新生
魔女の遺構、それが何を指すのかを知っているのはまだ十二宮の長だけであり当然ながらリルがそれについて知るわけがない。ましてや里の中にいたのであればいざ知らず、祓魔師として外でコツコツと生きてきいたのだから欠片も彼の言葉の意味は分からない。
「君にはまだ話していなかったね。秘密には秘密ということだ。私たちは君が禁忌を侵したことに目を瞑る。代わりにその眼ではっきりと捉えて欲しい。魔女の遺構とは何かを」
立ち上がったライブラはリルを連れて部屋を出ると、普段は誰もそこに近づこうとしない古びた扉の前で立ち止まる。するとその扉の横辺りの壁を指でなぞり何かを見つけた彼はそれをゆっくりと押し込んでいく。
「生体認証、ルークス。十二宮のメンバーと確認。ロックを解除します」
扉の鍵が外れる音がして、彼は中へ入ろうと取っ手を握ったが建付けが悪いせいで手こずっていた。がたがたと揺らしてなんとか入ると開かれた扉の奥には異世界にでも迷い込んだのかと思うほど様相の違う部屋が広がっていた。
「なんですか、ここ」
部屋の目の前に広がっているのは無数に並べられた本棚とそこに並ぶこれもまた無数の本。彼はそれをさも当然にあるかのようにして奥へと進んでいく。飛行魔法によって本棚のほとんど全ては制御されており、数人の魔法使いによって管理が敷かれている。
二人が現れても作業に集中したままこちらを一瞥することもない。彼に続いてしばらく進んでいると、本棚で仕切られていた通路が一気に開ける。
「これは魔の標と言ってね、天に愛された魔女メイレイが作り上げた遺構の一つだよ」
よく見るとそれもどうやら本棚ではあるようだが、そのほとんどは埋まっていない。これが一体何なのかはまだ彼の説明では理解できない。既に本棚に置かれている数少ない一冊を抜き取ると、それを彼は慎重に開いていく。
「この本棚には魔女メイレイが装丁したと言われている100の魔法について書かれた魔導書がぴったりと埋まるように設計されているみたいなんだ。……もちろんこれは文献を読んだ限りのことだけど、確かに本棚には100冊の本が入る様になっていて、その一つ一つに数字が割り振られている」
ライブラが試しに引き抜いた魔導書の背表紙にも数字が書かれていて、それは収められていた本棚の上に書かれている数字と一致している。
肝心の本の内容だが、魔女文字で最初にその魔法の呪文が書かれていて後のページは全てその魔法の解説に割り振られていた。しかも彼曰くこの本棚に収まっている魔導書に書かれた魔法は全て魔女メイレイだけが扱えた魔法であり、今のところは魔導書を介してしか扱うことができないという。
「それで、魔女の遺構を完成させるというのはどういう意味か、もっと詳しく教えてくれないと分からない」
常にフードを被ったままその下から視線を鋭く尖らせているリルにライブラは既に内容が分かっているはずだと理解したが、説明を続けた。
「この魔導書、正確には100法の書というんだがそれはこの世界のどこかに全てばらばらに点在している。辛うじて手元にあるのはたったの4冊。これでも十二宮の里が元から保有していた魔導書を全て集めたんだがね。これでこの依頼の難易度がどれほどのものかは理解しただろう」
「禁忌を侵したことが帳消しになるくらいの条件だというのは分かった。けど、それだけか? それじゃあ僕が何年もその魔導書を探し続けて旅をすることだってできるはずだ」
「しっかりしている。もちろん条件はあるよ。一年毎に100法の書を5冊集めてくること。それが禁忌を侵したことを黙認するための条件だ」
魔導書を探し出すということがどれほどに難しいのかを理解できないが、そもそもまだ4冊しか見つかっていないものを5冊も見つけてくるように言っているのがどれだけ無茶なことなのかは想像しなくても分かりやすい。
ライブラの顔を静かに覗き込むが、すでに彼が話すべきことは全て話しきったらしい。あとは僕がどうするのかを待っている。一方的な話だが交渉権は無い。この話を全て聞いたところで僕は素直にその受けなければならない。
「…………分かりました。その条件を飲みます」
「そう言ってくれると思ったよ」
分かり切った言葉で笑顔を向けるライブラに反吐が出た。結局自分はこの里に生まれ落ち離れるその時まで彼の思考を理解できなかった。どうしてもあの男はこうなることが目に見えていたように感じて気味が悪い。
これで契約も成立し、話すことは無いと戻ろうとした時だった。ライブラはリルを呼ぶとゆっくりと近づいてくる。振り返るとやっぱり男は笑みを絶やさない
「君と一緒にいた少女についてだが」
それを聞いた瞬間にピリッと空気が一瞬で張り詰めていく。やっぱり何かしたんだな。元々鋭かった視線がさらに睨みつけるような目に変わったことでライブラは両手で落ち着くように言った。
「そんなにピリピリしないで、安心していいよ。彼女は今ごろ外の酒場で食事でもしているだろうね。どうやら相当お腹が空いていたみたいだ。…………それに彼女はヴァルゴの祓魔師らしいから。僕が何かしようものなら彼女に何をされるか分からないよ」
その笑みは少しだけ引き攣っていて、過去に何かトラウマでもあったのかと察せることができる。そんな上層部同士の関係など興味の無いリルはそれを聞いて止めていた足をまた出口に向けた。
飛行魔術によって本棚が忙しなく動いているのを見ると、本当にここには数えきれないほどの本が管理されているのだなと隠されていた理由にも少し納得がいった。
早速酒場に向かって中に入るとそこではアイラが見知った人と一緒になってご飯を食べている姿が遠目から見えた。慎重に近づいていくとやっぱり自分の見間違いじゃなかった。僕は彼女の隣に座る彼の肩を叩いた。
「こんなところで何してるの瑠璃」
「あっ、姉さん。そっちこそ何したの? ライブラに呼び出されるなんてよっぽどのこと……もしかして使っちゃったんだ」
「まぁ、そんな感じかな」
「ちょ、ちょっと待ってください。師匠って女の子なんですか?」
姉弟の会話に入らずにいられなかったアイラがリルに聞いた。すると瑠璃とリルは互いに顔を見合わせて首を傾げると彼女に答えた。
「何言ってるんだ。僕は最初から男だなんて一言も言ってないぞ」
「まぁ、こんな身体だったら男って思うのも致し方な――」
それ以上は言わせないと瑠璃のお腹に拳を喰らわせる。そのままフェードアウトしていく彼を放って僕はさっきまでの話を手短に纏めて伝えた。
大変な旅になるということは分かっていたから、彼女が僕のもとから離れるだろうなと思っていたが彼女はむしろ目を輝かせてその旅に着いてくる気満々の様子で嬉しそうに答える。
「じゃあこれからも一緒に旅ができますね、師匠!」
自分を慕ってくれていることをきっと素直に喜べばいいはずなのに、どうしてかそれが僕にはできなかった。




