第6話 アーバンみらい東一番街の奇跡
あれ?
東大宮駅のホームに人がいない。
梨奈以外
階段に近い車両から小柄な男の人が降りただけ。
東大宮駅の一日の乗降客は6万人。快速も停まる。
東口の工業大学の学生。
西口の中高一貫の進学校の生徒。
大宮方面に行く人、東京から帰る人。
朝も夜もホームは人で溢れている。
ホームは無人。
おや?
宇都宮行の列車も消えている。
発車のチャイムは鳴ったけ?
まあ、いいや
詐欺師候補のお爺さんは追ってこない。
逃げ切りだ。
「離してください!」
改札口を抜け、東口の階段を下りていくと甲高い男子の声がした。
「オイラ、急いでいるんです! 家に帰るんです!」
「いいじゃない、握手してよ」
「スカートにサインして」
「お家はどこ? 教えて」
階段の下で中年の女たちが背の低い男子を取り囲んでいる。
ドキン!
梨奈の胸が高鳴った。
渡辺友麻くん!
友麻くんが東大宮駅に、ひとりでいる。
ホームで見かけた男の人は友麻くんだった。
梨奈は左手の交番に目を向けた。
警官が立っている。動こうとしない。
なんで、警官はストーカーまがいの女たちを止めようとしないのだ。
梨奈が守らなきゃ
梨奈は女性の輪に入り込んだ。
「やめなさいよ!
友麻くん、嫌がっているじゃないですか!」
「なによ、あなた」
赤いジャケットを羽織った太った女が梨奈に顔を向けた。
「邪魔するんじゃないわよ。これが目に入らないの?」
女がジャケットの左襟をかざした。
ウサギを象った赤いピンバッジ
ラビットのマーク
レッドラビットだ。
「だから、なんなんですか!」
梨奈は頭に血が上った。
警官が動ない理由がわかった。
埼玉の警察はダメ。
レッドラビット、月下に睨まれるのを恐れている。
レッドラビットは友麻くんまで喰い物にするつもりだ。
「友麻くん、行こう!」
梨奈は友麻くんの腕を掴んだ。
「お家に帰るわよ!」
駅前の乗り場に黒いタクシーが1台停まっている。
「キャー! なにするの?」
「友麻くんをどうするつもり!」
「お巡りさん! 誘拐です!」
レッドラビットの女たちが金切り声をあげた。
うるさい!
梨奈は友麻くんをタクシーに押し込むと、運転手さんに叫んだ。
「アーバンみらい東一番街!」
バタン!
大きな音を立ててドアが閉まった。
タクシーが走り出す。
駅前のロータリーを回る。
レッドラビットの女たちは追ってこない。
警官も動かない。
やった。逃げ切りだ。
うん?
人がいない。
ファミリータウン・アーバンみらい循環
七里駅行ミニバス
工業大学の学バス
バス停。
無人
歩道を歩く人。
いない
車も走っていない。
みなさん、さっきの地震で屋内待機かな。
タクシーがよく居たものだ。
運転手さんがシフトレバーを操作した。
マニュアル車!
運転手さんは制帽を被っている。
なんか変
スーツ。
ネクタイ。
白い手袋。
タバコの臭いがしない
東大宮駅のタクシーは雲助。
ガラが悪い。
客待ちの間、煙草をプカプカ吸っている。
友麻くんが梨奈に顔を向けた。
「オカリナさん、ありがとうございます。おかげで助かりました」
キャー!
梨奈は身体が熱くなった。
なんで?
友麻くんが梨奈の名前を知っている。
どうしよう
「旭の渡辺友麻くんだよね?」
内心の動揺を梨奈は抑え込んだ。
トラブル
イレギュラー
劇場公演では日常茶飯事。
10年のキャリアを生かすんだ。
「お仕事はいいの? 忙しんでしょ?」
「はい」
友麻くんは頷くと、フロントガラスに顔を向けた。
「母ちゃんと妹が熱を出しちゃって。オイラ、様子を見に来たんです。
すぐに渋谷に戻ります」
うわ~!
オイラ、母ちゃん。
口調も渡辺友麻。
スーパー・アイドルが隣に座っている。
「買い物は大丈夫なの? ハレノテラスに寄ってゆく?」
落ち着くんだ
梨奈だってアイドル。
取り乱したらみっともない。
タクシーは出戸橋通りを過ぎた。
この先のハレノテラスにはヨーク・マートもある。
友麻くんと買い物するなんて恋人みたい。
お母さんと妹さんに何を買っていこう。
「オイラの家は生協の宅配を使っているんです。昨日、配達が来ているはずです」
あら残念
かえってよかった。
旭の渡辺友麻くんがハレノテラスに現れたら大騒ぎになる。
友麻くんは黙って窓の外を見つめている。
チラ
顔を前に向けたまま目を動かす。
友麻くんの横顔
ステキ♡
梨奈は静かに息を吸った。
狭い車内。
友麻くんと同じ空気を吸っている。
夢なら覚めないで。
沈黙
なにか話さなきゃ。
「島小、綺麗になったね」
何年前の話だ
島小学校の塗装工事が行われたのは梨奈が高校生の頃。
ちかちか
ライオンズマンション。
運転手さんがウインカーをあげた。
運転手さん
フォローしてよ
旭の友麻くんが乗っているんだよ。
私はOMGの岡林梨奈だよ。
「車、いないね」
今日は憲法記念日。
ゴールデンウィーク。
家族連れで大渋滞になるアーバンみらいに向かう道に車がいない。
運転手さん
友麻くん
反応なし。
アーバンみらいのマンションが見えてきた。
見沼代用水を渡る。
話題、話題
「病院、どうするの?」
国道16号の手前の古い医院はカーテンが閉まっている。
ダメだあ~
アイドル失格。
明るい話題が出てこない
MC。
お客様を惹きつける話題、会話術。
勉強し直さなきゃ。
「ここでいいです」
友麻くんはアーバンみらい郵便局の手前でタクシーを止めた。
着いちゃった
「お金、払います」
財布を取り出そうとした友麻くんを梨奈は手で制した。
「乗せたのは、私。友麻くんは未成年でしょ? 私が払います」
櫛引先生へのお見舞いの花を買おうと公演前にお金を降ろしておいてよかった。
「すみません」
友麻くんは素直に頭をさげた。
キュン!
仕草もかわいい♡
梨奈は友麻くんと一緒にタクシーを降りた。
そうだ
「よかったら、金柑、食べて。
喉にいいんだって」
梨奈はトート・バックに入っている金柑を差し出した。
ほぼ毎日公演を続けるには喉の管理が大切。
梨奈は母が作る弁当と一緒に金柑や夏みかんを持ち歩いている。
「ありがとうございます」
友麻くんは金柑を受け取ると右手を差し出した。
「オイラ、オカリナさんをずっと応援していたんです。
握手してもらっていいですか?」
キャー!
どうしよう。
ОMGには握手会はない。
握手って、どうやったけ?
落ち着け
右手を差し出せばいいんだ。
そうだ
ついでに友麻くんに言おう。
いいわよ
これからは、オカリナって呼んで
「さん」付けはいらない
友麻くんが梨奈の手を握った。
ビビ!
梨奈の身体に電流が走った。
ぱあ~!
視界が開ける。
カ・イ・カ・ン
身体が熱い。
蕩けそう。
チリンチリン
自転車のベル。
ママチャリが向かってくる。
友麻くんが手を離した。
「失礼します。劇場公演、がんばってください」
友麻くんは一礼して東一番街のマンションに入っていった。




