(三十二 ) コトリバコ
百年の沈黙が破れたとき、村の闇が語り始める。
明治四十二年、春の陽光が柔らかく大地を撫でる頃、常陸国雉ノ沢村で異様な出来事が起きた。
古い屋敷の解体工事が進む中、天井裏から埃まみれの木箱がいくつも発見されたのだ。
最初はただの古い物入れかと思われたが、蓋を開けた大工たちは息を呑んだ。
中には、幼い指の骨らしきものが、無数に詰め込まれていた。
白く小さな骨片は、まるで呪いの標本のように、静かに箱の底で輝いていた。
噂は村中に広がり、解体予定のない屋敷の天井裏も調べられた。
すると、どの家からも似たような箱が出てきた。
中身はさまざまで、干からびた植物の根や昆虫の殻、毒々しい色の粉末が入っていたが、
必ず、嬰児の指の骨が混じっていた。村人たちは戦慄した。
この箱は何を意味するのか? 呪いか、それとも村の暗い過去の遺物か?
困惑した村人たちは、遠くの民俗学者、佐久間妖道に連絡を入れた。
妖道は怪異の専門家として知られ、失われゆく民間伝承を記録する男だった。
彼は助手の助川清彦を連れ、村へと向かった。
道中、清彦は禿げ上がった頭を春の陽にさらし、満足げに呟いた。
「やっぱり春は最高ですね、先生。こうして頭に陽光を浴びていると、まるで髪の毛が芽吹くような気がしますよ。」
妖道は助手を一瞥し、からかうように言った。
「だったら、今回は温泉探しは必要ないね。」
清彦は顔を赤らめ、反論した。
「先生は本当に意地悪だ。人が詩的な気分に浸っているのに、現実に引き戻すなんて。
もし陽で髪が生えるなら、とっくに僕の頭はふさふさですよ!」
「まぁまぁ、そんなに苛立つと髪が抜けるぞ。」
「苛つかせたのは先生じゃないですか!」
妖道は笑い、宥めた。
「分かったよ。この辺りに体を元気にする温泉があると聞いたんだ。髪にも効くかもと思って、君をからかっただけさ。」
「もう。そのせいで数本抜けましたよ。滞在を延ばしてくださいね。」
「わかったよ。ほら、どうやら着いたようだ。」
村に着くと、当主と大工の棟梁が箱を抱えて迎えた。
高さ二十センチほどの素朴な木箱。村人たちが好奇の目で妖道を取り囲むが、不思議なことに男ばかりだった。
女たちは影に隠れ、子供だけがちらりと顔を覗かせる。
妖道は箱を一目見て、呟いた。
「コトリバコか…。」
彼は清彦に男たちの相手を任せ、自分は村の女性たちのもとへ向かった。
古老の女性に頼み、女たちだけを集めさせた。
部屋は薄暗く、春の陽光さえ届かぬようだった。
「私は民俗学者の佐久間妖道と申します。怪異を調べるのも仕事ですが、
失われゆく事実を正しく後世に伝えるのも役目です。男たちを遠ざけたのは、
この秘密を学問としてのみ扱うため。好奇心から暴くものではありません。」
女たちは互いに視線を交わし、頷いた。
ほとんどの者が、この箱を知っていた。妖道は続けた。
「この箱は、中条流のコトリバコ。1767年に間引きが禁止されて以来、
中条流の医師が編み出した堕胎術の道具です。明治政府が1873年、堕胎罪を刑法に明記し、
重罪とした後も、人々の営みは変わりませんでした。この箱は、その闇の証です。
堕胎医が箱を携行すれば発覚するので、担当する屋敷の天井裏に隠した。
男たちは蚊帳の外で、真実を知らずに大騒ぎしたのです。」
古老の女が、震える声で応じた。
「その通りですじゃ。ここからは、わしがお教えしましょう。他の者たちは伝承のみで、事実を知りませぬ。」
彼女の目は遠くを眺め、過去の闇を映していた。
「箱に入った嬰児の指は、堕胎された子のもの。中条流の堕胎薬は、使うほど効果が薄れます。
指の数で薬を決めます。初めてなら、ほおずきの根、唐辛子、椎の実、ヤマゴボウの根、ナンテンなどの植物。
二度目は斑猫などの昆虫。最後に水銀。指の本数で、一方、二方、三方、四方、七方と呼びます。
五と六は、薬の入手が難しく飛ばされた。二方は朔日丸、三方は月水早流し、四方は子腐り薬、
七方は水銀入りの中条丸…。こうして、私たちは命の営みを続けてきたのです。」
話を聞き終えた妖道は、身震いした。
箱の底に沈む小さな指骨が、村の女たちの沈黙の叫びのように思えた。
堕胎の痛み、秘密の重み、そして失われた命の残滓。
村を離れる際、妖道は古老に礼を述べに行った。
だが、彼女は既に自我を失っていた。何年も前から、ただ介護されるだけの存在だったという。
コトリバコを見た瞬間、過去の記憶が蘇り、話を終えると、再び虚空に沈んだのだ。
男たちは箱の真実を知らない。
百年後、この箱が天井裏から出てきた家族は、呪いだと騒ぐだろう。
妖道はそれを想像し、一人で薄く笑った。
清彦が嫌味を言った。
「僕に男どもを押し付けて、女三昧だったんですね。」
妖道は答えず、ただ春の風に吹かれながら、村の闇を胸に刻んだ。
コトリバコは、永遠に沈黙の箱として、歴史の天井裏に潜むだろう。
読んで頂き有り難う御座います。




