願い
ゴホッゴホッ!
彼女の口からは再び血が吹き出し、咳は止まらなくなる。
「これじゃあもう……」
アイラでもここまでなってしまったら打つ手はない。僕でもこれは無理だ。できることがあるとすればそれは、最後に彼女の言葉を聞いてあげることくらいだ。席が収まって彼女はゆっくりと手を動かす。その弱々しい手を握り彼女に紳士に向き合った。
「最後に、一つだけ言い残したいことが、あるの」
死に際を前にしたアイラの目には涙が溢れていた。多分この時僕も涙を流していたのだろう。視界がぼやけて霞んでいたような気がするから。
「なんでも言ってください。ゆっくりでいいですから」
すると消え入りそうな声で彼女はリルに語りかけた。
「お願い。トウを、立派な大人に、してあげて」
最後に満面の笑みを僕たちに見せながら彼女はその言葉を遺言にして、ゆっくりと目を閉じた。握っていた手がゆっくりと抜けて血の海に落ちる。彼女は笑顔のまま火を消した、。
「しっかりと聞きましたよ、最後の言葉。必ず僕達がなんとかして彼を立派な大人にしてみせます。それが、祓魔師として僕たちが出来ることだから」
彼女をゆっくりと血の無い床へ横にして、トウのもとへと向かった。アイラも、流れている涙を拭いて心を入れ替える。
「起きているか、トウ」
声を掛けても返事はない。気絶しているのかと思い、うつ伏せになっている彼を仰向けにしようとひっくり返した時だった。
グサッ!
一瞬何が起こったのか理解できなかった。目の前には僕を見て笑ってみている男、ゆっくりと自分の腹を見るとそこにはナイフが刺さっていて、血が滲み出ていた。
「まだ、意識が、あったなんて」
痛みが血と共に体に一気に伝播していく。立っているのも辛くなり、その場に膝を突きながら腹を抱える。トウの後ろでは自分が刺されたことに気が付いて慌てて駆け寄るアイラの姿が見えた気がする。
来るなと言いたいところだったが、口が震えてうまく動かない。きっとナイフで刺された場所が悪かったんだろう。きっちりと彼は致命傷を狙っていた。多分自分のこの体もダメかもしれない。
「師匠!」
彼女の叫び声が聞こえると、トウは僕に刺さったナイフを引き抜いた。刺さった場所からは血がさらに溢れ出し、痛みが倍増したように体が悲鳴を上げた。
リルの苦しんだ表情を十分愉しげに眺めて満足した後に、再び彼はリルの心臓に向かってそのナイフを振り下ろした。そしてその瞬間、リルの意識は体との接続を断ち切られる。最後に見えたのはトウの恍惚とした表情だった。
目覚めの感覚はとても気持ちの良いものだった。例えるならばそれは、水に浮かぶ水泡が割れる瞬間のように清々しい気分だ。
「アイラ、いるの?」
最初に気になったのは彼女の安否だ。自分でも分からないが、彼女のことが真っ先に気になった。まだ一日も過ごしていないのに、何故か何日も一緒にいたような気がする。すぐにこちらに向かってくる足音はせわしない。
「師匠! 身体は大丈夫ですか?」
扉を開いて飛び込んできた彼女は僕のもとに駆け寄ってきてそう言った。目には涙が溜まっていて、今にも決壊しそうだ。
「そんなに僕のことが心配だったのか」
すると我慢できずに溢れ出した涙を流しながら、アイラは言う。
「一週間も寝たきりだったんです。誰だって心配しますよ」
一週間も? それには驚きが隠せない。そういえば、なんで僕が寝たきりになってしまったのかを全く覚えていなかった。
「そういえばトウはどうなった?」
自分の中の最後の記憶を思い出す。とある町に向かって、トウという少年に出会い戦ったことまでは覚えている。するとさっきまで目覚めの喜びに打ちひしがれていた彼女の顔が急に暗くなる。口を閉じて俯いてしまった彼女を見て、なんとなくだがどうなったのかを察する。
「どうしたの?」
「いや、その……」
あまり話そうとしない彼女を見ればその内容はきっとあっている。だから彼女の口から言わせるのではなく、自分からその結末を語った。
「死んだんだね」
アイラはコクリと頷くとまた下を向いてしまう。そこには一抹の恐怖と、後悔が見受けられた。彼女の最後の願いを叶えることができなかったのは、僕の責任だ。
…………やっぱり、僕には誰も助けられない。
だがそう言ってずっと過去に引き摺られていても仕方ない。このことをちゃんと覚えておくために、僕は彼女にあの後の話を聞かせてもらう。
「僕が気絶している間に何があったんだ?」
「師匠は、覚えていないんですか?」
気絶していたんだからその間の記憶なんてないはずなのに、覚えていないの? とは一体どういうことなんだ。全然話が掴めてこない。もう少し踏み込んで彼女に尋ねた。
「僕が彼を殺したってことであってるんだよね?」
するとアイラはすぐに首を縦に振って事の詳細を話し始めた。
「そうです。気づいたら師匠がトウの後ろに立っていて、彼の持っていたナイフで背中を思いっきり刺し殺したんです。多分、即死だったと思います」
まさかこんなに早く僕がこの力を使う場面に出くわすとは思ってなかった。平和な仕事ばかり請け負ってたツケが回ってきたのかな。だけどこうなると黙ってるわけにもいかなくなった。どうやら彼女には教えておかないといけないみたいだな。
「教えてくれてありがとう。そうなってしまったなら、僕から一つ言っておかないといけないことがある。君が僕に隠し事をしているように、僕も君に隠し事をしていた。だからこれからそのことを君に教えようと思う。僕の固有魔法について話すよ」
アイラは自分の隠し事に気づいていることに驚いた。僕からすればあれで隠し通すつもりだったんだなと思ったが、それは今話には関係ない。自分の事について語ろうと体を起き上がらせると、雷でも落ちたかと思うくらいの激痛が腰に走った。
「っ――――!」
吊ったような感覚に陥って、再びベッドにその体を預けた。痛みが引くまでアイラに背中をさすってもらい、まるで老人のような扱いを受けるのはかなり恥ずかしい。
「多分ずっと寝たきりだったからだと思います。その話は後でもいいですから今はゆっくり休んでください」
そうアイラは言い残すと、背中をまたゆっくりとさする。彼女はその年齢にも関わらず、時々大人びた印象を見せる気がする。もう少し年齢が高かったらきっと世の男を侍らせていたに違いない。
「それじゃあ、お言葉に甘えてもう少し休ませてもらうよ。ごめんね、こんな不甲斐ない僕で」
そんなことないですと慰めの言葉を貰って布団をかけてもらう。まるで母のようなその優しさに今だけは甘えたくなったというのはきっと勘違いだ。
僕はゆっくりと目を閉じる。アイラは僕の左手を両手で包み込んだが、その手は震えていた。
ずっと僕のことを心配してくれていたんだな。出会って間もないのに何故か彼女は僕にこんなにも尽くしてくれる。一緒に旅を続けるかどうかはさておき、いつか彼女に恩返しが出来たらなと思う。
だからあえて彼女の顔は見ない。その弱さを見るのは卑怯だと思ったから。そしてそれが、彼女のためになるのだから。




