(四十一)百年後の約束
人の都合が生みし影――民俗学者と奇妙な助手が辿る封印された真実の旅
1919年のことである。
佐久間妖道が明治生命保険会社の武市利美社長に呼ばれた。
社長室は重厚な家具に囲まれ、窓からは東京の喧騒が遠く聞こえる。
「あるモノから、私がヘビの呪いを受けると知らせがあったのですが、呪いとは本当にあるのでしょうか。」
妖道は静かに答えた。
「あると言えばある。無いと言えばない。思い込みの世界のはなしであると思ってくださればいい。
だが、ごく稀にですが、そこに本物が混じるからややこしい話しとなるのです。」
武市社長は生唾を呑み込み、「では、あると?」と尋ねた。
「私が所有するモノに、数百年前から自ら掛け軸に閉じこもり、未だに生命が失われていない、そんなモノがあります。
つまり、全うに生きているモノには縁の無いモノでしょうが、私のように生きていれば、ある。ということです。」
「君とこうして会っている私が、その類に縁が無いとは、とうてい言い切れない訳か。」
武市はため息をついた。
「私のやっている事業だが、保険業界を規制する大蔵省官僚や政治家とそりが悪くてね。
大蔵省の保険課や銀行局の官僚は、財閥系企業の影響力を抑えようとする立場に立つことが多くてね。
今回もそんなことだとは思うのだが、どうやら私は呪いにかけられるらしい。いや、もうかかっているかもしれない。」
「呪いをかけた相手はご存じなのですか?」
妖道は問うた。
「大蔵省銀行局・保険課の官僚の蛇塚省吾という男が関わっているらしい。」
「蛇塚…恐らく憑きもの筋の家系。こうして話を聞いてしまったからには私にもさわりがあるでしょうな。」
そう言って、妖道は不敵な笑みを見せた。
「あなたに害が及ぶのか? 話しただけで?」
「そういうものなのですよ。」
妖道は落ち着いて答えた。
「あなたを危険にさらして申し訳ない。」
武市は頭を下げた。
「なに、私の研究テーマに憑き物筋の家系を調べるという目的がありましてね。
これは、あちらから招かれなければ、つまり呪われなければ、調べようがなかったので、
逆にありがたいというモノですな。」
「本物の学者様なのですね。どうでしょう、この一件、片付いたのならば、本を出しませんか?
その資金は私が出資いたします。」
武市と妖道は手を取り合って互いをたたえた。
「では、片づけてしまいます。」と妖道が立ち上がると、武市は驚き、「場所はわかっておるのですか?」と問うた。
「讃岐国三豊郡大野原村。そこは蛇塚由来の地で蛇神憑き、つまりトウビョウですよ。」
そう言って妖道は部屋をあとにした。
民俗学者の佐久間妖道が讃岐国三豊郡大野原村に到着したのは、それから五日後のことだった。
傍らには助手の助川清彦がおり、禿げ上がった頭頂部を撫でながら、妖道に不満をぶつけていた。
「私だけ置いて旅行に行くつもりだったんだ。」
「憑き物筋の話しだから、君を関わらせたくなかったんだ。」と妖道は繰り返し答えた。
「もしハゲ温泉が見つかったらどうしたんですか。私はここいら一体の温泉にすべて入りますからね。」
「何年か前に、君言ってなかったかい? ハゲ温泉は三途の向こうにあると――つまり死ななきゃ髪は生えてこないんだよ。」
妖道のその言葉に清彦は顔を赤くして、「三途のあっちにもあるけれど、こっちにもあるかもしれないでしょう!」と叫んだ。
そんなやり取りをしているうちに、蛇神社に到着した。
門が開き、中へ案内された。殺風景な板の間である。
その先に竹や葦で編まれた簾が下がり、向こう側を半ば隠している。
女性はどうやら顔の前に布を垂らし、目隠ししているようだ。
「わしは蛇塚巳乃里じゃ。聞きたいことがあれば申しなさい。」
「禿温泉の場所を…」と口にしかけた清彦を、妖道は襟を引っ張って黙らせると、
「あなたさまは、つきもの筋の家系でトウビョウを祭っておられるな。」
「いかにも。この目で見たものを社会的に抹殺する力があるとされておる。
だから、こうやって目隠しをさせられ、わしの前には簾が垂れておる。」
「清彦君、ちょっと下がっていてくれたまえ。」
清彦はふてくされつつ、その間を出た。
「では、簾を上げて、この私をその目で見てほしい。」
「ほう、民俗学者とな。」
「すべて見通しなら、何のためにきたのかもわかろう。」
「ふふ、どちらが本音じゃ? 依頼か? そなたの好奇心か?」
「まずは依頼を。武市社長の呪いを解いてください。」
「それは無理な話じゃ。わしがどうこうしているわけではない。兄の蛇塚省吾に頼まれ写真を見ただけなのじゃ。
トウビョウの願いは人を呪うこと。それをかなえることにより、われらは繁栄を約束される。
この呪いは百年続く。わしも百年生きればこの首にまとわりついた金の円形に施された模様が消えるというが、
そうなってからは子孫は望めぬ。
だから、子に代々、この模様が首に浮き出てわれらは憑き物筋と嫌われる一方で、富と権力を約束される。」
「先生…」と清彦が入ってきた。
「この大馬鹿が! さわりを受けるから部屋を出したものを!」と妖道は怒鳴った。
「いえ、この掛け軸が、カタカタと揺れるんです。そして、多津子を見つけたと。」
そう言って、清彦はリュックから掛け軸を出した。
「なるほど。石見英次郎よ、この娘が多津子の生まれ変わりだというのだな。
分かった、おぬしの横にその娘を描いてしんぜよう。」
そう言って妖道は巳乃里との間を詰めた。
「どうだ? おぬしを百年の呪いから解放する、といったならば、信じるか?」妖道が問うた。
「それを知っているがゆえに、おぬしをここまで招いたのだ。何も問わぬ。やってくれ。」と巳乃里は答えた。
妖道は、あの英次郎の硯を出すと、巳乃里の髪を燃やし、出た煤に巳乃里の血液を混ぜ練り合わせ、
墨に混ぜてそれを伸ばした。
そして、助手としての清彦の画才を信じて、巳乃里の姿を掛け軸の英次郎の横へと描かせた。
すると、巳乃里の姿は消え、掛け軸へ移った。
掛け軸に封じられた巳乃里と英次郎は、互いを見つめ合いながら静かに微笑んでいた。
その姿は墨の中に脈打ち、まるで生きているかのように温もりを放っていた。
妖道は掛け軸を巻き納め、神社の奥へと託すと、深く一礼した。
「百年の後、この二人は再び世に戻る。われらはその時を見届けることはできぬが、物語は続く。」
清彦はまだ「禿温泉」のことをぶつぶつ言っていたが、妖道は笑って肩を叩いた。
「呪いも温泉も、結局は人の心が作るものだ。百年先の人々が、この掛け軸をどう受け止めるか――
それこそが本当の答えだろう。」
そして二人は神社を後にした。
冬の風が簾を揺らし、黒蛇の金の輪がかすかに光を返した。
それは、未来へと残された約束の印であった。
読んで頂き有り難う御座います。




