表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/40

(二十八) どんぶらこ、名取川

川上の鬼、川下の子


明治三十五年。


初夏の陽光が柔らかく差し込む頃、


民俗学者の佐久間妖道とその助手の助川清彦は、陸奥国名取郡の名取川流域を訪れた。


目的は、風の噂に聞いた、従来の桃太郎伝説とは大きく異なる異伝を求めてのことだった。


二人は目指す集落の手前で、川で獲れた岩魚の美味に魅了され、三日間足止めを食らった。


妖道は岩魚をたらふく堪能した末、「もう岩魚など見たくもない」と腹をさすりながら歩き、


清彦は近くの温泉で頭皮を湯に浸し続け、湯あたりでふらふらになりながらも妖道の後を追った。


「君、集落で待っていてもいいんだよ」と妖道が気遣うと、清彦は不服そうに答えた。


「いやです。これから行く場所に、また頭にいい温泉があったらどうするんです」


「まだ入るつもりかね。髪が抜けるよ」


「抜けるはずありません。入れば入るほどふさふさになるんです」


名取川の上流、湿地が広がる大地のさらに奥に、噂の古老は住んでいた。


古老は来訪者を岩魚料理でもてなした。


「どうじゃ?ここの岩魚は格別の風味じゃて」


妖道は前の集落で飽きるほど食べてきたことを隠し、


苦笑いを浮かべながら箸を動かさず、岩魚を右に左に持ち替えるばかりだった。


それを見ていた清彦が薄笑いを浮かべ、「先生、熱くてお口にできないなら、ふーふーして差し上げましょうか」とからかう。


妖道はこれ以上岩魚に付き合うのは耐え難いと判断し、早々に本題へ移った。


古老は静かに語り始めた。


「まずは、この里に伝わる昔話からお話し申そう」


むかし、名取川の上流に、金に恵まれた豊かな村があった。


そこに住むのは「逆鬼払」の一族と呼ばれる者たちで、男よりも女の数がはるかに多い村だった。


村には厳しい階級のしきたりがあった。


生まれた子が女であれば大切に育てられ、男であれば奴隷として扱われた。


女児はある年頃になると、どこか遠くへ売られていったのだろうと古老は語る。


ある日、名もなき長男が耐えかねて言った。


「俺はここを去る」


彼は川を下り、湿地帯に小さな小屋を建てて暮らし始めた。


次に続いたのは次男だった。


「こんなところには居られぬ」


次男もまた長男のもとへ向かった。


それを見に来た三男は、兄弟の暮らしぶりを目の当たりにし、


「もうあの家には帰らじ」と決意した。


こうして家を捨てた三兄弟は、互いを新たな名で呼び始めた。


去った長男を「サル」、居られぬと言った次男を「イヌ」、帰らじと言った三男を「キジ」と。


川上の主たちは働き手を次々と失い、ついに冷酷な掟を定めた。


「これからは男の赤子はすべて川に流せ」


それ以来、生まれた男児はみな川に捨てられ、下流へと流された。


サル、イヌ、キジの三兄弟は、流れ着く小さな亡骸を丁寧に埋葬し続けた。


ある日、一人の女が勝手に男児を育てているのが主に知れた。


主は女を斬り、男児とともに川へ投げ捨てた。


女は瀕死の重傷を負いながらも、子を抱きしめ、必死に体をくねらせて川を下った。


桃色の着物をまとったその姿は、遠くから見れば大きな桃が流れてくるように見えたという。


どんぶらこ、どんぶらこと。


三兄弟はそれを岸に引き上げると、死にかけの女と幼子だと気づいた。


女は最後の力を振り絞り、


「この子を…頼む」とだけ言い残して息絶えた。


三兄弟は子を「桃太郎」と名付け、湿地の小屋で大切に育てた。


桃太郎は、サル、イヌ、キジの三人の兄に囲まれ、すくすくと成長した。


やがて彼は知る。兄たちが長年埋葬してきた小さな亡骸が、自分の「弟たち」であったことを。


そして、母が川上の主に殺されたことも。


真実を知った日、桃太郎の胸の奥に、静かな炎が灯った。


十二歳の誕生日を迎えたその日、桃太郎は兄たちに告げた。


「…行こう。もう、終わらせよう」


サルは黙って頷き、イヌは拳を固く握り、キジは川上をじっと見据えた。


四人は名取川をさかのぼり、かつて自分たちを奴隷とした「鬼の家」へと向かった。


それは鬼退治ではなかった。


鬼とされた者たちが、鬼の支配を祓う──逆鬼払の儀式だった。


川上の集落に討ち入った四人は、女たちを縛っていた男たちを打ち倒し、長きにわたる支配を終わらせた。


血は流れた。


だが、それは復讐ではなく、「終わり」をもたらすための行為だった。


解放された女たちは涙を流し、四人の少年を抱きしめた。


村人たちはその功績を称え、桃太郎と三兄弟に「榊原」の姓を与え、川下から川上までの土地を譲った。


名を奪われていた者たちが、初めて「家名」を持った瞬間だった。


語り終えた古老は、静かに微笑んで言った。


「それがわしらのご先祖じゃ。この土地が、その昔の場所でございます」


妖道は目を輝かせ、深く息を吸い込んだ。


「まさに、桃太郎伝説…でありますな」


名取川の流れは、百年の時を超えて、今も変わらず湿地を潤している。


読んで頂き有り難う御座います。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ