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(五)くねくねの稲穂

風に揺れるのは稲か、命か。


出羽国、村山郡大倉郷の奥深く、稲穂が風に波打つ夏の田園地帯に、その村はあった。


その日は梅雨が明けたばかりの晴天。朝から陽光が容赦なく照りつけていた。


田のあぜ道を歩いていた兄弟──兄のタカシと弟のケンジは、遠くの畑の端に、白いものを見つけた。


最初は人かと思った。


白い着物をまとった女が、ゆっくりと体をくねらせているように見えた。


だが、よく見ると首の曲がり方がおかしい。肘が逆に折れている。腰が、まるで蛇のようにねじれている。


「…あれ、何だ?」


ケンジが呟いたとき、タカシの顔から血の気が引いた。


「わかった」


低い、掠れた声だった。


「兄ちゃん?」


「わかった。でも…お前には教えない。わからない方がいい」


その夜、タカシは熱を出した。翌朝には言葉を失い、目は虚ろになり、口角から涎を垂らして笑うだけになった。


村の医者は「脳をやられた」と首を傾げ、結局、タカシは一生を施設で過ごすことになったという。


──それが「くねくね」の話だった。


秋も深まり、稲刈りが終わり、村は静寂に包まれる頃。


毎年この時期、民俗学者の佐久間妖道は、決まってこの村にやって来る。


囲炉裏端できりたんぽ鍋を囲み、古い言い伝えを漁るのが何よりの楽しみだった。


今年は珍しく連れがいた。


信濃で拾ったという助手、助川清彦。


三十代半ばにして頭頂部は見事に禿げ上がり、囲炉裏の炎がその頭を赤く妖しく照らしていた。


「今年もお邪魔しますよ。お宅のきりたんぽがなければ、わたくしの秋は越せませんからな」


妖道は地鶏の袋を差し出し、したなめずりした。


家主のおばあさんは、清彦の頭をじろじろ見て、くすりと笑った。


「まあ、つるつるでございますこと」


清彦は照れくさそうに禿げ頭を撫でた。


「ご笑飯に預かります」


酒が回り、話が弾むうちに、誰かがぽつりと漏らした。


「そういえば、今年もくねくねが出たって…」


一瞬、囲炉裏の炎が揺れたような気がした。


妖道の目が、ぎらりと光った。


「ほう、それは聞き捨てならん。畑でくねくねと動く、白いもの…見たら気が狂うと?」


村人たちは顔を見合わせ、口をつぐんだ。


妖道は身を乗り出した。


「場所は? いつ頃? 正確に教えてください」


翌朝。朝靄がまだ残る田んぼのあぜ道を、妖道は鳥かごを手に、清彦を連れて歩いていた。


籠の中では黄色いカナリアが小刻みにさえずっている。


清彦は禿げ頭を撫でながら、半べそをかいた。


「帰りましょうよ、先生。こんな昔話に首を突っ込むなんて、命知らずにもほどがあります」


妖道はにやりと笑った。


「君は女なら簡単に着いていくくせに、謎には興味がないんだな」


「だって…俺、あれは本物の目の不自由な人だと思ったんですよ。白い服着て、畑で踊ってるのって…」


「ついたぞ」


妖道が足を止めた。


遠く、朝靄の中に、白い影がゆらゆらと揺れている。


くねくねと、まるで骨のないように体をねじりながら、ゆっくりと踊っている。


妖道は鳥かごを竹竿の先に括りつけ、ゆっくりとそれに向かって歩き始めた。


十歩、二十歩。突然、カナリアのさえずりが止んだ。ぱたり。籠の中の小鳥が、くるりと裏返って死んだ。


妖道は立ち止まり、満足げに頷いた。


「やはりな」


清彦が震える声で聞いた。


「ど、どういうことですか…?」


妖道は白い影を指さした。朝日が昇るにつれ、靄が薄れ、白いものは次第に輪郭を失い、ただの霧のように見え始めた。


「土の中の堆肥が夏の間に発酵し、メタンやアンモニア、硫化水素が混じった毒ガスが地表に噴き出しているんだ。


あれはガスが朝靄と混じってできる幻影だよ」


「幻影…?」


「健康な大人は多少吸っても平気だが、子供や体力が弱い者は脳に障害を来す。


タカシという子は、あのガスを大量に吸い込んだんだろう。幻覚を見て『わかった』と言い、脳が壊れた」


白いものは、もうほとんど見えなくなっていた。


ただの朝靄。風に流され、消えていく。


妖道は死んだカナリアを籠から取り出し、土に埋めた。


「これで、でも…」


清彦は震えながら言った。


「じゃあ、あのくねくねした動きは?」


妖道は遠くの畑を見やった。


「あれは、ガスが人の形を取って揺れているだけだ。だが、人間の脳は不思議なもので、


毒に冒されると、そこに『何か』を見てしまう。白い女に見える者もいれば、蛇に見える者もいる」


風が吹いた。ふと、清彦は自分の頭に手をやった。


──さっきから、頭が…少し、くねくねしているような…?妖道が振り返った。


「どうした、清彦君?」


清彦は笑った。口角が異様に吊り上がっていた。


「先生…わかった」


「何が?」


「くねくね…本当は、何だったのか…」


清彦の瞳が、虚ろだった。妖道は一瞬、眉をひそめた。


「…まさか、君も吸い込んだか?」


清彦はゆっくりと首を傾げた。まるで骨がないように。そして、くねくねと、体をねじり始めた。


妖道は鳥かごを放り投げ、走り出した。


背後で、清彦の声が追いかけてきた。「先生…わからない方が、いいですよ…」


朝靄の中に、再び白い影が立ち上る。今度は、二つ。


くねくねと、楽しげに踊りながら。


読んで頂き有り難う御座います。

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