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(四)件の目玉

牛の目に宿るのは、未来か、呪いか。


丹後国、倉梯山の南東に広がる須津の里は、夏の終わりになっても湿った熱に包まれていた。


昼は蝉の声がうるさく、夜になると一転して虫の音だけが残り、闇がまるで生き物のように息を潜める。


瓦版は飛ぶように売れた。


「牛頭の幼女、夜に現る。死を予言し、必ず果たす」


七月に二度、八月に三度。目撃はすべて日没後。


件の牛の頭を持つ赤い着物を着た小さな女の子が日没後、歩く。


口はきかぬ。ただ、ひとたび声をかけられれば、甲高い声で告げる。


「おまえは、死ぬ」


その言葉を受けた男は、数日後に本当に死んだ。


酒毒だったというが、里の人々はもう理屈など求めなかった。


夜の外出はぴたりとやんだ。戸を閉め、灯りを落とし、息を殺して闇をやり過ごす。


それが、この夏の掟となり、瓦版には「件の牛頭の少女」と記されていた。


それが転じて、人々はその怪異を「くだん」と呼ぶようになった。


そんな里に、二人の男が来た。


佐久間妖道。黒い外套を翻し、杖を突きながら、ゆっくりと町並みを眺める。


年齢不詳。顔立ちは整っているが、どこか人形めいて生気が薄い。


後ろから遅れてやってきたのは助手の助川清彦。


頭頂部が見事に禿げ上がった痩身の男で、残暑の陽射しに汗を流しながら、手ぬぐいで頭を拭っている。


「先生、暑うございますな。誰も外に出ておらんで、聞き込みもできやせん」


妖道は答えず、ただ一軒の家の前に立つ老婆に目を留めた。


老婆はうちみずをしていた。妖道が声をかける。


「ご隠居、ちょいと伺いますが」


老婆は顔を上げた。目が鋭かった。夫を亡くしたばかりの目だ。


「主人は、あの牛頭の娘に会うたんです」


話はすぐに核心に達した。その夜、主人は深く酔って帰ってきた。


千鳥足で路地を歩いていると、赤い着物の女の子が立っていた。手に、何か大きなものをぶら下げている。


夫は酔った勢いで叱った。


「子供がこんな時間に歩いとるんじゃない。帰れ帰れ」


すると女の子は、急に顔を上げて叫んだ。


「うるさいよっぱらい。おまえなんか死んじまえ!」


そして走り去った。主人は怒って帰ってきた。


「最近のガキは口のききかたを知らん」と、何度も繰り返したそうだ。


妖道は小さく首を傾げた。


「牛の頭を…手に持っていた、と?」


「そうじゃ。手に、ですよ。頭に、じゃあない」


妖道は、ふっと息を吐いた。


「なるほど」


その一言で、すべてが腑に落ちたような顔をした。


里に写真館があった。ガラス戸の向こうに、黒い布をかぶった大きなカメラが据えられている。


妖道は看板を見たときから、妙な違和感を覚えていた。


都会では見かけるようになった写真館が、こんな山里にあること自体が不自然だった。


張り込んで三日目の夜。夕闇が深まったころ、農場の裏口から小さな人影が出てきた。


赤い着物の少女。手に、布に包まれた大きなものをぶら下げている。


妖道と清彦は息を殺して見守った。少女は路地を抜け写真館へと歩いていく。


手にしているものは、明らかに重そうだった。


そして、布の隙間から、ぬらりと光るものが見えた。牛の目玉だった。


翌朝、妖道は写真館を訪ねた。


主人は、まだ若い男だった。目が落ちくぼみ、指先が震えている。


妖道は、カメラを指さした。


「このレンズは、牛の目玉ですな」


主人は、ぎくりと肩を震わせた。


「…ご存じで?」


「満月の夜に生まれた牛の右目。儀式的に摘出し、水晶体を乾燥させ、薬草と灰で磨いて、真鍮の枠に収める。


露光時間は長いが、写りは格別…というやつだろう」


主人は、観念したように頷いた。


「高いんです。本物のレンズは…とても手が出なくて」


「だから、娘に牛の頭を運ばせた」


「…はい」


少女は、ただの使い走りだった。


牛の頭を抱えて夜道を歩く、ただの貧しい写真師の娘。


それが、里の人々の恐怖と、酔っ払いの死と、ちょっとした言葉の誤解によって、「くだん」になった。


妖道は、静かに外套を翻した。


「人間ほど恐ろしい妖怪は、おらんよ」


清彦が、震える声で聞いた。


「先生…あれは、本当に、ただの人間だったんですか?」


妖道は、答えなかった。


ただ、遠くの山を見上げて、ぽつりと呟いた。


「満月の夜に生まれた牛の目玉は、確かに霊視の力を持つという…」


風が吹いた。


残暑の熱を運ぶ、湿った、甘く腐ったような匂いを乗せて。


里の人々は、今も夜の外出を控えているという。


牛頭の幼女が、もう現れないと知っていても。


なぜか、誰も夜道を歩きたくないのだと。満月の夜には、特に。


あの、ぬらりと光る、大きな目が、まだどこかで見ているような気がして。


読んで頂き有り難う御座います。

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