(十九)水底の祟り貝(みなぞこのたたりがい)
祟りは終わらない。 名を変え、宿主を変え、静かに水底で息をしている。
大正二年、肥前国基肄郡基里村。
筑後川の支流が緩やかに蛇行するこの湿潤な土地は、古来より貝の呪いが囁かれる場所だった。
村人たちは、用水路に潜む細長く巻きの多い貝を畏れていた。
「貝を踏むな」との禁忌は、代々受け継がれ、触れた者は腹を膨らませ、
内側から食い破られるような苦痛に苛まれ、死に至るという。
まるで水底から這い上がる怨霊が、体内に巣食うかのように――
その年、細菌学者の宮入慶之助が村に現れ、用水路で大量の貝を捕獲した。
村人たちは彼を「祟りの引き寄せ者」と呼び、古老たちの判断で監禁した。
粗末な納屋に閉じ込められた宮入は、村の視線に晒されながら、静かに貝の観察を続けていた。
古老たちは集まり、民俗学者の佐久間妖道に助言を求めた。
妖道が助手の助川清彦を伴って村に到着したのは、それから十日後の初夏。
空気は蒸し暑く、川面から立ち上る霧が、村全体を不気味に覆っていた。
宮入から話を聞いた妖道は、すぐに思い浮かべた。
九年前、明治三十七年の備後国深安郡川南村片山での出来事。
あの水の怪――日本住血吸虫の影が、ここにも伸びている。
「これは、あの続きだ。桂田富士郎とハルの記憶が、蘇る」
妖道は独り言のように呟いた。
一方、清彦は村の与えられた部屋に引きこもり、出ようとしない。片山での恐怖が、未だに彼を苛んでいた。
「先生、もう帰りましょう。僕があの病にかかったら、本物の河童ですよ。つるっ禿で、腹が膨らんで…」
妖道は笑みを浮かべた。
「君がいないと、記録用の絵が描けないではないか」
「そんなこと言って、僕を河童に変えて見世物小屋に売る気でしょう!」
清彦は布団にくるまり、頑として動かない。
妖道はため息をつき、彼を放っておくことにした。
古老たちに集められた妖道は、静かに片山の物語を語った。
桂田富士郎の幼馴染ハルが、病に倒れ、遺言に従って体を解剖され、無数の虫卵が発見されたこと。
水の怪の正体が、日本住血吸虫だったこと。古老たちは黙って聞き終え、しわだらけの顔に涙を伝わせた。
村の長い苦しみが、ようやく終わる予感に、胸を震わせていた。
「おそらく、あなた方が拘束している宮入慶之助が、この祟りの終焉をもたらすだろう」
妖道の言葉は、霧のように村に広がった。
数日後、桂田富士郎が基里村に駆けつけた。宮入の監禁の噂を聞き、妖道の案内で村へ急いだのだ。
二人は、村外れの古い診療所で対面した。
宮入は疲れた顔で、捕獲した貝を差し出した。細長く、巻きの多い貝――村人が「祟り貝」と呼ぶもの。
顕微鏡の下、水滴の中で、糸のように細い影が蠢いていた。
それは、まるで水の怪の幼い姿。無色透明の幼虫が、宿主を求めて揺らめく。宮入の声は震えていた。
「これが、中間宿主だ。日本住血吸虫の…」
桂田は深く息を吸い込み、頷いた。
「君の言う通りだ。ハルの仇を、ようやく討てる」
こうして、村を長く苦しめてきた「腹ふくらませ」の祟りは、その全貌を現した。
宮入は、この小さな巻貝に自らの名を与えた。ミヤイリガイ。それは、怪異と科学が交差した瞬間に生まれた名だった。
貝の殻は、湿った光を反射し、まるで嘲笑うように輝いていた。
発見から、行政の動きは速かった。下水道の整備、農地の改良、用水路のコンクリート化。
関係者たちの努力により、病は徐々に影を潜めていった。
山梨県では一九九六年に終息宣言がなされ、筑後川流域では二〇〇〇年に撲滅が宣言された。
これは、世界で初めての成功例として、歴史に刻まれた。
妖道と宮入らは、その後、多忙を極めた。
村を去る際、妖道はふと気づいた。清彦を部屋に置き去りにしたままだった。
十日ほど経って、ようやく妖道は清彦を迎えに村へ戻った。
清彦は布団の中で震え、河童の夢にうなされていたという。
妖道は村を離れる前に、用水路の底に沈む貝殻をひとつ拾い上げた。
それはもう死んだ貝だ。
だが、殻の内側には、かすかに光る筋が残っていた。
怪異は、いつも人の恐れの中に生きる。
祟りを終わらせるのは、科学ではなく“記憶”なのだ。
読んで頂き有り難う御座います。




