


 誰が流しているんだ。

 防災無線を私的に使っていいのか。

 選挙の事前運動って禁止されているんじゃないの? 

 私、捕まっちゃうよ。


「皆さん、落ち着いてください。私は、まだ」


  お~! わ~! 


 なんだ?


 私は、立候補するなんて、言っていません。

 言葉を続けようとした梨奈はたじろいだ。


 アーバンみらいのマンションが揺れている。倒れる!


  違う


「オカリナ、がんばれ~!」

「応援するぞ~!」


 住民がベランダに出て手を振っている。タオルを振り回している人もいる。

             

  ドドドドド~!


 地響き。


  うわ! 


 周辺の一戸建てから、市営団地から、たくさんの人が押し寄せて来た。


「オカリナ、待ってました!」「大統領!」


 市長、じゃないの?


「さいたまダービーの仇を打ってくれ!」


 お門違いです。


「レジデンシャルスタジアム大宮でホワイトソックスの試合をやってくれ!」


 さいたま市営大宮球場の収容人員は一万人。

 メジャーは来ないよ。


  どうしよう


 梨奈にはОMGがある。市長選挙なんか、やっていられない。

 逃げ道はないかしら。


 人の輪から小柄な男子が歩み出た。


「オカリナさん、大宮の市長になってください」

 

  友麻くん!


「オイラ、応援します。南銀の劇場にも行きます!」


「キャー! 旭の渡辺友麻くんよ!」

「帰ってきたんだ」

「おかえり~」

「ゆうま~!」

 女性たちから黄色い歓声があがった。


 梨奈は天を仰いだ。友麻くんに頼まれた。もう逃げられない。


「劇場って何?」

「OMGの劇場よ。南銀にあるらしいよ」

「南銀? やだ、いやらしい」


 女性たちが言い交している。

 ひどい。ОMGを風俗扱い。


 大宮南銀は、ホストクラブ、キャバクラ、風俗のお店がひしめく北関東最大の歓楽街。良い子は足を踏み入れない。


  よし、決めた!


「安田さん、私、市長選挙にチャレンジします」

「え、ホント?」

 安田の顔がほころんだ。


「条件があります。OMGの劇場公演が優先です。よろしいですか?」

「もちろんだよ。オカリナは、南銀の星さ。協和党にも動員をかけるよ」


 梨奈は遊水池に集まった人たちに顔を向けた。

「みなさんも、南銀のOMG劇場に来てください! 

 よろしくお願いしま~す!」


 市長選挙を利用してやろう。

 OMGをアピールする絶好の機会だ。

 

「怪しいところじゃありません。楽しいですよ」


 絶頂を分けてあげます。

 

「行くよ~!」

「大宮独立、ばんざ~い!」

「オカリナ、ありがとう!」

「はんざ~い!」


 市民の歓呼の声が夕暮れの深作多目的遊水地に響き渡った。


「ばっかじゃねえ」

 冷めた男の声がした。


 週刊真相の蠅島耕三。なにをしにきた。


 蠅島は芸能スキャンダルが専門の記者。何人もの芸能人やアイドルが蠅島の餌食になっている。


「なんだ。ショーパブじゃねえのか」


 蠅島はOMG劇場によく顔を見せる。

 お忍びで南銀に遊びに来る女優さんや男性アイドルを狙うついでらしい。


「お前らなんかネタにもならねえ。早いとこ解散しちまえ」

 OMGをゴミ扱い。


「旭の友麻が実家に帰ったって聞いたんで跡を追ったらこの騒ぎだ。

 世間知らずにも程がある。

 相手は月下だ。勝てるわけない。時間と金の無駄」


 蠅島は梨奈を指さした。


「オカリナ、お前は、市長選挙に出たら、注目されると思っているだろう?」


 当たりです。


「甘いぜ。

 大宮のオワコングループのリーダーが選挙に出たって、誰も取り上げない」


  くそ~


「かまいません!」

 梨奈は胸を張った。

「ОMGは、オワコン以前です。失うものは何もありません」


 オワコン。終わったコンテンツ。

 ОMGは、うたコンにもMステにも呼ばれていない。

 梨奈は笑顔を作った。


「立候補はプレスの皆さんを呼んでОMG劇場で行います。

 蠅島さんも来てくださいね」


「ば~か。大宮くんだりに出向く奴なんて、誰もいねえよ」

 蠅島は冷たい笑いを浮かべた。


  あれ? 


 遊水地から人が消えている。

 安田も友麻くんもいない。


  カァ~カァ~


 遠くでカラスが鳴いている。


 梨奈は独りぼっち。みんな、どこに行ったの。


 市長選挙、大丈夫かな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。