(三十六 ) 煙にほどける声
見えぬ目が見つけたのは、闇ではなく、ひとすじの声だった。
明治四十二年、夏の盛り。
清彦は目が見えぬまま、なぜ百合江が黒羽眼科へ見舞いに来ないのか、と心に暗い闇を作り出していた。
赫堂がなぜ、あのような愚行に走ったのかも分かる気がしはじめたころ、百合江を憎む心が芽生えていた。
その頃、小学生の子供が間違えて清彦の病室にやってきた。
清彦は自分の事を民俗学者だといい、その子供が民俗学者とは何する人なの?と訊くので、清彦は妖怪博士だと答えた。
子供はそれに興奮して、また明日来ていい?と清彦に尋ねる。
清彦はもちろん、と答え、その少年は自分の名を寛一とだけ名乗った。
そこからは妖道との旅の話をあれこれと語る。勿論、自分と妖道とを置き換えてだ。
寛一は喜んでみんなに聞かせてやりたいと、たまたま清彦は一階に入院していたので、寛一は手を引っぱり、
隣の学童施設のような所へ毎日清彦を連れて通うようになった。
清彦は子供たちの無垢な声に徐々に癒され、百合江の存在すら心から消えたころ、
包帯が取れる日が明日だと医師に告げられた。それを寛一に伝えると、急に寂しげな声になり、
「これ、後で読んでね」と、何やら清彦に渡した。
清彦は無事に包帯が取れ、その目で最初に見たのが、寛一たちの寄せ書きだった。
皆の名前がずらっと書かれている。黒羽院長はその中から、黒羽寛一の名前を見つけ、自分の亡くなった兄だと、
それも何十年も前に天然痘で十二歳で亡くなり、他の子供たちと一緒に隣の墓で眠っていると知る。
そこへ連れていってもらうと、目は見えなかったあの時の坂や段差がそのままで、
自分が毎日その寺院へ連れていかれていたのだと気づいた。
清彦は線香を手向け、そっと目を閉じた。
煙が揺れ、夏の光に溶けていく。
その向こうから、あの少年の声がかすかに届いた。
――ありがとう。
清彦は微笑み、空へ向かって小さく呟いた。
「救われたのは、むしろ僕の方だよ」
風が吹き、線香の煙がひとすじ、天へ昇った。
その白さは、どこか寛一の笑顔に似ていた。
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